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独り言: 神とか宇宙観とかについて

 最近の気候の激甚化、例えばちょっと前の「爆弾低気圧」とやらとか(この言葉初めて知りました)、竜巻のようなのを見ていると、自然の変動の大きさみたいなものを感じます。
 不思議なんですが、先の大震災のようなことよりもこういうことの方が色々感じます。それは多分、あの地震のようなものは巨大すぎて「特別な」事象であるように見えるからだと思います。日常起きていることの激甚化の方が「変わって」来ている、と感じるからでは、とか。

 こういった変動には人の活動が影響しているという説も多いですが、だから自然を守ろうという声が出てくるのにはちょっと何か違和感を覚えます。
 自分達の住み良い環境を維持しよう、というのならわかります。しかし、自然を守ろうというのは、人間は自然が生み出したものではないのか、という反発が沸き上がってくるのです。人間が何をしようと、その人間を生み出したのは「自然」であり、人間の活動も自然の一部である筈です。
 現に、「野生生物保護は「美しい種」が優先、生態系に影響も」なんていう指摘もありますし。

 環境破壊だなんだと言ったら、数十億年前、遊離した酸素なんぞという毒物を撒き散らした植物の祖先のせいで一体どんだけの生物が死んだでしょう(笑)。

 ところで話は少しとびますが、「神」のような超越した存在についての私個人の見方はと言うと、私はそういうの信じていません。
 しかし、ないとも言いません。存在しないことを証明できるほど宇宙のこと知りませんしね。
 要するに、非常に不安定な立場にいるわけです。
 これは、もっと身近なものでもそうです。例えば占いなんかは、先の予測とかについてはそもそも気にしませんが、人の性格とかについては、占いの結果が影響を及ぼすこともあるかも知れないという意味でないとも断言しません。
 それから、西洋占星術の性格の分類の仕方(四大元素とか男性星座女性星座とか)にはちょっと興味があったりします。加えて、人が占いのようなものについてどのように考えるものなのか、とかにも。

 そんな私なので、つまり神みたいなものも否定はしないので、もしあるとするとどんな形態がいいかな、とか思ったりすることもあります。
 そういう場合どういうのを思い描くかというと、これが冒頭の話にちょっとつながります。

 何かというと、人がいて神がいる、という構図ではなく、「存在」するものがあって、その一部が人間であり他の生物であり物質であり、……というものです。以前書きかけで公開した小説『ありがとうをいいたくて』みたいに、作家と登場人物みたいな関係が神と被造物の間にあると言う表現もできるでしょう。

 こういった考え方は、ガキの頃に読んだ橋本健の本の影響が大きいと思います。まあ、ガキとは言っても小学生の高学年にはなっていましたが。
 それは、『次元の本』のようなものを気に入ったりしたことにもつながるでしょう。
 それが今どんな感じになっているかというと、最近滞っていますが、物語を作るときの世界観、宇宙観のベースにしていたりします。上記の『ありがとうをいいたくて』もそうですが、そもそも最初に考えた物語もそうでした。

 結局創作のネタにしてるだけ、ということなんですが、実際のところ、超越者(自然としてもいい)と自分(あるいは人類)を対置する考え方というのは、世の中に色んな問題を撒き散らさないか、という懸念があったりします。
 というか、現実にそうなっているのは実はそういう見方のせいではないか、と言い換えてもいいです。
 対置して対峙するような見方は、結局対立を導くことになる気がしますし、ちょっとこういう包含的な見方も示してみたいな、とか思います。
 それは勿論、宗教(笑)を始めようなんてことではなく、例えば創作物にしてみたりするとどうかな、とか。

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まとめtyaiました【神とか宇宙観とかについて】

 最近の気候の激甚化、例えばちょっと前の「爆弾低気圧」とやらとか(この言葉初めて知りました)、竜巻のようなのを見ていると、自然の変動の大きさみたいなものを感じます

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

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