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独り言: トランプのことがほんとにわからないワケ

 これまでに何度か、トランプのことはわからないと言ってきました。
 彼が大統領に選ばれたことは、まあさほどわからなくもなかったんですけどね。だって、実にアメリカらしい人だし、彼が掲げるアメリカ像も実にアメリカ的だから。大統領になってからやっていることも、ああ実にあの国だなぁ、という感じ。

 本人のことは、まずその本人が色々と変化球を投げてくるので、本心がわからないというのはあります。
 しかしそれだけでなく、それを伝えるアメリカメディアが、たまに本当にトランプの言うような捏造(かそれすれすれのこと)をしているし、それを伝える日本のメディアはまたいつもの如く事実よりもイデオロギーだし。
 つまり、ただでさえわからない人物を、二重の(歪んだ)フィルターを通して見ていることに。

 まあでも、メディアがそうだからこそ彼の影響力はあるんだなぁと、これは橘玲氏が言っててなるほど確かになー、と思った次第ですけど。
 わざとやってるなら凄いなぁ。

独り言: エロと芸術の違い(笑)

 今週もまたアニメの感想も書かずにおかしな話を。サボってないで真面目にやれ(笑)?
 題材はこれ↓。
JASRAC、音楽教室から著作権料徴収へ 業界は反発「演奏権及ばない」 - ITmedia NEWS
 で、ネタとなるポイントはこの辺りです。

 少数ずつの生徒への教室使用が「公衆に聞かせるための演奏」(著作権法22条)かが論点だ。従来、裁判所は生徒も不特定者であるなどの理由で「公衆」と理解してきたがそれで良いのか。

 こういうテーマだとちゃんと、こういう議論が出てくるんだなぁ、と。

 何が言いたいのかというと、タイトルの通りエロのことです。
 公然猥褻とかって、愛好家が密室でやっても公然ですからね。で、上記のように、著作権の場合のような議論が発生することがありそうにも思えない。ただまあ、本質的に違うところがあるのである意味で必然と言えますけど。
 どこかというと、こちらは基本的に音楽で言うところの「聞かせるため」に相当するものしか多分ないし、増して教育のためのエロなんて考えられないですからね。むしろ教育上良くないものとされているし。
 だから、隠れてやっているものでも「取り締まり」の対象である、というわけですか。

 まあこういう話になるとまたいつものことを書いてしまいそうになるので、続きは省略することにしましょうか。
 それでもちょっとだけ書いちゃいますけど、そうやってエロを悪として取り締まる事って、まあやってる人たちは世の中をキレイにしているつもりでしょうけど、むしろ何かを助長していないですかね。
 約二つのことをね。

独り言: 昨年(2016年)の映像コンテンツ

 非常に今更なんですけど、昨年(2016年)は妙に、話題になる映像コンテンツの多い年だったような印象です。映画とかテレビドラマとか。
 その中から4つほど選んでコメントしてみますが、そんなことを言っている割にはうち2つしか見ていないという(笑)。

 最初のは、何度か感想を書いた劇場アニメ『君の名は。』。
 この作品については、実はこれまでに書いたこと以外にもうちょっとだけ指摘したいことがあったんですが、それとほぼ同じようなことを日経新聞の記事で読んじゃったので、結局やめました。まあそこで読まなかったからと言って同じことを考えている人がいないとも思えないのですが、一応(誰も知りませんけど)ここのルールなので。
 まあ非常に緩い、気分次第のルールですけど(笑)。
 あの作品はリピーターが多いと聞きますが、それはつまり、感覚面での魅力が多いということだと思うんですよね。知的好奇心だったら、そう何度も見るものでもないでしょうし。まあ、見る度に発見があるようなのもありますけど。
 あとこれは最初の頃にも書いたと思いますけど、あの作品って、というか新海さんの作品って、基本的にSFっぽいネタを使ってるの多いけどSFっぽくないですよね。少なくとも私の中ではそうではない。あまりそういう方面を追求しようとして味わう作品じゃないかな、と。
 突っ込みどころは沢山あるけど、見てるとそんなのどーでもいいかという気分になる圧倒的な美とノリが魅力かな。

