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せいじ: 長寿不幸社会

 以前、本当に死にたい人は死なせてやるべきという話をしました。それを禁止することこそ冷酷残忍だ、と。
 今回は、そうでない人の話です。つまり、強く「生きたい」と思っている人は勿論ですが、格別なんとも思っていない人も含めての話。

 ここ数十年で、医療技術は大変に進歩し、また食生活の向上(と一概に言えるかどうかわかりませんが)や社会の安定などもあり、日本人は世界でも有数の長寿です。
 ただ、それってどうなんでしょうね。
 確かに長生きしている。しかし、生きているだけ、なんてことないでしょうか? 生きてるけど、病気とかでなんにもできない、とか。多いですよね。
 医者にかかるときも、「こうすれば延命できますよ」と言われれば、そりゃそうしたくなります。
 当たり前です。そもそもこのエントリでは最初から、「死にたい人」は除いているわけですから。

 でも、そのとき、延命はできるけどどういう生き方になるかまでは言ってないし。

「だましてたのね、あたしたちを」
「僕は長生きしてくれって、きちんとお願いした筈だよ。実際の姿がどういうものか、説明を省略したけれども

 まあ、別にお願いはしていないかも知れない。でも、長生きはいいことだという風潮は確かにあったと思います。今でも、平均寿命が延びたというニュースは喜ばしいこととして報道されています。

 たとえ健康であったとしても、現役世代のように働けるわけでもない。かといって、「高齢者なりの働き方」というのが社会的に確立されているわけでもない。
 以前、災害がらみの話で、こんな話を引用しました。
被災者支援、「力になろう」と思っちゃダメ! 生きる力を引き出す4つのポイント

 力になりたい気持ちが強い時、私たちはついつい高齢者を『お客さん』扱いしてしまいがちである。

 「おじいちゃん、僕がやるからそこに座っていていいよ」
 「おばあちゃん、私がやるからゆっくり休んでいて」
 といった具合に。

 もちろん肉体的に疲れている時は別だが、そうではない時には、むしろ高齢者にも、一緒にかかわってもらった方がいい。

 「僕はこれやりますから、おじいちゃんはこれをやってもらえますか?」
 「おばあちゃん、私はこれをやりたいんですけど、やり方が分からないので教えてもらえますか?」
 などと、役割を与えてみる。

 役割があることが、すわ「新しいことにチャレンジしている」気持ちをもたらすのだ。

 以前、私がかかわった調査研究でも、「孫の世話がある」「家事をやらなくてはいけない」と、生活習慣で社会的役割を持っている高齢者は、そうでない高齢者よりも元気な傾向が認められた。

 サポートされる人、ケアされる人は、「力を貸してくれてありがたい」と思う一方で、自分の無力さにさいなまれてしまうことってあると思うのだ。

 そういう状況になっていること、多くないでしょうか? 彼等が「自分はお荷物なんではないか」と思っていること、ないと言えるでしょうか?

 テレビやなんかで散々、高齢化問題だのなんだの言われてますよね。「問題」と。そして、当然のことながら、そういうところで語っている人は現役であるわけです。
 これは暗に「お前等高齢者が一杯いるから困ってるんだよ」と言っていることになりませんかね?

 日本人の個人資産は、1000兆円を遥かに超えていますが、その8割以上は60歳以上の高齢者が抱えています。現役世代は、ローンなどでむしろマイナスという人も多い。
 だから、いくら資産があっても流動しないので、死んでるわけです。今は銀行なども投資先がないので、実際死に金です。
 しかし、高齢者には、長生きのリスクに対する備えが必要です。収入がないのに長生きが予測されれば、貯めておくしかない。だから、その金が動くはずもない。

 身近な意味でも、国全体に対する経済においても、周囲からしきりに、「お前等邪魔」と言われているわけです。
 そして実際、経済やなんかの領域では、それは現実でもあります。

 高齢者も、現役世代も、長寿によって不幸になっている。

 古来、長生きは喜ばしいこととされていた筈なのに、全然そんなことはない。
 むしろ、現実には全く逆なんじゃないでしょうか?

 長寿に問題があるのか、社会に問題があるのか?

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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