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せいじ: 韓国大統領の発言に対する反応の諸外国への報じ方(案)

 この夏は日本の周辺で妙に色々ありましたが、特に韓国の李明博大統領の様々な発言が日本人の間に波紋を投じています。
 この中で、特に「天皇」に関するものへの反応は色々誤解を与えやすく、諸外国にはその意味するところを伝えておく必要があると思います。しかし逆に言えば、ちょっと味付けをしてこっちに有利に伝えることも、うまくすれば可能です。そうすれば、心理的に日本の側に立ってくれる人を増やすこともできるかも知れません。
 というわけで、彼の発言に対し日本人がどのように感じてどのような反応を示しているのか、嘘ではないにしてもちょっぴり誇張を混ぜ混ぜして、報告書調の文章を素案としてまとめてみました。

 こういう趣旨の文書を英訳して世界に流すと、なんかいい方向に向かうんではないでしょうかね。

 今回のこれがその役割を果たせればいいのですが、まあ、あまりありそうな話ではありませんけどそれがなったときを想定し、ややこしいことにならないように、クリエイティブ・コモンズかなんかにしておくといいでしょうか。
 基本的なパターンにはありませんが、SAのみなんてのがいいでしょうかねぇ。どうせ匿名ブログだし。
 というか、BY-SAで、改変した場合はその改変者の記録を追加するというルールは設けられないんでしょうか?

 以下、その文書です。


韓国大統領の天皇に関する発言に日本人が感じたこと

 過日、韓国の李明博大統領が日本の天皇に対し、韓国に来たいのなら、跪いて過去のことについて謝罪をすべし、と述べた。そのことと他の様々な発言により、日本人の間に、韓国に対する反感が拡がっている。
 そういった反応について、右傾化、軍国主義への回帰などと言った表現で懸念を示す向きもある。日本国民の感じ方についてかなり通じていないと、そのような印象を持つこともあるだろう。
 しかし、ほとんどの場合、それは誤解に過ぎない。それは、天皇という存在の意味を理解していないことから生じると私には思える。

 この小文では、そういった誤解を解消し、または未然に防ぐために、日本人にとって天皇とは何なのかについて解説したい。

1. 「天皇」とは何者か
 まず、誤解の理由の筆頭に挙げたいのが、天皇の英語表現だろう。天皇(Ten-no)は通常、Emperorと英訳される。しかし、これは実態を適切に表現しているとは言いがたい。天皇はむしろ、キリスト教における教皇、特にカトリック教会におけるローマ教皇(Pope)に近いのではないか。

 日本の歴史上、天皇が政治の実権を握った期間はごく短い。大日本帝国憲法の時代である明治から昭和初期においても、実際には天皇自身が強大な権力により全てを決定していたわけではない。
 天皇は、日本人のほぼ全てを信者とする「神道」の祭司長であり、日本国の安寧のために祈りを捧げるための存在だ。
 加えて、ローマ教皇がイエス(神の子であり一体・同一)の弟子の後継者であるのに対し、天皇は、キリスト教で喩えて言えば、イエスの直系の子孫なのである。

 第二次大戦後、昭和天皇は戦勝国に対し、自らの命乞いをすることがなかった。臣下の、ひいては日本国民のために自らの命を投じる覚悟を示した。
 占領のために米国より訪れ昭和天皇と会ってこの決意を知ったマッカーサーは、このような人物を殺害した場合、日本国民を悪い意味で強く刺激することに気づいたであろう。もしかすると、本当に感じ入ったのかも知れない。

 また、昨年日本で発生した大災害の後、天皇は被災地を見舞い、人々の心を癒し、勇気づけた。
[ここでばーんと写真が欲しい。体育館のような避難所を見舞っている天皇皇后両陛下とか]

 天皇とは、そのような存在なのである。

 しかし、日本人は、キリスト教徒が教皇に対するときのように天皇を仰いでいる風には見えないだろう。また、日本人のほぼ全てが神道の信者という点についても疑問を抱くかも知れない。仏教徒が沢山いる筈だ、という指摘もあろう。
 何より、神道には教義なども存在せず、そもそも宗教と言えるのかという意見すらあるかも知れない。
 そこで続いて、日本人にとっての宗教とは何かについて解説したい。

2. 日本人の宗教観
 日本で仏教の寺院にいる日本人に、こう聞いてみたとしよう。
「あなたは仏教徒ですか?」
 すると、多くの人はこのような反応を示すだろう。
「ええ、一応そうですが……」
 彼らは多分、別のときには神社に行っているだろう。また、キリスト教の教会に赴くこともあるかも知れない。このような行動を理解するのは困難であろうし、ならば日本人は宗教についてルーズであると考えるのも自然かも知れない。
 ここでは、その行動の意味するところ、日本人の宗教的感覚について述べてみよう。

 結論を言うと、日本人の宗教は、モジュール化されているのである。

 神道は教義を持たない。そういったものは、例えば仏教などが担っているのである。言ってみれば、理性に対応する部分を主に仏教などが、感性に対応する部分を神道が引き受けているのだ。
 教義、教え、言葉で考えるものは、対立を生じがちである。宗教の対立は、世界の各地で発生している。日本においても、仏教には諸宗派があり、異なる教義を持っている。
 しかし、それらのベースとなる、物事の見方、感じ方、そういった部分に、日本人は共通のものを持っている。それが、神道的な感性である。それは、言葉ではうまく説明できないが、であるが故に、日本人の心に水のように浸透している。日本的感性として知られている詫び・寂びなども、共通の精神的基盤から生じている。
 仏教徒が沢山いる筈なのに、ほぼ全てが神道の信者でもあるというのは、こういった構造による。

