FC2ブログ

独り言: ドゥテルテ大統領の話と過労死と以下略

 先日、「ドゥテルテ大統領のありがたいところ」というエントリを書きましたが、それを簡単に言うと、「それはそれ、これはこれ」というのを教えてくれるという意味でした。
 簡単すぎるのでもう少し補足すると、親日家であるのは本心かららしいですが、だからと言ってフィリピンの大統領であることは変らないということです。何か社交辞令的にいいこと言ってるけど要するに自国のためだよねと誰にでもわかるような様子で行動している。
 勿論それが当たり前なんですけど、でもこの国では本当に当たり前かな?と。

 言い方を変えると、例えば、国際的な協力の在り方でもそうですし個人の行動でもそうですが、親切の止めどころを掴むのが苦手なところがあるように思う、ということでもあります。

 その個人の部分が行過ぎると、過労死のような結末を迎えることになるのかな、と。

 これは雇用する側も同じで、ハードの導入はカネがかかるけど、(既に雇用している)人がもっと頑張ってくれればタダで成果が出せる、という感覚の人が沢山いる。
 ところが、元々そうですしITの進歩などもそれを加速させていますが、世の中どんどんサービスとか知的労働の重要度が上がっています。そんな中で、ハードに出すカネを惜しんで人を使うなんてまるで、高速道路を逆送する老人みたいですよね。
 実際、「日本のソフト技術者、労働時間は最も長く、やりがいは最下位 国際比較」なんて記事も最近ありましたし、今日(2016-10-29)の日経新聞で、ちっちゃい記事だし条件はかなり限定されているものの日本人の人件費は低い(から現地人を雇わず日本から送っている)なんて話がありました。

 そんな国民性の理由については色々あると思います。以前述べた仮説もその一つだと思っていますが、戦後の日本の事情というのもあるかと。
 戦後の日本では道徳というのが真っ向から否定されているような気がします。それは以前は(それなりに)整合性があったと思うのですが、それがまず消えたのが社会的な地位が高い人なのではないでしょうか。というよりも、グローバルな環境に接する度合いが高い人。日本的な道徳なんぞガラパゴスだ、と。
 ただ、それがなくなってグローバルスタンダードになったかというと、あちらはあちらでキリスト教なんかがある。善行とかというわけじゃなく、自分の最後の審判のために、とかね。

 またもう一つ、これは確か日経ビジネスオンラインの記事で読んだのだと思いますが、戦後の日本では企業が宗教が担うべき役割を果たしており、寺が衰退した。その記事では、その後企業がそれをやめちゃって(信徒の)受け皿がないという話に続いたのですが、経営者の側を見ると、教祖みたいなもんであるわけですよね。だから自身に対する縛りがない。
 そんな理由もあるのではないかなと思います。仮説その三ということにしておきましょうか。まあ元ネタがあるので既に検証済みかも知れませんけど。

 気が付くとタイトルに書いたドゥテルテ大統領の話から随分と離れてしまいました。
 ただ、やはりこの国ではもっと「それはそれ」を考えるようにした方がいいのではないかなという意味では共通の話題だと思います。
 でも、それができない理由は更にまたあると考えているんですが、それはまだちゃんとまとまっていないのでまた今度。

コメント

非公開コメント

プロフィール

水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
月別アーカイブ
アクセス解析中