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創作観: マクロとミクロと物語

 しばらく前に「彼等は何に抗うのか」というエントリを書きました。
 そこで書いたことを簡単に言うと、物語の中で主人公などの登場人物に降り懸かる例えば天災だったりその世界のルールだったりするもの、乗り越えるべき苦難は、描き方によっては物語を成立させるための「お約束」、ある意味での「ご都合」になってしまうという話です。
 それをうまく表現するための方策としては、まあバランスが大事なのかなという位に思っていました。

 別にそれが違うというわけではないのですが、別の方向、もしくは次元に策を見出すことができるかな、というのが今回の話です。
 それは、例えば「トヨタは松下になれるか?」に書いたようなマクロ経済がどーしたこーしたという話から連想したものです。サンプルとしては有名どころとして『まどマギ』とか。

 そのトヨタが云々の中で私は、経済のマクロとミクロの違いについて、必ずしも大きさ、規模の問題ではないとしました。それはつまり閉じた系と開いた系である、と。例えば合成の誤謬が生じるのは、自らの行動が環境に影響を与えない前提で最善とする判断と、全体としてどうなのかという観点で合理的かどうかが食い違うということですし。
 勿論、経済にしても物語にしても、完全に閉じた系というのはないでしょう。というかそこまで考慮できる存在があるとしたらそれは神でしかないわけで。

 上記にサンプルとしてまどマギを挙げましたが、あの話の中で魔法少女達を縛るルールはその世界自体にはさほどなく、多くはキュゥべえが設定したものです。作品の世界に組み込まれたルールはともすれば、超越者、つまり作者とその人物と同じ次元に棲む読者/視聴者の世界のものになってしまいます。ですがあの作品では、それをする主体が作中にいる。だから、「所与のもの」として理不尽さを感じさせるものは最小限に止められていると言えるわけです。
 それはつまり、最初に挙げたエントリで言えば登場人物達が「抗う」ものが、彼等と同じ土俵にいることになり、その世界の中で繰り広げられる物語の内側にやってくる「閉じた系」になっているということですね。

 何だか、経済と物語という違い以上に、どうしてそう思ったのかよくわからない程違う世界につながりを見ちゃった話ですが、連想って実際そんなもんじゃないかなーなどとも思ったり。

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Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
 

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