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アニメ: 映画『けいおん!』についてのインタビューより(2)

 映画『けいおん!』についての監督へのインタビューについて書いた先日のエントリの続き、です。
 どうしてこんなのを書いているかというと、発掘したBDを見ていて、ふとインタビューの中に出てきた単語に思うところがあったからです。
 まあ、思い切り時期を外してしまった考察になりますが。

 昨夜は、『けいおん!!』第20話(「またまた学園祭!」)に続いて、最終回(「卒業式!」)も見たのですが、その中に、唯があずにゃんに花をあげるシーンがありました。
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 で、ああ、もしやこれは『けいおん!!』(第二期)の第1話で唯が拾ったあの花だったのかな、と。
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 というか、当たり前のように思い出したこのことに、最終回のレビューのときどうして思い至らなかったのだろう???

 もしそうだとすると、あの花(多分桜)は、最終回にあずにゃんにあげることに繋がる表現だった可能性があるわけで、それはつまり、あずにゃんがこの第二期の鍵になる人物だったことをも意味するでしょう。
 しかし、それは必ずしもあずにゃんが中心人物であることを意味するわけではありません。
 先日紹介した山田尚子監督へのインタビューで、そう思ったのです。

 映画の中では、唯達があずにゃんのための歌(『天使にふれたよ!』)を作る過程が描かれたそうですが、私が思うに、それは、あずにゃんへの愛に溢れるみんな、多分、特に唯を描くということなのではないかな、と。
 前述の、インタビューの中で気になったのは何かというと、監督が唯について「カリスマ性」という言葉を使っていたところです。
 そうか。「カリスマ」かぁ。

 確かに、唯はこの物語の中心人物であり、圧倒的な存在感を持っています。でもそれは、英雄のような存在に使われる「カリスマ」とは随分違う感じですね。
 なんというか、圧倒的な受容性、みたいな?

 唯は、どうにも変幻自在な印象があります。
 世話焼き好きな憂の前だと、世話の焼けるお姉ちゃん。でも、憂が淋しいときには頼れるお姉ちゃん。
 しっかりもので、相手が先輩でもよく叱ってるあずにゃんの前では手の焼ける生徒。でも、時に音楽で圧倒する先輩でもある。あずにゃんがそういう位置に立ちたいのは、第二期最終回でよくわかりました。もう叱らないから卒業しないで、という台詞からです。「叱らない」ことが「譲歩」(許すことでなく)になることが彼女の意識の中にあるわけですね。
 そして、ステージの上ではヴォーカルとギターとMCなんかもこなすスター性があります。
 勿論、そんなことを意識してやっている筈がない。
 それこそ、容器の形に変わる水のような。

 これが、唯独特の「カリスマ性」というものなのかも知れません。そしてその属性は、「愛情」なのではないかと思うのです。
 その愛を最も(憂と同じくらい?)注がれる存在としてのあずにゃん。それが、上に書いた、あずにゃんが「鍵」であるのではということの意味です。唯の愛情、その対象としてのあずにゃん、愛情の象徴の花、最終回でそれを渡すことが第1話で運命づけられていた。

 前回、監督へのインタビューに関して書いたとき、「監督が確固としたイメージを持ってい」たのだろうと結びましたが、ここまでに書いたことが正しいとすると、本当にその通り、という感じです。
 アニメ版の『けいおん!』という作品は、始まったときから視聴者に届けられていたものがあり、それに魅了されて集まった私のようなファンが、随分時間が経っても監督の言葉に共感する、つまり制作者の提供しているものがブレない、というところがあると思います。それは小手先のことではなく、ファンを集めたもの、その本質がそのままでしっかりと底流にある、ということを意味するでしょう。

 例えば、映画版のCMで、「目指す音楽の方向性が違ってきたんだ」なんて台詞が流れたりしますが、『ニュータイプ』2012年1月号によるとそれは、別になんでもない日常の「小芝居」なんだそうで(笑)。そういう、なんか危機みたいなシーンがあったらちょっとやだな、とか思ってたので、一安心です。
 また例えば、インタビューにあった「多幸感溢れるラストにしたいと思いました。切ない終わり方だとしんみりしてしまう」というのも、映画についての発言ですが、テレビシリーズもそうでしたし。

