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独り言: 欧米人の言う表現の自由は弱い者いじめの道具なのか?

 パリでのテロに呼応して発生したデモには、370万人もの人が参加したという。これはもう古い情報なので、実際にはもっと多かったかも知れないし、各国の首脳も参加することで質量共に大規模なものとなった。
 彼等は「表現の自由」のために、と叫んでいるが、しかしそれは一体何なのか。

 遠く極東の片隅から見ていると、私にはこんな構図に見える。
 そもそも彼等「西洋人」が、欧州内や中東の方のことで反省したのか何やら自分勝手な理想をぶち挙げ、それに反対する者をナショナリストだの極右だのと呼んで封じ込めて、例えば、EUのような壮大な社会実験を始めた。自由と平等の理想に従って膨大な数の移民も受け入れた。
 しかし、その移民が気に入らないとなれば排斥運動を始める。
 結局、彼等の綺麗事に巻き込まれ、迷惑を被ったのは、主にムスリムの人たちではないか?

 デモの参加者が掲げる「表現の自由」にしても、そのような理想を掲げている割には、ここから先はいけない、と勝手に線を引く。例えばBBCがやっているように。

 彼等は言う。これは暴力ではないから、と。
 それで思い出したのが、バーミヤンの仏像の破壊だ。確かにあのような自分勝手な行為は許しがたいと感じる。しかし、今回の「風刺」は宗教を題材としたもので、元々形のないものだ。まして相手は、偶像崇拝を厳格に禁じる教えを信奉しているのではないか。
 であれば、それに対する口撃を暴力と区別するのは、表現の自由に対する冒涜ではないか?

 彼等の掲げる理想は彼等の理想であり、違う思想を持つ者の理想は「理想から外れている」。
 結局のところ、彼等のダブルスタンダードは、その偏狭さが昔から全く変っていないことを如実に表している。
 ならば、私も線を引こうではないか。

 このような記事があった。
 この記事では、「欧州の風刺漫画は「ヤワじゃない」」とし、対して日本のメディアは弱腰であるという。

 日本は、どうなのだろうか。2014年には、『美味しんぼ』(原作・雁屋哲、作画・花咲アキラ)の描写が問題になった。登場人物が福島第一原発の取材に行った際に、原因不明の鼻血を出す場面などが描かれたことに対して、読者から「風評被害を助長する」といった批判が出て、舞台となった福島県双葉町が出版社に抗議する事態になったのだ。出版社は、連載を続けるとともに、「ご批判、お怒りは真摯に受け止めて、表現のあり方を今一度見直していく」といった釈明を雑誌に掲載した。

 「原発問題でも、海外からたくさんの風刺漫画が送られてきましたが、奇形とか甲状腺ガンとか、それこそ『住民感情を損ねる』ようなものもありました。日本のメディアで掲載するのは無理でしょうね」と、山井さんは言う。

 山井さん自身、今回の原発事故が起きる前に、新聞の4コマ漫画で、サンタクロースが原発の煙突から入ろうとする絵を描いたところ、担当者から「煙突の煙が出すぎている」と言われ、煙の色を薄くしたことがある、と明かした。「日本のメディアは、批判が出る前に自主規制で文句が出ないようにする傾向がある」と言う。

 この件については後段でもう一度触れるが、ここでは反論をする。
 表現、言論の力には、強弱がある。どんな理想/綺麗事をこねくりまわそうが、言論の世界にも強者と弱者がいる。これは事実だ。
 例えば私がここで何を述べたとしても、多くの賛同者が出るとは思えない。所詮匿名であり、権威もなければそもそも海のものとも山のものともつかない、臆病な卑怯者だ。そして、何の間違いかもし仮に賛同者が多く集まったとしても、彼等を言葉巧みに煽動し先導し船頭を務める能力はない。そのことは、この稚拙なレトリックにも表れている。

 上記の記事の漫画は、強者が表現したものだ。そして、強者の掲げる理想のために利用され、攻撃に巻き込まれて被害者となったのは、弱者だ。フランスの風刺漫画でも似たような構図が見られる。巻き添えとなったのは、ムハンマドやその崇拝者だ。
 これは、強者によるただの弱い者いじめではないのか?

 表現、言論の強者が、弱者を嬲ることは許されない。
 私は、そこに線を引きたい。

 ただ、ここで心しておかなければいけないことがある。
 弱者は、彼(等)に対してて配慮を求める声に強制力が生じたとき、一気に強者となる。反転は容易で、これは、実際に我が国の中でも随所に見られることだ。
 そのような「強者」のためについ配慮してしまうことは、「弱者」となってしまった側には多々あるだろう。ただ、上記の記事で日本のメディアの自主規制が批判されているが、私は、それはやや違うのではないかと感じる。
 日本のメディアが批判されるべきは、本エントリで表現しているような意味ではなく、もっと物理的な意味での強者、例えば色々な意味での権力者に媚び諂い阿って「自主規制」する、そのような点ではないか。表現、言論の強者が権力者とタッグを組んで弱者の上に君臨するとは、一体何のためのメディアなのか。

 もう長いことアフリカで紛争が多発しているが、その理由を象徴しているのが、何カ所にも見られる、一直線に引かれた国境線なのではないかと思う。
 フランスで、テロにより人が殺害された。これは結局は、そのことと似通った問題なのではないか。
 その場所がフランスであり、また近年問題が多発している場所の一つがスウェーデンであるということ、これらもまた、象徴的であると言えるかも知れない。

 彼等の言う表現の自由は、結局のところ誰の自由なのか。
 そのような問いを発したくなる理由は、彼等の本質の部分にすでにあるのではないか。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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