 続いて、見てない作品を二作。
 一つは、劇場アニメ『この世界の片隅に』。見てないし多分これからも見ないでしょう。
 でも興味はあったので、あちこちの記事読んだしクロ現の特集番組なんかも見ました。一番最初は、これは誰がどこで言っていたのか忘れましたが、主役のCVがのんさんだということでこの作品を紹介できない日本のメディアは、という批判でした。
 それで大体のストーリーはわかりましたし、良作らしいということもわかりました。でもやっぱり見る気にはならないなぁ。もしかするとテレビで放送されたらわかりませんけど。いくらこれまでのとは違うと言っても、ああいうネタはもう散々なんですよね。
 喩えて言えば、霜降のステーキはとてもおいしいけど胃がもたれるから食べないとか、そんなのに似てるかな。いやあの作品を牛肉に喩えるのってどーかと思いますが(笑)。
 ちなみに全く関係ないし全く以てどうでもいいことですが、私は本当に霜降よりも赤身が好きです。どうもあれは、脂の味で誤魔化しているような気がして。ドレッシングで野菜の味がわからなくなったサラダみたい。

 そしてもう一つは『シン・ゴジラ』。
 これも見てないんですが、なんというか、日経ビジネスオンラインで特集組んでまして。
 それがまあ、一週間くらいならともかく、しまいにゃあんたらバカですか?と言いたくなるくらいの長期間やってまして。最初のうちはちょっと興味そそられましたけど、あれはもうネガキャンですね。なんか利害の対立でもあったんでしょうか。

 最後は、NHKの大河ドラマ『真田丸』。オフィシャルサイトは(ほぼ)なくなっちゃってて、ちょっと前に誰かが勿体ないと叫んでましたっけ。
 昨年中は全く触れませんでしたが、大河ドラマをあんなに真面目に見たのって一体何年振り?というくらい久し振りでした。いや真面目にっていうのも娯楽としてですけど。
 なんとなく予感はありました。始まる前、NHKのドラマ解説本に加え、A5版くらいのもちょっと真面目な解説本なんか買っちゃいましたし。

 敢えて一言で表すならば、三谷幸喜の脚本が凄かったという辺りに落ち着きましょうか。
 ちゃんとフェーズが考えてあるし。1月からの導入ではとにかくまず「掴み」に徹してるし、ちょっとさすがにくどいかなと思い始めそうな微妙なタイミングで過剰な演出がすっとなくなるし。
 物語のあちらとこちらのつながりがよく見られるし。例えば、信繁と秀吉の出会いのシーンが、秀吉が死ぬ少し前に視聴者に思い出させるように繰り返されるし。真剣にという意味で真面目に見ていると、私が気付いたのよりもっと沢山あるでしょうけどそういうの。
 秀吉と言えば、小日向文世氏は面白かったですね。

 しかし、一番感じ入ったのは、関ヶ原でした。
 あれは、ほんの数十秒で終わってしまった(笑)というのも話題になりましたが、連絡が来たときにはとっくに終わってしまっていたという描写は、現代の人間には意表を突かれるところがあるでしょう。思えば、秀吉が中々登場しなかったのもある意味では同じ理由でしょうか。

 まあ、書いているときりがないし、などと言いつつももう始まったのは一年以上前なので細部まで憶えてないというのもあるしでこの辺りで切り上げますが、脚本の重要さをしみじみ感じた作品でした。過去の指摘とは正反対の意味で。

 って、何で私は、もう2017年になって一ヶ月も経った今頃になってこんな話をしているんでしょうね。
 実は自分でもよくわからないんですけど(笑)。

独り言: 倒錯集

 なんかこう名称と実体が乖離していることが多いなーという話を何度もしてきましたが、ここらでちょっとまとめてみようかと思い、徒然なるままに書き連ねてみようかと。
 まあたまにやっている「焼き直しシリーズ」のようなものですが、それだけだとさすがに何の芸もないので、ちょっとくらいは書き足すことにしましょうか。

 まずはサヨク。あるいは≒リベラル。
 とは言え、これはもしかすると日本の固有種かも知れず、となると倒錯的なのも半分くらい必然かも。
 どういうことかというと、もう言い飽きた感もありますが、右翼左翼という分類に入りませんよねサヨクって。まず国家(政府とか体制ではない)を非難しなければいけない。そういう構造を思想的に否定するというのではなくね。我らの国家は悪だ。それを出発点とすることが正しいのであり優れた者の証しであり選ばれたものである、と。
 で、どの辺りが倒錯的なのか。
 そのことを是としつつ、極めて日本的であることです。日本古来の感性がなければ成立し得ない。だから固有種かも?と思ったわけですが。
 例えば、言霊思想。「〜はない」と唱えれば存在しないことになると思っちゃうところ。
 例えば、想定される敵に武士道精神を期待しちゃうところ。丸腰の相手は見逃してくれるかなーみたいな。
 他にもありますが挙げていると次に進めないのでそろそろ切り上げます。

 次に挙げるのはメディア。
 メディアってつまりは媒体ですけど、実体は違いますよね。ネットで言えばゼロレーティングみたいな。情報に「角度を付け」て無知な民を正しい方へと導くのが仕事だと思ってるところ。表現は特定の新聞社から借りてきましたが、基本はどこも同じですよね。全然「媒体」じゃない。むしろクリエイターかも?

