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せいじ: ネットの神様はネットの神様ではない……筈

 先日の参院選で多くの票を得つつも落選してしまった山田太郎(前)議員。まあある意味、これで安心して今まで通り政治家批判をできるというよかった探しもできなくはない(笑)のですが。
 氏が雑誌やネット媒体のインタビュー、またそれ以外でもよく言っていることに、ネット三原則(とか「ネットの神様を怒らせない3つの鉄則」とか)というのがあります。まあ命名はどうでもいいとして。
 ネットを主な活動の場として多くの票を得た秘訣、という文脈で出てくることが多いそれは、まあオリジナルはそこかしこにあるのでいいとして、要約すると、「誠実であること」「自分が発信主であると思うな」「ねばり」だそうで。この表現は新潮45のインタビューからもらっていますが。

 まあねばりというのはどちらかというと定量的な話のように思いますが、でも、元々石の上にも三年とか色々言葉はありますよね。

 自分が発信主だと思うなということについても、そういえば以前そんな話をしたなーと思ってこのブログ検索したのですが、実は書いてなかったみたいですね。元ネタはこの記事です。
非マーケッターのためのソーシャルメディア - その3 “世界で最高の仕事”からくまモンまで、創造的「パブリックリレーション」が生む熱狂:ITpro

 シヴァーズ氏が紹介するビデオの中では、公園で突然一人の男性が裸踊りを始めます。やがて一人が一緒に踊り始め、さらにまた一人、また一人と踊り出します。最初に一緒に踊り始めた男性に追随者(フォロワー)がいなければ、男性はただの「変人」でした。しかし、たくさんのフォロワーを得ることで彼は踊りの「先駆者」であり「リーダー」となりました。社会運動(ムーブメント)を生み出すとき、重要なのは最初の一人に追随する二人目のフォロワーを大切にすることだとシヴァーズ氏は解説しました。

 違うと言えば違う話ですが、同じと言えば同じところもある話だと思います。

 そして、誠実であることってのが出てくるのが実に奇妙です。だって、当たり前のことですよね。
 ただ、ここで言う誠実というのはある意味、手法のことでもあります。何か例えば言ったこととかを訂正したい時、こっそり消したり修正したりするのはダメだということなんですね。そうでないと、誤りの訂正とか意見の変化ではなく、騙したという印象になってしまう。
 強いて言えば、当たり前のことでも「手法」がこうなるのは、過去の記録がなかなか消せないという特徴がネットにあるからということでしょうか。別の場(空間)もしくは別の時(時間)の発言にアクセスできてしまうから。
 ちょっと脱線すると、人の陰口を言う人が信頼されないというのも似た話かと思います。何故なら、自分にそういう話をした人は、自分のことも他の人の前ではそのように扱っているかも知れないからです。陰口は通常、それが本人に届かないと思うから叩くわけですよね。

 先日のメディアフォーラム(第8回)の最後で山田氏は、「世界的に見ても、こんなに国民から信頼されてない政府ないんですよ」と言っていて、え、そうなの?と思ってしまいました。他の国では、まあ所謂先進国に限ったとしても、そんなに政府が信頼されているのかと。
 でも考えてみると、実はそうなのかも知れません。選挙の度に投票率が低いという話になり、最近はそうでもないかも知れませんが、前は大体「政治に無関心」であるためと解釈されていたように思います。
 ですが、政府(ここでは広義)で主役になっている役人とか議員とか、まさに上記のネット三原則の内二つには反していますよね、大概。あとマスメディアもですけど。だから、今まで「ネットは票にならない」と思われていたのでしょうか。

 政治の世界に行くと、当たり前のように思えることがネット固有の話のようになってしまう。そのことが政治不信につながっているのではないかな、という風に受け止めてくれる人があちらの世界にもいてくれると、少しは色々なことが良くなるのではないかななどと思ったりしました。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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