 そして、映画で『天使にふれたよ!』の制作過程が描かれることもそうです。
 『天使にふれたよ!』についての感想にも書きましたが、ずっと一緒だよ、でも……と、ちゃんと手を離して、そっとさよならしてあげる。これも、歌詞からとても愛情が感じられます。

 監督はインタビューで、唯のカリスマ性とかシンボリックな部分が大事だと思うと言っていましたが、その象徴するところが、特にあずにゃんを対象にする描写の多い「愛情」なのでしょう。
 『アニメージュ』2012年1月号のインタビューより。

第2期は梓がメインに見えることが多かったかなと思ったりもしていたので、唯が何を見て何を感じているのかを、映画では大事にしたかったんです。梓に向けての曲を作るきっかけを作ったのも唯なので、しっかり気持ちを追っていこうと思いました。

 そして描いたのが曲作りなので、あずにゃんが「鍵」に見えたのは唯の愛情の描写の対象としての役割を担っているからだと思ったのは、そう外れてはいないでしょう。

 とまあ、映画を見てもいないのに随分長々と書いてしまいました。でも前述のように、このことは恐らく、シリーズを通して監督がずっと持っていたイメージがその源泉であり、特に新しいことでもないでしょう。
 なので、テレビシリーズの印象を元にこういうことを語っても、別にそう酷く間違っているとは思えません。というか、そうなんだろうなと思う、というのがこの文章の意味するところなので(笑)。

関連項目:

tag : アニメ けいおん

コメント

非公開コメント

No title

あの最終回を見てて自分の高校時代の部活を思い出しました、1年で入部した時は3年生しかいなくて
1年経ったらその先輩たちが卒業ってことになってあのあずにゃんが自分と重なりましたよ
自分以外の他の1年生部員はほとんどが掛け持ちだったので一番一緒にいる時間が長かったってのと
唯一の男子部員だったので弟みたいに可愛がられましたね、さすがに先輩を叱ったりはしてませんけど(笑)

Re: No title

> あずにゃんが自分と重なりましたよ
「卒業しないでください」とか言いましたか(笑)?
第一期のBD第一巻を発掘したので見直してみたのですが、「あんまりうまくないですね」というあずにゃんの台詞は第一話の唯の台詞との係り受けだったんですね。気付きませんでした。
あと、顔が結構若い感じがしました。ずっと見てると気付かないものです。絵を変えたのか、変わったのか。

ところで、
> 唯一の男子部員だった
これが言いたかっただけですか? 突込んでもいいですか(笑)?

No title

> 唯一の男子部員だった
ハーレムだったんですね、分かります(え

No title

>唯一の男子部員

創作物でもこういうシチュあったりしますけど(観たことないですけど『IS』とか)、人によってそれを“羨ましい”と思うかどうかって分かれますよねー。
僕はハーレムに憧れとかないので、そーいうシチュってあんま興味ないですけど、現実にそんな状況になったら逃げ出したくなりますねー。


……って、あれ?このエントリって『けいおん!』の話題だったはずなのにどーしてこーなった?(笑)

Re: No title

いやあの、折角私が突込まないでいたのに二人とも(笑)。
いいんですか? > ASUKAさん

ちなみに私の高校時代には、女の子どころか男の娘(笑)さえもいませんでした。隣にくっついてもう一つ高校があったんですけど、そこも同じ。
当時は高校選びの基準に偏差値ってのがあったんですけど、その数字と地理的条件を併せると、どうしたことか男子校しか選択肢がなかったんですよね。

> どーしてこーなった?(笑)
やはり、二次元を愛する人は抽象的な思考の能力が発達しているので、本質を論じていると得てして表面的には別物みたいな話題になるものです。
#とか言って誤魔化してみたり(笑)
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水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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