 これは元はこのブログじゃなく裏の方に書いたのですが、人権活動家が大概差別主義者であるという話。
 まあ要するに、特定の人(達)の人権を特別視することからスタートするので、ある意味そうなるのは時間の問題とも言えますか。

 そういう活動家の中で女性の権利がどーしたこーしたの人たちは、どうやら西洋に於て女性が解放される前の時代を目指しているようで、特に性に関しては極めて潔癖性というか嫌悪しているというか。
 ところが、これがまた正反対の立場である(自称)保守の人たちがそっくりなんですね。

 道徳だとか青少年の健全な育成がどーしたーこーしたの人たちは、まるでマンガの世界で不純異性交遊!と叫ぶ風紀委員みたいで。不純な異性交遊は好ましくないという話かと思えばそうじゃなく、異性交遊は不純だから不可になっちゃう。
 まあ確かに男女七歳にしてとか言いますが、(自称)保守の人たちが大切にする筈の伝統によれば、そこから十年もすると結婚していることが多いんじゃない?

 性のことが問題にされることがまあ一番多い気がしますが、そうやってお綺麗に育てるのって、食事で言えばサプリメントだけで育てるようなもので、実に「合理的」じゃないですかね。でも、「合理的」って彼等嫌いそうな気がするんですけど。清濁併せ呑むことも必要、とか言ってそうじゃないですか。
 勿論、鍵かっこを付けていることで表しているつもりではありますが、ここで言う「合理的」というのは一般的に使われている意味での所謂合理的のことであり、理に適っているか、筋が通っているか等とは関係ありません。

 結局こちらも、西洋人が見て驚いたような奔放な日本人ではなく、その西洋人、それも昔の(いや今でもそう変ってないと思いますが)彼等の感覚そのもので、一体どこが保守なのか私にはよくわかりません。
 明治以降とか今の政権は特にかもですが、長州辺りのかぶれ具合いが元でしょうか。

 さてこの辺りで上記の「書き足し」も含めて終りなのですが、予定外のことを考えちゃったのでちょっと更に書き足しておきましょうか。
 最後に出てきた明治の話ですが、王政復古って、あれ良かったんですかね。
 つまり、天皇さんにそんな俗なことさせて良いん?ということですけど。
 長いこと権力と権威を分離してきたのに、わざわざそれを西洋みたいにしなくとも良かったんでは。天皇陛下には維新のごたごたの時だけ降りてきてもらって、後はまた殿上だか天上だかにいてもらった方が、日本の神話にも似てこの国らしい構造が保てるんじゃないかなーと。

独り言: 表現の自由「か」

 こういう記事を見掛けまして。
表現の自由か、冒涜か-朴槿恵氏を題材にした「裸婦画」で論争勃発 「セクハラ」「やり過ぎ」批判根強く:イザ!

韓国の野党議員が主催した展示会に、朴槿恵(パク・クネ)大統領の写真を合成した裸婦画が出展され、大論争となっている。主催した議員側は「表現の自由だ」と強弁して徹底抗戦の構えだが、「セクハラだ」との厳しい批判も巻き起こっている。


 ここで見出しを「か」としてしまうのがいかにも産経ですね。それは全く別のレイヤー(コスプレイヤーではない(笑))の話であり、同列に並べて優劣を付けるべきものではないと思うんですけど。
 でもそういう意味では、以前同じくこういう話をしたときに引用したのも同じ「イザ!」でしたね。
佐世保の事件で気になる産経の今後の動向

 エントリ本文中で記事を引用した部分にはこうあります。

 日本も表現の自由との兼ね合いからヘイトスピーチ自体の規制はせず、名誉毀損(きそん)や脅迫など現行法の枠内で対応。弁護士出身の橋下市長もこうした背景を理解し、「(独自策は)表現を規制したり、罰則規定を設けたりするやり方はできない」と明言している。

