FC2ブログ

読んだ: 『人を売る現場でSEは萌えない』現実とフィクションの狭間

 以前、ラノベ『なれる!SE』シリーズを紹介するコラムを紹介しましたが、その続編が公開されました。
記者の眼 - 人を売る現場でSEは萌えない:ITpro
(コンピュータ・ネットワーク局編集委員 谷島 宣之氏)

 なんというか、前回のコラムからの引用になりますけど、

 「1年間で降りてしまったものの日経コンピュータ誌の編集長を務めた自分が『話題の萌えるSE残酷物語』と帯に書かれた本を買ってよいのだろうか」。

とか言ってるけど、それよりもそんな本のことを二度も出版社のサイトのコラムに書いていいのかとか思わないんだろうか(笑)。
 ……ということについては、後で触れてみることにします。

 今回のコラムでは、私も感想を書いたあの!第7巻が採り上げられています。「「痛快」ではなく「痛切」」とか、「読後感は重苦しいはずなので、プロジェクトの渦中にいるSEの方々にはお勧めできない」とか書いてあって、やはりアレを読むと誰でもそう思うのだなーという感じです。
 ただ、それ以外にも色々な点で、やはり同じようなことを思うのだなーというのがあります。
 例えば、

 第3巻で女性主人公は男性主人公に対し、「あんたは社長側の人間よ。社員の稼働や技術的妥当性なんて何一つ考えない、(中略)最低最悪の顧客フロント、現場の敵よ」と言う。さすがにこれは誉め言葉ではないが、男性主人公の適性を見抜いた発言である。

とあります。
 私も何度か書きましたが、4巻の感想では、

 前巻のレビューでも言いましたが、ほんとこの小説、看板に偽りあり、ですよね。
 主人公の工兵、SEどころか、一体何になるんだ? 何でもできる万能人間になりそうな勢いなんですけど(笑)。

とか思いました。でもまあここでは万能と書きましたが、どちらかというと、立華のように技術を極めるタイプという感じはしませんね。

 このことについて思ったこと、それもこれまでにも何度もここのブログで書いたことですが、矢島氏の別のコラムの言葉を借りると、

この世界にはどういう訳か「つくる人」を下に見るとまでは言わないが、軽んじる雰囲気がある。「いつまでもプログラミングなどやっていないで、コンサルティングや設計やプロジェクトマネジメントができるようになれ」と言ったりする。下流工程という誤解を招く言い方もある。「下流工程は人件費の安い国に出せ」という危険な主張もある。

 何度か書いた話だが「彼は30代後半だからそろそろプロジェクトマネジャをやらせないといけない」といった恐ろしい人事も横行している。若い頃は「つくる人」でよいが、一定期間が経ったら「しきる人」になれと言う。しきる人は確かに必要だが「つくる人」より偉い訳ではないし何万人も必要ない。

というような感じになるでしょうか。私は「この世界」というのを日本の社会全般と考えていますが、人の評価の物差しが一次元であることがどうにも日本の現状(と先行きの暗さ)を招いている気がしてなりません。
 物差しが一次元というのが根深いなと思うのは、それに違和感を覚えても「誰もがオンリーワン」(笑)のように結局一次元から離れられずに「逃げ」に走る人が多いところとか。

 まあちょっと話が逸れましたが、7巻の感想としては結構近いものを感じました。実際、私の感想で指摘した点と同じようなところに着目している様子があります。
 そして、冒頭の突っ込みの続きを書いてみます。

 フィクションの感想をあんなところで書いていいのか、と突っ込むべき点に関しては、矢島氏がこう書いているのがことの本質でしょう。

 第7巻を通じて作者の夏海氏が言いたかったことは、本来IT企業やその顧客の経営者が聞くべきものである。しかし、下着姿の美少女のイラストが表紙を飾る電撃文庫を経営者に読ませるのはなかなか難しい。

 経営者に期待できないなら、第7巻に出てくるようなデスマーチプロジェクトを減らす役目は営業に委ねられる。

 つまり矢島氏は、単なるフィクション、絵空事でないものであると考えているし、そこには現実のこの世界の問題点に関する筆者の夏海氏による主張が込められている、と考えているし、その主張に同感しているからあのような場で「ライトノベル作品」の感想など書いているのでしょう。

 このシリーズの新刊が出ると、IT系の掲示板などではしばらくの間、それをネタにした話が散見されるようになります。例えば、7巻で立華がタイムカードの替りに用いたもののこととか。
 それは大概の場合は、自虐的な、もしくは奴隷の鎖自慢みたいなものになるわけですが、やはりそこに「何か」を感じる人もそれなりにいるように見受けられます。
 今回の矢島氏のように。

 フィクションには時に、ノンフィクション以上の「真実」が含まれることになるのかも知れません。
 それは、純化しているが故に、むしろ本質がはっきりと見えるものであったりするのです。

コメント

非公開コメント

No title

 フィクションが現実以上に現実を映す、っていうのはよくある話です。
 江戸時代の忠臣蔵の舞台も実在の人物名を出さず架空の人名、時代で
見せてましたからね。
 それでも分かる人は分かっちゃうんですが。

 「これ読んでる君達へ、君達はこうならないでね」という作者なりの希望なのでしょうか。
 「なれるSE」シリーズは。
 どんな人が読んでいるか知りませんが。
  

Re: No title

> フィクションが現実以上に現実を映す、っていうのはよくある話です。
まあだからと言って、あの作品でこうだったからというのを根拠にされても困るというのもありますが(笑)。

> 「なれるSE」
結局、このシリーズで示されていることは是非経営者とかに読んでほしいと矢島氏は思っているわけですが、「ライトノベル作品」という経営者が読みそうもないものだからなー、ということですよね。
まあ、穿った見方をすれば、将来の経営者に向けて書いている、ということはあるかも知れません。
ないかも知れません(笑)。
プロフィール

水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
月別アーカイブ
アクセス解析中