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独り言: 「文系の人間は独善的である」

 最早、出身学部とか学校で学んだこととか従事している仕事とか、そういうのとはまるっきり乖離してしまった感がある「文系」「理系」という言葉。変容しつつも、それに代わる適切な言葉が誕生しないまま、未だに使われています。
 私なんかは、独善的で狭量な人間のことを「文系」と呼んでいたりします。

 もうなんというか、一々「所謂」を付けたり鍵かっこを付けたりするのも面倒なので、本エントリでこういう意味で使うときには、もうそのまま書きます。

 でも、なんで未だに文系とか理系という表現なのかというと、そういう馬鹿らしさがよく見られるのが、「理系」的なことに関するデタラメ報道が多いから、かも知れません。もしかすると。
 例えば、昨日取り上げた原子炉の話が記憶に新しいので、asahi.comの記事から一部引用します。

投入したポリマーって? 水吸い膨らむ粉、おむつにも
2011年4月4日0時29分

 ポリマーは水がないときは体積が小さくさらさらとした粉状だ。一方、水を含むと風船のようにふくらみ中に水を蓄える。水をぐんぐん吸い込みゼリーのようになり固まる。水を吸うと元の粉の体積の20倍、重さは70倍になるという。

 ……あのー、それ、「ポリマーとは」に関する説明? なんか、引用したところのちょっと前には、「化学物質ポリマー(吸水樹脂)」なんていう記述があったけど。
 それって、「乗り物とはガソリンで動くものである」というくらい滅茶苦茶なんですけど。軽油とか電気とか風力とか人力とか、乗り物の動力には色々あるでしょ。ビニール(通常はポリ塩化ビニルのこと)だってポリマーだけど、水吸って膨張する?

 まあ、実際には、法律とか経済とかでもおんなじことをしているかも知れませんけどね、報道機関って。でも、そっちでやらかしてくれても私にはわからないし。
 そう言ったら、「科学は万能じゃないぞ!」とか言う?

○「(自然)科学は万能ではない」
 いやそれ当たり前。というか、理系の人間が「科学は万能である」なんて言う筈ないし。
 だから、そう叫ぶことは即ち、文系の奴が言ったデタラメを糾弾しているだけで……ドン・キホーテ? いや同士討ち?
 大体、「プルトニウム測定器」(笑)とか、文系の奴等の方が余程科学が万能だと思ってるんじゃないの?

○「科学で人の心はわからない」
 だったら文系にはわかるのかね。
 理系的には、人の心に一般的な法則はないと言えるし、一般的な法則はないという法則があるとも言える。そのことをわかってないのはむしろ文系じゃないの?
 よく、「人の身になって考えなさい」とか言うけど、そのときどうしているかな。対象となる人の立場に立ったことを想像して、自分ならこう思う、と?
 つまり、自分ならこう思うからその人もこう思うだろう、と?
 それこそ、人の多様性を否定しているよね。そもそもわかんない筈のものなのに。
 実体験するのはいいけど、そこで相手がどう思うかまでわかったつもりになって、本当にいいのかな?

 そう言えばACのCMで、男子高校生?が階段を昇る老人を手伝うシーンがあったけど、あれってどうなのかな。
 知り合いの、脚がちょっと不自由な高齢の人の話では、歩くときに支えてもらうのとか凄く恐いそうです。できればやって欲しくない、と。なんでかと言うと、体が弱っていてただでさえふらついているので、自分でバランス取れないのはイヤだ、ということらしいです。
 もし助けてくれるのなら、支えるんではなく「つかまらせて欲しい」、と言っていました。

○科学と宗教の対立
 大体、対立しているんかな。科学者にも特定の宗教の敬虔な信者は沢山いるし。
 対立しているとすると、科学とシューキョー(衆狂)じゃないのかな。
 まあ、自称科学者にもシューキョーっぽいのいるけど、私の定義によればそれは理系じゃないし。

○悪
 ひろさちや氏の本に、こんな例が出ていました。

 わたしはあるとき、経済評論家と自称する人から対談を申し込まれたことがあります。その対談の席上で、わたしは「競争というのは悪なんだ」と言いました。なぜって、仏教の考え方によれば、競争というものは一切悪なんですから。
 そうしたら、その人が憤慨するんですね。
「何を言うか。資本主義社会において競争がなけりゃ、もう社会は発展しない。競争があるからこそ発展するんだ」
 わたしはこう答えました。
「あなたが言ってるのは競争の必要性でしょう。わたしはべつに必要性まで否定しているわけじゃないんだ。ただ、そもそも競争は悪だと言ってるんだ」

 悪とは何ぞや。それは、人によって答えが違う。ひろさちや氏は仏教者であり、だからそれ(競争)は悪だという立場ですね。
 でも、重要なのは、「だから悪は滅ぼせ」と言わないことです。
 勿論、本人は「悪」だと思っているわけで、ない方がいいに決まっていると思っている。しかし、ここでは「必要性まで否定しているわけじゃない」とも言っています。
 悪は滅ぼせ、というのは、「ユダヤ人は悪だ」→「悪は滅ぼせ」と言った人の原動力でもありました。「悪は滅ぼすべき」という原則があるとき、人は自分の価値観にそぐわないもの(=「悪」)は排除する、という行動にでることになりますね。
 これこそ、私の言うところの「文系」であり、独善的で狭量な人物であります。

 それは定義なので、「私ん中では」(笑)必ず、間違いなくそうなのです。

 別にどういう価値観を持っても、何を「悪」と考えてもいいけど、自分がそう思うというだけで排除する不寛容、それは文系の「悪」なところです。
 存在が「悪」なのは別にかまわないが、行動が「悪」なのは迷惑なので、それでいつも私は言っているのです。

 私は、不寛容には不寛容になる、と。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

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