 いや、エントリの最後の部分は引用の体をなしてないというのはおいといて。

 レイヤーが違うものなのにごっちゃにしてしまうというのは、やっぱり日本のメディアですねぇ。
 どういう辺りが、というのはまあ言わないでおきますけど(笑)。

独り言: 着エロは児ポか

 こんなのを見掛けました。
着エロにつき「仮にスクール水着でも、四つん這いでお尻を突き出したり、足を広げたりした映像は違法」という弁護士の山口宏氏のコメント - 奥村徹弁護士の見解(050-5861-8888 hp@okumura-tanaka-law.com)
(禁止ワードが含まれているので一部省略しています)

スクール水着を普通に着ていれば、「衣服の全部又は一部を着けないXXの姿態」ではないので、(略)であっても、XXポルノには該当しません。

とのことで(禁止ワードが含まれているので引用時に一部伏せています)、まあ専門の人が言うのでこれは正しいのでしょう。
 ただ、ちょっと気になることが。

 3号ポルノの定義は「衣服の全部又は一部を着けないXXの姿態であって、(略)

とのことですが(禁止ワードが含まれているので引用時に一部伏せています)、この「一部を着けない」ってのがね。
 この例は成人ですけど、某アニメのこんなシーンを思い出しました。
oniai8_jinno1.png
 ちなみに、その感想で私がつけたコメント。

 つまり、あり得ない場所、あり得ないシチュエーションで水着を着ているという場違い感のエロティシズムです。


 一体何が言いたいのかというと、本来もっときちんと服を着ている筈の状況で水着でいるというのは「衣服の(略)一部を着けない」姿態に相当する、なんて解釈が出てきて争われる、なんてことが今後あったりしないか?みたいな。
 それとも、それは既にあって否定されているから上記のような解説になるのかな。

独り言: 経営にIT技術を導入しよう

 これは以前書いたエントリ「役所にIT技術を導入しよう」の続編です。なので大筋は同じ話だし、タイトルにあるのが「IT」でなく「IT技術」である理由もほぼ同じ。
 今回のは、経営者候補にはプログラミングをさせようというものです。

 言語は、例えばBASICとかいいですね。
 まあ別にそれに拘るわけでもないですが、goto文なんかは必須(笑)。Cのポインタのようなのもあるといいかも。アセンブラ(アセンブリ言語)のようなのもいいかも知れませんが、さすがに細かすぎる感じもします。高級言語のように使えるくらいマクロが充実したアセンブラがあったらいいかも。
 それで、仕様に合わせて作らせたら、その仕様にある条件をちょっと大きめに変更して改修させるとか。で、どんだけマトモなプログラムが残されるかを見る。
 後で、例えばフローチャートとかに直させて線の交差具合いを見てみるなんてのも一興?

 勿論、本来の意味でのプログラミングをさせるわけではなく、つまりは冒頭のエントリと同じように、考え方がポイントです。ITの世界に転がっている技術を使い回すことで実現しているので、「IT」でなく「IT技術」ということで(笑)。
 実際のところこの話自体も一種の比喩で、実際にやったら高級言語で書いてBASIC(等)に直すなんて不届き者も出てきそうですけど。

 というわけで今回も言っていることはほぼ同じで、でも今回は分かり易く書けということではなく、頭の中をなんとかしてちょ、というお話でした。

独り言: 性悪説と公正さ

 棋士の三浦氏に対する不正疑惑について、こんな記事がありました。
将棋界が直面する未曾有の危機とは何か? | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 これを見て、ちょっと気になるところがあったのでちょっと感想を。
 最後のページなんですが、このように書いてあったのです。

今回の騒動を奇貨とし、連盟は「今まで性善説でやってきたのがよくなかった」として金属探知機の導入に踏み切った。

だが、三浦九段がシロ判定だったことから考えると、「連盟はむしろ性善説を徹底すべきだった。連盟の性善説はいつの間にか不公平なものとなっていた」とも言えるのではないか。

 しかし、これはどうしてもおかしいとしか思えない。どちらの意見もです。
 不正を探るという目的のためには性悪説的であるべきでしょう。ただそれは、片側の立場にあってそうするのではなく双方に対して、例えば告発した側に対しても同様であるべきです。
 なお、ここで私が言う「性悪説」には悪である可能性を排除しない(もしくは悪であると想定する)という意味はあっても、悪だという結論を出した上で事に当たることは意味しません。それでは警(以下自粛

