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アニメ: 2015夏アニメ感想(12.99C) 『がっこうぐらし!』について

 この夏のアニメ『がっこうぐらし! 』には大変ハマってしまったわけですが、では一体どこが私にとってそんなに良かったのか。
 そういった観点から、つまり誉める前提(笑)で本作についてちょっと語ってみたいと思います。

○ どのように構築されているか
 コンテンツと配信プラットフォームが違うように、その構成の方を見てみると、あのようなテーマなのに本作は極めて巧緻に構築されています。全12回のシリーズ全体の構成、流れ、伏線、ヒント、符合による符号。エピソードの並びや組合わせ方にかなりの工夫が感じられます。
 人物配置についてもそうですね。最終話でみーくんが言っていたように「自分の力を信じて努力する」人、「苦難に立ち向かう勇気」を持つ人、「どんな時にもくじけない、明るい心」を持つ人がいて、また本人は多分、実直に真面目に学ぶ人。そこに、導き支え助けてくれる人、面倒を見てあげる対象がいます。言ってみれば、正八面体のような立体構造ですね。
 このような、物語の展開(時間方向)、人の在り方や関係(空間方向)に、かなり明確な構造が見られます。

 最終話でゆきが行なったアナウンスで事態が打開される理由も、しつこい程繰り返された≪かれら≫の習性に依拠していますし、そのアナウンスで語られた「がっこう」の魅力も実は第一話のゆきのモノローグと相応しています。

 そして、終り方。それまで、学校そのものを象徴するような極めて閉鎖的な空間のみが描かれていたのが、部員の卒業によりぱぁっと一気に拡がります。それは、場所が移るだけでなく外の世界とのつながりもです。つまり、最終話のCパートです。

 こうした拘った作り込みというものからはやはり、その巧みとしての技を感じます。

○ 何が描かれているか
 そんな、コンピュータのオペレーティングシステムみたいに細部まで緻密に設計されている本作で描かれているのは、極めてアナログ的な、人間的な、ふわっとしたものでした。

 実は、見た人がこの作品を評価するに当り、ここのところで結構際どい道をすり抜けないと楽しむことができないように思います。
 勿論、こういうタイプの話が好きか嫌いかということもまず第一にあるのですが、評価の観点、物差しがずれているとやはり良いと思えないでしょう。本作は、
  • ぽわぽわした日常もののようでいてそうではなく、
  • ホラーのようでいてそうではなく、
  • サイエンス・フィクションのようでいてそうではなく、
  • サバイバル系のようでいて実はそうではない
んですね。
 結局、その舞台はどうあれ本作が描いたのは、友達が、先生が、学校が好きというその想いが主題であったし、それは極めて優しく描かれていました。例えば、最終話で圭(多分)が下校時刻になっても独りだけ居残っていたことも、多分。
 そしてまた、#11での主人公たるゆきとめぐねぇの「対話」が象徴するような、成長の物語でもあります。

 そのため、例えば大人であるめぐねぇも決して強大な力でみんなを助け出すこともできず、SF的な設定は状況作りと学校暮らしを成立させるための説明でしかなく、≪かれら≫にしても脅威ではあってもやはり元々は友達で。
 だから、本作が何であるとして見るかによっては、どうしても中途半端に見えてしまいそうですね。そこのところで適切な物差しを用意できるかどうかで、楽しめるかどうかが決まりそうです。
 もしかすると多分、世界の設定としてのSF的な部分は逆に極力触れないようにしていたのではないでしょうか。でないとどうしてもそっちの種明かしを期待してしまいますし。また、窮地に追い詰められたことで生じる軋轢のようなものもほぼなかったと言えます。これも、観点によってはちょっと描写が浅いように感じられてしまいそうですね。

 学園生活部のメンバー(部員だけでなく)の想いに主眼を置いて本作を見るとき、多分最大の評価ができるのだと思います。

○ どのように描かれているか
 やはりテーマがそのようなものであるということなのか、キャラデザや配色もゆるふわっとした感じになっていますし、キャスティングもそういう方向で選ばれている感じがしますね。

 演出面では、特に音楽が特徴的と言っていいのではないでしょうか。本作が一体何であるかということに則ってなのか、危機的な状況でも重々しい曲を使わないんですね。また、こんな重たい話なのに、やはりEDテーマ曲(たまに変りますが)はあくまで優しい歌だし。