 ITの発達した現代であれば、パソコンに喩えてみるのもいいかも知れない。
 Microsoft社のWindowsというOS(Operating System)を使用している人がいたとして、画面を見てこう指摘してみよう。
「あなたはクラシックテーマを使っているのですか?」
「ええ、一応そうですが……(でも、私はWindows OSを使っているのです)」
 GUI(Graphical User Interface)は様々でも、カーネルは共通なのである。
 同じように、教義を持つ仏教(もしくは別の宗教)は、日本人の多くにとって自分の宗教の「一部」なのである。

 ここに、日本人にとっての天皇が見掛け上、カトリックを信仰する者にとってのローマ教皇のようでない理由がある。天皇は、宗教を構成するものの内、感性、感覚のようなものに相当する部分の象徴であり、精神的な意味でも直接的な指導者ではない。
 まして、現世の政権を支配する存在とは全く異なる存在なのである。

 天皇が日本の直接的な指導者ではないとしても、意識されずただそこにある、水や空気のようなものだ。栄養素を含む食物ではないが、しかし、水や空気が重要でないと言う者はいないだろう。

3. 日本人の怒り
 少し前に、ある人物がコーランを焼き、それに対しイスラム教徒が強く反発するという事件があった。
 コーランは、元は単なるモノだが、そこに大切な言葉が記されることにより、神聖な何かを指し示す神聖なモノとなっている。その人物は、コーランを通して、それが指し示している神聖な何かを侮辱、冒涜したのだ。
 韓国の李明博大統領が天皇を貶めたことは、そのような行為と似ているが、モノを通してではなく、それが指し示す「人々の心にある大切なもの」を直接に傷付けたのだ。

 日本国が存在するこの弧状列島は、変化に富んだ自然環境が特徴的である。地震、津波、台風、火山などといった自然災害が多発する地だが、水や植物、海産物、そして季節により様々に変化する景観などにも恵まれた地である。
 先述のように、天皇は、そういった地にある日本国の安寧のために祈りを捧げる役割を担った存在なのだ。
[ここでばーんと写真が欲しい。震災の被災地を見舞ったときに、海か何かに向けて頭を下げたところを撮影したのがあったと思う。遠景で両陛下が自然の中に小さく写っているものであればベスト]

 李大統領は、謝罪を要求したとき、跪いた上に膝に縄を付けるよう言ったとも伝えられている。それは、罪人を戒める行為である。
 先の喩えで言えば、イエスの子孫に(処刑しろとまでは言わなくとも)またも十字架を背負わせろと言ったのに近い。

 想像してみて欲しい。

 それが日本人の怒りなのである。

tag : 韓国 李明博 天皇

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韓国大統領の発言に対する反応の諸外国への報じ方(案)

 この夏は日本の周辺で妙に色々ありましたが、特に韓国の李明博大統領の様々な発言が日本人の間に波紋を投じています。 この中で、特に「天皇」に関するものへの反応は色々誤解を...

コメント

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No title

 
 僕は天皇という存在は日本人の精神的支柱だと思ってました。
 その柱に対して「屈辱的な落書きをさせろ」と言ったのに等しいと思いましたね。
 あの発言は。
 
 とあるゲームの解説本に載っていて以後気に入っている言葉に「複神教国家」というのが
あります。
 複数の神様の教えを同時に信じている国という意味だと思いますが、この国はそうだと
僕は思ってます。

 あと、天皇陛下のことを「日王」と書く国がいますがあれもやめて欲しいです。

 「天皇」の「皇」が支配者の最上級の呼び方なので「日本のくせに生意気だ「王」で
十分だ」という事らしいのだが、千年以上もこれで通しているんだし今更という感じがするが。
 「日帝」もやめてほしいものだ。

 皇、帝、王の順で支配者は偉いそうです。
 「皇帝」はこの皇、帝を超える存在という意味で作られたもの。
 
 

Re: No title

> 天皇という存在は日本人の精神的支柱だと
本文にも書きましたが、そういう感覚は外国ではわかりづらいと思うんです。格別何か教えを垂れるわけでもなし、政治的な権力があるわけでもなし。
そして、日本人の間でもかなり認識に幅があると思います。やはり、なんとなくいる人、なのではないかと。その「幅」があってもいいことこそが重要だと思うのですが。
そこら辺を、西洋に多いユダヤ教ベースの宗教を信仰している人たちにわかるようにするにはと思って、彼らの好きそうな感じにしてみたのが、今回の文章です。

> 複数の神様の教えを同時に信じている国
そのゲームでの信仰がどのようなものなのかは存じませんが、今回の分析のように、理性面での教えと感性面での「感じ」の分担があるとそういうのができあがりそうな気がします。
権力と権威の分離のようなものですね。
あるいは、本地垂迹説のようなものかも知れませんが。

> 「日王」と書く国
個人的には、同じ文字を使おうとも所詮外国なのでどう表現してもかまわないと思いますが、少なくともそこに悪意がある以上、それは絶対に受け入れられるものではありませんね。

> 「皇帝」はこの皇、帝を超える存在
ただ、天皇が「皇帝」的な存在であったのは遥か昔のことなので、これも本文に書きましたが、「天皇」をEmperorと訳すのは誤解の元だと思うんです。
渡部昇一氏などはよくあちらでアガメムノンにからめて説明しているようですが、私は今回(ローマ)教皇になぞらえてみました。アガメムノンだと、神武天皇の時代とかにはいいかも知れませんが、その後の変遷は表現できませんから。
ただまあ、そもそも日本人がこういう見方を受け入れてくれるかどうかがよくわかりませんが(笑)。
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水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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