 これはどういうことかというと、どうも人にはまず「善」を想定してしまう傾向のあるシーンがあるということです。告発した側は嘘は言っていないだろうとか、弱者の立場の人は悪くないだろうとか、その他色々。
 今回の件も、少なくとも告発の中で客観的にかつすぐに分かることくらいは調べてから行動を決めるべきだった。具体的には、30分の離席です。まあ、前にも言ったようにこの件についてはあまり詳しく知らないので実際のところがどうなのかという点については触れませんが、少なくとも証拠がない上に事実上告発にあったような不正は不可能だったということは言えると思います。

 さて、こういう事って実はよくありますよね。弱者の立場からの告発は疑わないという意味では、日本と隣の国の間の揉め事に対する国連の在り方とか。そういえば暮にあった像の件では、以前読んだこの本のことを思い出しました。

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たとえ政府と名前のつく組織があったとしても、条約遵守能力が機能していない場合は、国際法の対象となるべき国家としては認められません。

(p.77)

 一昨年の暮に決められた件が条約と呼べるのかどうかは私にはよくわかりませんが、少なくとも国家と国家が取り決めて国際的にも公言した事の筈なんですけど。それ守れない相手って実は国家とは……?

 それから、これはちょっとややこしいのですが、ってややこしいのは私のせいなんですが(笑)、先日書いた「性悪説を見直すべき時」というエントリ。
 最近の日本では、性にまつわることって「憚られるべきもの」から「悪」になっていますよね。となるとこれはもうしばらく前のことになりますが、障害者の性の問題とかね。障害者は弱者であり「善」と結び付けられがちで、となると「悪」である性とは相性が悪い。だからないことにされがち。
 これは障害者を女性と置き換えても構造的には同じで、女性が性を求めることを表現することを許さない人たちがいる。理屈の上からは彼等は性を「悪」とする人たちとつながるか同一であるわけですけど。

 とかいう話になると、前に読んだ『性の進化論』という本を思い出します。結局のところ、そういうものはないんだという宗教に似た(もしくは宗教による)思い込みが源流にありそうななさそうな。なんせ、前述のような人たちはそういうのを下敷にしているみたいですし。

 何だかわけのわからない方向に話が飛び火してしまいましたが、結局は全部同じことですね。
 根拠のない思い込みを前提にするのは不公正の始まりであり、性悪説性善説という姿勢の問題よりも、そもそも立場が偏っている方がより大きな問題なのではないか、ということです。

独り言: 読売新聞流グローバリズムに物申す

 読売新聞2017年1月1日朝刊(いや夕刊休みですけど)の社説は「反グローバリズムの拡大防げ」というタイトルでした。
 この「反グローバリズム」が「反グローバル」-ismなのか反「グローバル-ism」なのかは微妙ですが、文中に推進すべきものっぽい文脈でグローバリズムという言葉が出てくるので、多分後者でしょう。つまり、ここで対立の構図を描いているものは主義とか説とかそんなものであるわけですね。
 そして、「反グローバリズム」「ポピュリズム」「極右」をほぼ同列に並べています。それが読売新聞流の「グローバリズム」信奉ということなのでしょう。
 こういうのを見ると、昨年のイギリスの件を思い出します。あの時も読売新聞は、まるで「愚かな英国人達を正しい道に導いてやる」と言わんばかりの論調で非難、というか殆んど罵っていました。

 今回の社説は、「トランプ外交への対応が必要だ」という副題にある通りアメリカのトランプに主眼が置かれてはいますが、イギリスの時ほど相手が特定されていないせいかもうちょっと一般論的になっています。
 それでもまあ大体姿勢は同じで、何が普遍的な価値観かは決まっているのに、という論調です。

 ちなみにちょっと話はそれますが、「自由や民主主義といった普遍的な価値観」という表現も出てきます。
 まあ取り敢えずそれがありがたいのは普遍的ということにしていいとは個人的には思いますが、それらが普遍的であるという価値観は普遍的ではないですよね。その表現が出てくる個所でリーダーはアメリカとされていますが、そのアメリカが例えば中国みたいな国も成熟すればやがて自由と民主主義の国になるだろうと一所懸命支援して、結局今困ってるのに。

 話をグローバリズムに戻します。
 社説では様々な国の状況について述べ、反グローバリズムがのしてきているから何とかしないといかん、ということを言っています。で、それはなんでなのかということについては、

 自分たちはグローバル化の犠牲になったと感じる人々が増えた。移民や難民に職を奪われることへの危機感も相まって、排外主義や保護主義に同調している。

という風に分析しています。
 要は経済のことで、その前段では「生産や雇用が国内に流出する」という現象についても理由として挙げています。

 まあちょっと私見を述べるならば、前に言ったようなことを踏まえて簡単にまとめると、庶民が貧乏になり途上国にカネが流れてそれが先進国のグローバル企業に流れてそこに溜る、という構造ですよね。
 なお日本では固有の問題として、後者が発生していないために上はそのままでただ庶民が貧乏になるという現象が起きていて、それはつまりこれはもういつも言っているように、日本では概して、社会的地位が高いほど無能だからじゃないかななどと。

