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読んだ: 『性の進化論』感想

 こんな本を読みました。

性の進化論――女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?
クリストファー・ライアン カシルダ・ジェタ
作品社
売り上げランキング: 19,101

 かなり興味深い本です。ただ、文章にちょっとクセがあって読みづらいですけど。訳のことではなく、文章の構成が。

 なんというか、なるほど、と思わされる指摘が多いです。例えば、伝統的な一対一の男女関係が普遍的であるのであれば、浮気や不倫が絶えないのは何故か? そもそも人はそういうことをするものなのではないか?
 そういった指摘が、常に客観的な事実に基づき、思想に囚われず数多くなされています。驚くべきは、それが女性の性に対しても行われていることです。これはもしかすると、著者の一人が女性でなければ発表できなかったかもしれませんね。

 実際、参照している各種の研究を素直に解釈すると、伝統的な価値観というのが非常に無理のある考え方に見えてきます。勿論、その反対の結果が得られた研究があったりそもそもその研究に嘘があったりしたら?というのはありますが。

 ここでいう常識的、普遍的な価値観というのは、著者があちらの人であるためでしょうか、やはり西洋のキリスト教的なもので、その教えが指し示す「あるべき姿」です。そして、そのようであるよりも、人が元々そうだったらしい姿の方が、現実の人に合っているように感じられます。
 なおかつ、西洋的な考え方に晒されていない社会には、つまりキリスト教的なあるべき姿と掛け離れた社会には、西洋よりもうまく行っているケースが多々あるようです。だから、西洋的な理想が本当に「あるべき姿」であるのかも疑問です。
 そういう意味で、この本は一つの「解」を示していると言えます。そして、常識的な考え方よりも「正解」らしい。

 彼等が目を付けた事実、それは、多くは実際に人間の身体などに特徴として現れているものです。睾丸の大きさ(p332)、射精の化学(p340)、ペニスの形(p351)、セックスの仕方(p352)、そして農耕以前の社会の研究(第III部)。
 それらが指し示すのは、人間の「性」は、当然と思われているような一夫一婦制が自然であるとは言えない、ということです。そしてそれは、一夫多妻が自然であるということでもありません。多対多の組み合わせこそが、自然であり理に適っているというのが、この本で示された「解」です。
 女性(雌)をめぐる争いは、人間の場合、個体が行なうのではなく、女性の胎内で行なわれているのだ、というわけです(p397)。

 例えば、このような逸話が紹介されています。これは、イエズス会の宣教師が、不貞がはびこっていることの恐ろしさを、古くはモンタニェ・インディアンと呼ばれたカナダの先住民の男性に説いたときのことです。

その回想にこうある。「私は彼に言いました。女が自分の夫以外の男を愛するのは、それが誰であれ立派な行ないとは言えない、そんな悪行がはびこっているから、夫はそこに自分の息子がいても、それが自分の息子であるという確信が持てないのだと。すると彼は、こう答えたのです。『それは間違っています。あなた方フランス人は、自分の子どもしか愛さないかもしれないが、われわれはこの部族[トライブ]のすべての子どもたちを愛している』と」。

(p158)

 一理ありますし、西洋の社会がこの問題の回避のためにわざわざ社会的な仕組みを構築しているのは、実に遠回りに見えてきます。漁師に声をかけた旅行者の寓話のように。
 また、日本も昔はこれに近い社会だったのではないでしょうか。

 さて、この本で引用されている研究はそうしたことに止まらず、例えば性的指向に関する男女差のようなものにも及んでいます。
 例えば、女性の性愛の可塑性(つまり変化しやすさ)は男性に比べて高い(p408)。そのことについては、エロティシズムを感じさせる映像を見たときに感じたことについての自己申告とその際の身体に現れた変化との比較を調査した結果なども引用されています。
 ここから一つには、女性の場合、実際に身体がどう反応しているかとは別に、観念が違う答えを出させることがあることが推測されます。これは、西洋の女性が伝統的な「あるべき(とされる)姿」を体現していることの理由でもあるかもしれません。

 しかし、それよりも興味深いのは、男性の場合です。男性のエロティシズムは、一旦刷り込まれてしまうと生涯変らないことが多いというのです(p419)。

 ここから少し思ったことがあります。
 西洋の場合、「罪」との関連性を強く意識させるため、性と犯罪が結び付きやすいのではないか。このことは、こういった報告にも結び付いているように思えます。

「身体的な快楽が奪われていること──人生のどの時期においてもそうであるが、とりわけ幼児期、児童、思春期それぞれの形成期に身体的快楽を禁じられること──は、戦争や個人間の暴力の量に密接な関連性があった」という。母親と子どもとの間の身体的な絆を妨げない文化、思春期のセクシュアリティの表現を禁じない文化は、暴力が、個人間においても、社会間においても、はるかに低い水準にとどまっているらしい。

(p426)

 性に関して言えば、こういう本があります。
裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)
中野 明
新潮社
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 隠し、秘すことが結局淫靡さを演出し、奇妙な引力を生み出しているというわけです。

 一方日本の場合、罪というよりも「不健全」とされることが多いようですが、そのことが性に結び付けるものは、感覚的には、清潔さや純粋さなどにであるように思えます。
 それで思い出したのが、こういう本です。
セックス嫌いな若者たち (メディアファクトリー新書)
北村邦夫
メディアファクトリー
売り上げランキング: 153,466
 ここで紹介されている理由は、必ずしも潔癖さだけではありませんが。

 そんなわけで、今回紹介した『性の進化論』の全体的な印象を述べてしまえば、要するにどれも西洋、というよりもキリスト教の弊害ってことじゃないの?ということになってしまいます。西洋人の、病気で熱が出たら水に浸って冷やせばいいじゃない、みたいなところです。それと、理想主義みたいなところですね。まあ、その元となったユダヤ教がどうなのかは知りませんし、同系統のイスラム教などは半歩くらいそこから離れているようですが。
 聖人だけが住む世界を地獄と呼んだのは誰だったか忘れましたが、現代の、西洋の影響を強く受けた社会は、聖人だけが求められるために誰もが弾き出されてしまったような所が多いように思えます。また、グローバル化と称して何でも無思慮に混ぜようとするのも、これも西洋の思想というか理想のように感じられますが、結局そのような社会の規範は(最大?)公約数、もしくは私のなじんだ世界の言葉で表現すれば論理積にならざるを得ず、どんどん窮屈になっていかざるを得ません。
 そういうことが、不安定さ、生きづらさ、息苦しさ、そういったものを醸し出しているのではないでしょうか。

 性の問題に限らず、理想的、言ってしまえば綺麗事が生み出すのが、こういう話なのかも知れません。
漂白される社会
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 結局、人はまだ西洋的な人の想定した普遍的で理想的な在り方へ「進化」していないわけですが、そもそもそれは、進化の方向として正しいのか。
 西洋、特にキリスト教的社会が招いている他の文化圏との衝突を見ていると、そのような疑問を抱かずにはいられません。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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