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創作観: アイマス2騒動で思ったこと

 アイマス2(『THE IDOLM@STER 2』)に関する騒動を見てると、
  • HLL事件
  • 下級生2騒動
とか思い出しますねぇ。
 今回、かんなぎの件はちょっと避けてみます。

 さて、処女厨だなんだという言い方がよく登場しますけど、アイマス2に関して言えば、そんな話にはなってないのに、あんなことになってます。
 でも、これらはやはり同根だと思うんです。

 ちょっと喩え話をしましょう。
 推理小説を読んでいたとします。密室殺人です。どう考えても殺人を行った犯人が密室から逃げ出す手段は思い当たらない。終盤まで読み進めたら、やがて真相が明かされます。
 犯人は超能力者で、密室からはテレポートで逃げ出したのでした!
 普通、こんな本、思わず床に叩きつけますよね。そしてゴミ箱行き。
 創作物の世界というのは何でもアリで、逆に言えば、ルールを決めておかないとなんの話だかわからなくなっちゃうわけです。だから、物語のなるべく早い段階で、この話はどんな世界観のもとに作られているのか、その姿勢を読者に示さなければなりません。

 この間、こんな本を読みました。
ハルヒ in USAハルヒ in USA
(2010/07/09)
三原 龍太郎

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 日本のアニメの海外での状況について、『涼宮ハルヒの憂鬱』の北米での展開を題材に調査/考察した論文です。
 この中の第二章に、著者の言うところの「世界観アプローチ」というのが解説されています。
 日本の、アニメに代表されるポップカルチャー作品の作り方に関する識者の分析を著者がまとめたもので、作品を作るに当たっては「世界観・キャラクター・設定」をまず構築し、その上でストーリーを作る、という過程を踏むという特徴を指摘しています。
 そういえば、『機動戦士ガンダム』がそういう作り方で出来上がった、という話を当時聞いて、なるほどー、と思ったことを思い出しました。
 そんな方式が編み出されるくらい、その物語がどういう背景を持っているか、というのは大事なことなんですね。

 その「世界観・キャラクター・設定」を策定するに当たって指針になるのが、そもそもどういうものを作りたいのかということだと思います。
 上記の本では、それらを作り上げるのによくとられるのが、「文化のグローバルデータベース」から「文化要素」を取り込んで構築するというやり方だ、と分析しています。
 私が思うに、例えば世界観の構築に当たっては、文化要素だけでなく、他の世界観の「継承」も行われているのではないでしょうか。エロゲならエロゲの世界に共通する何か、それはエロゲの存在意義自体を規定しています。抜けないエロゲはエロゲじゃない、とかね。

 さて、冒頭に挙げた『下級生2』のことにちょっと触れてみます。
 この作品はエロゲなわけですが、騒動の元になったたまきシナリオ。これ、ストーリーの表層だけで言えば、別に最初は付き合ってたわけじゃないんで違うんですけど、プレイヤーに与える心理的インパクトはまさにNTRですよね。
 *級生シリーズのメインヒロインにそんなハイレベルなものを持ってきちゃ、そりゃダメでしょう! まあ、このシリーズの「幼なじみ」には要注意という指摘もありますが(笑)。
 処女/非処女で騒ぎになりましたが、冒頭で『アイマス2』と似ていると述べたように、問題はそこにはないと思います。
 世界観・キャラクター・設定を構築することが作品作りである、とした場合、ストーリーやキャラの動きなんかがその世界観等の規定するルールというものを逸脱しちゃいけない。そして、それと同様、世界観を作るときにはその作品の目的から外れちゃいけない。世界観の継承元の規定するものを逸脱しちゃいけない。
 エルフの作品に同じヒロインはいないとか言われてるそうですが、色々な挑戦をするに当たっても、やはりどっか押さえておかなきゃいけないポイントってありますよね。

 エロゲは特にそうだと思いますが、基本的に、物語ってのは現実からの逸脱性こそが重要なんじゃないですかね。
 ところが、プレイヤーは作品にリアリティを求める、という一面もある。
 これはどうしたことか?

