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独り言: 言葉の意味を気にしようよ

 本エントリは「論理学は国語の授業でやるべき」の続きと言ってもいいかも知れません。何かを論理的に考えるときが典型的なケースと言えるであろうからです。

 言葉は単なるラベルなので、人とか時とか場合とかによって意味が違ってくることはよくあります。だから、使うその時々で定義を気にする必要があります。
 ということを誰もがみんな知っているはずなのに、どうもあまり気にしていないのが不思議不思議。

 例えば「恥」。
 なんでそれを題材にするかというと、当ブログ「水響風」は一応アダルトということにしてあるので。エロの規制に関しては何度も触れていますしね。
 保守を自称する方々はどうも、エロが大嫌いみたいです。一所懸命表現を規制したがります。「美しい国」にはそんな穢らわしいものはあってはならないとでも考えているのでしょうか。おかしいですね。国造りをした神様がセックスの仕方で悩んでたり、別の神様はストリップでみんなを笑わせたりしているような国なのに。そういえば近親相姦の表現を禁止(ただし漫画等に限る)した自称保守がいましたっけ。
 それはさておき、その規制の辺り、サヨというかリベというかそういう人たちは別の理由でエロを規制したがっているので、奇妙な利害の一致があるようで。
 なんかこのような奇妙な一致ってつい最近も見ましたね。いやヘイト規制のことですけど。

 エロはやはり、「恥」と切り離せない概念です。でも、性に関わるものが「恥ずかしい」理由は一体何か?
 それは、秘すべきものだからです。というかそういうことになっているからです。
 ところで、その「恥」という言葉は、例えば「恥じ入る」などという表現が使われる場合が主だと思いますが、劣っていることを引け目に感じるような時にも使われます。
 思うんですけど上記の彼等、それら二つの概念が、同じ「恥」という言葉でつながっちゃってるんじゃないんでしょうかね? 私はそんな風に思ったりするんですけど?

 まあこれは単なる邪推なんで、例としてはあまり適切ではないかも知れません。ただ言ってみたかっただけで。
 でも、これが事実であれ勘違いであれ、それと同じような構造はよくあるように思います。言葉が同じであるがために違う概念が混同されたり。
 それも結局、言葉の意味をあまり考えていないからでしょうね。つまり言葉を使う、シーンとしては物事の仕組みを気にするときとか論理的に考えるときとか、そういう時にちゃんとやっていないということでしょう。構造があってそれにラベルをつけるのではなく、まず言葉がある。
 どっちが原因でどっちが結果だかよくわかりませんが。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
 

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