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読んだ: 『OTAKUエリート』感想

 この手の本はいくつか読みましたが、これはかなり読みごたえがあります。


 勿論、新書本なんで分量は大したことないんですが、内容がという意味で。とても重要な点を突いていると思います。
 これまでここでレビューしたりした中では、三原龍太郎氏なんかはどうも型に填ってるというか分析の視点に目新しさがない気がするし、故・櫻井孝昌氏はどちらかというと実務家・活動家だったし、中村伊知哉辺りは実は著作があるかどうかすら知りませんが勝手に騒いでろいややっぱりやめろ邪魔だからという感じだし。ややジャンルのずれた番外として佐々木俊尚氏なんかは読んでるとどんどん突っ込みを入れたくなってくる感じだったし。
 まあ、もしかすると感性の問題かも知れません。いかにも理系らしく、この人は言葉に惑わされないところがあるようです。

 理系一般やIT系の特徴として、まず言葉の定義から入りたがるようなところがあると思います。実は前者についてはここでは自明で、何故なら私は、そういうところを理系の人と見る必要条件としているからです(笑)。
 本書でも、「はじめに」の冒頭で既に「「ドラえもんがアジアで人気だ」といった話とは全く違っている」というような表現を、また提言や警告も含めたまとめとも言える第5章で「混ぜるな危険」というような表現を用いているように、言葉や呼称と実体や実態のずれを常に意識しているように思います。
 いや、意識はしていないかも知れません。多分、それを指摘することは当たり前のごく普通の行為なのでしょう。
 実際、例えばIT系の比喩を用いるならば、こういう話題が出るときのTCPとMP4を並べて語るような珍妙な文脈の多さに私も違和感を覚えていました。

 この本の副題には「アキバカルチャーが……」とありますが、これも注意が必要です。文脈からするとここで言っているのは文中で言う「グローバル・アキバカルチャー」であり、それは成り立ちからして違い、従って主導権がどの辺りにあるかも異るものであるからです。
 同じように、タイトルの「OTAKU」も「オタク」とは違うものでしょう。

 ちなみにこの本、構成もわかり易いですね。氏の経験を題材にした発端から時代を追って様々な「グローバル・アキバカルチャー」的なものの成立を例示し、それが極まった第4章からまとめに入る第5章「アキバカルチャーのターン」では一気に文体まで変り、それまでの章で示され、峻別された概念をベースに警告を含めた提言とまとめが示されます。
 文章の構成の仕方も理系っぽい(笑)?

 さて、その第4章までの様々な事例の紹介もそれだけで面白いのですが、そこで共通して示されているのが、というかそれを示すために適切な事例を選んで並べたのでしょうが、本書で「グローバル・アキバカルチャー」と命名されているものと、日本でオタク的な文化を語る文脈で出てくる「アキバカルチャー」の違いです。
 勿論、それが同じ「アキバ」を冠するのには理由があり、その受け皿である感覚・感性に大量のネタを投入してきたのが日本の文化であることは確かです。
 では何が違うのか。それは、まずコンテンツがありそこから発展した国内のものと、ネット(インターネット以前から)を出発点とするサイバーカルチャーベースの海外のもの、というところに至ると思います。
 これも「らしい」と言えるのですが、その構造については第1章冒頭(p.30)付近に既に図入りで説明されています。

 そういう意味では、この「グローバル・アキバカルチャー」ではややもすると所謂ウインブルドン現象のようなことが起きる可能性もあると言えますね。そこで日本的なものが流行していることは、必ずしも日本の存在が必須であることを意味しませんから。
 実際文中でも、このような指摘があります。

 こうしてアキバカルチャーが言語や現実の壁を越えて世界で共有されるようになる一方、その発信元として認知されてきた「日本」という存在が徐々に霞み始めている。(略)
 少し前までは、ネタが「日本発」であることがアキバカルチャーの必須条件だったが、今やネタとなる部分が日本製かそうでないかは、もはやどうでもよくなっている。

(p.119)

 これは、氏の言う「グローバル・アキバカルチャー」の成り立ち、即ちサイバーカルチャーが「アキバカルチャー」をネタにして発展してきたという来歴からするとそうおかしな話ではありません。

 以前、「『クール・ジャパンはなぜ嫌われるのか』感想」という感想を書きました。そこで書いたことは我ながら詰めが甘いというかまとめ切れていないというか、ちょっともやもやしたところがあります。
 多分、そこで感じたことを突き詰めていくと、先日のエントリ「目指せ!縦割り社会」じゃないですが羽生氏の言う「混ぜるな危険」とか、或いは同じ第5章にある「萎縮」「オトナの介入」などといったキーワードに辿り着くのではないかと思います。そういえば先日(2016-01-15)放送されたラピュタの『バルス祭り』なんていう例が思い起こされますね。

 まとめ部分には、所謂グローバル人材(笑)への警告めいたことも書かれています。まず前提として「世界を相手にできるだけの教養」が必要であり「その基本が自国文化に関する知識と理解である」とさらっと重要でありつつ疎かにされがちな常識が書かれていますが、本書の文脈だと、ビジネス等で関係を持たなければいけない相手にOTAKUが登場することになるわけで(笑)。
 そして、そんな真面目でありつつ笑い話のような想定に、我々が世界から何を求められているのか、我々はどうあるべきなのかという提言が続きます。

 それは、至極真っ当でありつつ、しかもオタクだなんだと関係なく一般に言えることでありつつ、しかし実際には昨今の社会情勢を見るに困難を伴うと思われることです。
 あえてそうしているのかそんな意図はないのか、それはわかりませんが、わざわざそんな当たり前のことを書いて終わるというところに、遠回しに何かを伝えているようにも思えますが、さて。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
 

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