 さて、社説では少し後にこう述べています。

 保護主義を強めれば、雇用や生産が復活し、自国民の生活が楽になると考えるのは、短絡的だ。

 しかし、ではどうすればいいのかは述べていません。いや正確に言うと、グローバル化をもっと推進すればいい、というかそれしかないというのが結論です。

 いやね、そうは言うけどね。それ一体いつまで待てばいいの?
 まず、社説で言っている価値観が普遍的になるところから達成しないといけないし、現状を推し進めるとして一体誰が「技術革新」をするの? 先進国の人々が「犠牲になっ」ている状況で?
 それから経済以外の問題もありますね。社会が安定しない状況で、一体どうやってその夢のようなことを実現しろというのでしょうか。マスメディア等のエリートたちの語る夢物語のために庶民は我慢しろと?
 それが限界に来たからこその現状なのでは?
 長期的にはみんな死ぬよ?
 理想を実現したつもりだったかもしれないEUも、ヨーロッパとは異る文化圏を取り込んだだけであの始末なんですけど。

 上記のカネの流れにしろこのお花畑の夢物語にしろ、庶民を苦しめ「犠牲になったと感じ」させるような状態で、一体何ができるのか。実際に事に当たるのはその犠牲者たちなんですけど。

 ヨーロッパやアメリカ等では読売新聞が口を極めて罵る反グローバル化が起きているわけですが、そういう現象が表面化していない我が日本が"Karoshi"という言葉を生んだ国であるというのは、果たして偶然なのか否か。
 機械を導入するとカネがかかるから従業員がもっと頑張ればいいそうすりゃタダだみたいな経営者とか、庶民が「犠牲になった」と感じることを推し進めようという夢を語るエリートがいることと、関係があるのかないのか。
 改善すべき点はどこにあるのかについては、取り敢えず、ここまでに書いてきた中にあるんじゃないのかな、と個人的には言っておきます。

独り言: 行く年2016&来る年2017

 年末恒例の振り返り&戯言のエントリです。
 というか、タイトルに従うならば振り返り&見通しとかになる筈なんですが(笑)。

 でまあ今年を振り返ってみると、何かパソコンばかりいじっていたような印象です。その割にはそれ関係のエントリが少ないですが、別に秘密にしてるわけでもなく増して仕事でやったというわけでもなく、ただ単に他の環境じゃ別に役に立つわけでもないなぁ、という内容ばかりだったもので。
 パソコンと言えば、「FFmpeg:MPEG-2 TS→MPEG-4でAACのオーディオをコピー」で書いたことも大幅に見直したいんですよね。色んな局の色んな番組で試すと、実はエラーが出てる場合の方が多いし。それと最近わかってい追記したんですがFFmpegの問題もあるようだし。
 他にもそれ関連では実は困ってることがあるのでいつかなんとかしたい。

 パソコンではもうひとつ。
 色々と規制が厳しくなってきたので、エロの話題用に暫定的にTorのHidden Servicesでブログを立ち上げ、エロコンテンツに関してはこちらでは紹介だけして実際の感想はそちらに書く、なんてことを始めました。それが2月の頭頃だったんですが、暫定的と言いつつ未だにそのまんまになっているという(笑)。
 うーん、そっちはどうしようかなぁ。

 そんなことを言いつつ、プログラムは殆んど書いてないんですけどね。せいぜいシェルスクリプトくらい。OSSのプログラムのソース見て直したりはちょっとだけありましたが。でも久し振りになんか書いてみようかなーなどと思いつつ、面白いかなと思うのって敷居が高いのばかりで。
 いやまあそれは自分のせいなんですけど。

 というわけで、このブログ自体は分量的にはアニメ感想ばかりになってたような印象。実際にどうかはよくわかりませんけど。

 さて、なんかこう振り返ってみてもあまり書くことがないような。仕事の愚痴を言ってもそれこそパソコンの話以上に意味がないし(笑)。役所は民間に仕事押し付けてばかりいないでちっとは還元せぇや。

 来年は、世の中のかなり多くの場で転換点となりそうな雰囲気ですね。
 果たして何がどうなることやら。
プロフィール

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
 

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