 歌と言えば、OPテーマ曲『ふ・れ・ん・ど・し・た・い』も冒頭に「「すき」って言ってみた (だいすきっ)」という歌詞がありますし。また、歌詞に注目するならば、最終話のゆきのアナウンスが「またあした」という言葉で締めくくられたことは、EDテーマ曲『ハーモナイズ・クローバー』に出てくる「また聞かせて 魔法の言葉 “またあした”」という部分と対応しているのでしょうか?
 細かいところに目を配ると実に色々なところに何か深い意味のありそうな事が描かれています。多分、私自身まだ気づいていないことも沢山あるでしょう。例えば、今日BD第1巻を見てみたんですが、ゆきの世界での授業中の黒板の文章とか。
 そういうところがあるとやはり、作る側の念の入れようを感じます。

 ただ、例えば、これはネットにあった指摘で気づいたのですが、
gakkou_12_46.png
この時ガラスに映っているのは一体……?
gakkou_12_47.png
 黒板の文字に気を取られてなんかスルーしてましたが、置いてきたくまさんが倒れていることと、また寄せ書きにあったゆきの「卒業してもずっと一緒だよ!」というメッセージと、何か関係が?
 こういう辺りは、伏線とか物語のヒントと同じに考えていいのかどうなのか。微妙なところで判断がむずかしいですね。

 お遊びと思えるもので言えば、例えばゆき達が食べていた「うんまい棒」
gakkou_2_1.png
は、ニトロつながりでまどマギ
madokamagica_9_1.png
と関係があったりなかったり(笑)?

 まあそういうのはおいとくとして。

○ やっぱり
 結局のところ本作のどんなところに惹かれたかと言えば、やっぱり上記の「何が描かれているか」で。
 極めて緻密に構築された作品であるが故に、そこに描かれている想い、情に訴えかけてくるものがとても強く迫ってきます。
 そういうところが、やはり凄いなぁ、と感じました。

tag : アニメ

コメント

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No title

>何が描かれているか

最終話を観終わった後、ネットでいろいろと感想を見ていると「ゾンビ化現象の謎が明かされなくて不満」という意見がありました。

あぁなるほど、と。そういうことに重きを置いて観る人もいるんだな、と。

僕なんかにとってはこの作品におけるゾンビ化現象は「学校という閉鎖空間で生きる少女たちを描くための舞台装置」程度の認識だったのですが、この作品を「ゾンビもの」として観ていた人にとっては不満が残るものだったのかもしれません。

まぁメタ的な言い方をすれば「原作で明らかになってないものをアニメで明らかにするわけないだろ」で済んでしまうんですが(笑)

原作はともかく、少なくともアニメにおいては多分、おそらくきっとゾンビ化現象は主題じゃないんだと思います。ましてやゾンビと戦うのが目的でもないでしょう。
水響さんもおっしゃる通り、このアニメで描きたかったのはきっと「絆」とか「成長」とか、そういった“甘い何か”だったんじゃないかな、と。

Re: No title

> そういうことに重きを置いて観る人もいるんだな、と。
そう、まさに本文に書いた「結構際どい道をすり抜けないと楽しむことができない」というのはそういうことです。
例えばSFのようなつもりで見ていると、結局主題である(筈の)謎の解明が行なわれないので、未完成の作品になってしまうんですね。

> まぁメタ的な言い方をすれば「原作で明らかになってないものをアニメで明らかにするわけないだろ」で
原作者がどのような想定をしているかはまだ完結していないしちょっと不明ですが、多分、アニメ版はまた原作とも違うジャンルなのではないでしょうか。
そう感じるのは、これも本文中に書きましたが、登場人物の軋轢のようなものとか、そういう部分が削ぎ落としてあったからです。

> このアニメで描きたかったのはきっと「絆」とか「成長」とか、そういった“甘い何か”だったんじゃないかな、と。
私はそのように受け止めたから楽しめたし、逆に言うと、どうも楽しめなかったのはそのように受け止められなかった人のように見えます。
そういう“甘い何か”を描くものとして見てみると本作は極めて緻密に作られており、となるとやはり、アニメのスタッフはそういう作品であると定義して(し直して?)作り上げたのではないかな、と思います。
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水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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