 リアリティとは何か、ということを考えると、世界のルールに則っているか、であると言えましょう。
 ここが重要です。
 物語を作ったとき、世界(観)もその前提として作ってあるのです。
 リアリティを追求するときの「世界のルール」は、作品ごとに違うわけです。だから、現実のルールに則ったものを持ってきても、その作品の世界観に合わなければ、それはリアルではない。現実(リアル)に似ているとリアリティがない、それは、こんな理由から発生する事態なんでしょう。
 現実からの逸脱は、世界観そのものに要求されるもの。そして、リアリティは、その世界のルールの遵守。
 こう考えると、矛盾はないわけです。

 そこを勘違いして、作品に現実のルールや状況を持ち込もうとするのは、クリエイターとしては、その辺りの区分けができていない、と言えると思います。
 『下級生2』は「女子高生の非処女率が高まっている」ことを反映させたのだという説も一部にありますし、『アイマス2』ではディレクターの石原氏がインタビューにこんな風に答えています。

閉じた世界のままだと、表現しにくいものがありました。それは、春香たちがアイドルであるということです。実際にユーザーが生活していて、現実世界でアイドルのCDのオリコン順位などを見る機会が増えると「ああ、やっぱり、アイドルはスゴイなあ」と感じることがあると思うんです。

『アイマス2』を作るうえで、“プロデューサーがいない状況で半年が過ぎた世界で、誰も鳴かず飛ばずな状況なら、皆どう動くだろうか……”と考えたわけです。Pのいない弱小765プロは、半年もPがいなければ、ますます屋台骨が傾くはず。やはり律子は事務所の危機のため、皆のため、そして自分の夢“プロデューサーになること”を叶えるために、座して滅ぶことを喜ばず、すぐに動くだろうと。


 一般人で言えば、現実と仮想の区別がついていない、ということですね。
ゲームと現実の区別がつかない人達
というコラムがあります。

ゲームはゲームです、違う楽しみがあるんです。格闘ゲームをする人は、ケンカがすきなのでしょうか。ゲームはゲームです、本当のケンカなんてまっぴらごめんです。

本当にゲームと現実の区別がつかなくなっているのであれば、それは大問題です。レースゲームを遊んでいる人が、実際に運転ができると錯覚でもしたら危険です。しかし実際には、大いなる勘違いもたびたび起きているような気がしてなりません。ゲームを遊んでいる側が現実との境目を見失っているのではなく、ゲームを遊んでいない人が現実と結びつけて考えてしまっているという勘違いが。

 この勘違いは、所謂「環境犯罪誘因説(強力効果論)」的な考え方と言えましょう。

 昔、パソコンのプログラムで、ユーザインタフェースを「机」に見せたものがありました。画面に「机」の絵が描かれていて、引き出しを開けるとファイルが出てきて、みたいな。
 これも同じ勘違いじゃないでしょうかね。
 あと、iPadが紹介されるときによく出てくる電子書籍リーダ。画面に「本」を開いたところが描かれていて、先を読みたいときは「紙をめくってページを進める」。
 うーん、これ、実際に使ったわけじゃないんで本当の意味では指摘できないんですけど、ほんとに読みやすいんですかね? UIまで紙の本に似せる必要が、本当にあるんですかね?

 とまあ、リアリティとかについてごちゃごちゃと述べてみました。
 仮想の世界が色々身近になるにあたり、それらを自分の中でちゃんと扱うために、複数の世界をきちんと管理する能力が必要になってきているといえましょう。
 日本のポップカルチャー、マンガだラノベだアニメだゲームだのジャンルには、とんでもなくずれた世界が沢山出てきます。そういうのに多く触れた人たちはきちんと訓練されていると思いますし、でなければ付き合ってられません。
 コンピュータのプログラマにそういうものを好む人が多いことは実体験として感じていますが、それは、彼等が「仮想化」という観念に馴染んでいるからだと思います。
 でもまあ、新しい世代はその辺りしっかりしているんじゃないかと思うので、そういう文化、カルチャーは、これからもどんどん発展していくんじゃないかと感じてたりします。ちゃんと折り合いを付けながら。

 そういう意味では、現実を大事にする人たちこそが、現実と仮想の区別が付かなくなって、問題の火種になるのかも知れません。

tag : 仮想 ポップカルチャー

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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