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独り言: 生命、水、論理

 内容がないエントリなので、タイトルだけでもちょっと格好つけてみました(笑)。よくありますよね、こういう風に三つの単語を並べたやつ。

 何かというと今朝の日経新聞にあったネタなのですが、でも経済とは関係なく、またそのコラム記事の主題となっている話でもなく、常々思っていたことをふとそれで思い出したので。
 それは、15面にあった「氷の星、なぜ内部に海が存在?」というタイトルのもので、突っ込みを入れるのはその内部海の話ではなく、水と生命の関わりについてのちょっとした表現に対してです。

 終りの方に、こういうことが書いてあります。

 内部海も含めれば、海を持つ惑星や衛星は宇宙に数多くありそう。「生命の可能性のある星が大きく広がった」と横浜国立大学の小林憲正教授は解説する。
 以前は生命に必要な液体の水が表面に存在できるような太陽からの距離、いわゆるハビタブルゾーン(生命生存可能領域)の軌道の惑星が主な候補だった。

 引用は、文章としては中途半端ですが、文脈そのものは今回は関係ないのでここまでとします。
 ここで、「解説」している小林教授の話と、後続の文に微妙な違いがあるのがわかります。前者では、水があるならば生命が存在する可能性が高いということを言っていますが、後者は、生命には水が必須であると言っています。
 同じようですが全く違うこの二つの文が、当然であるかのように並んでいることには、違和感を覚えずにはいられません。

 我々は、生命の存在を知っています。我々自身を含む地球の生命体群のことですが、それらにとって水が必須であることはまあ間違いないでしょう。だから、存在が確認されている唯一の形態、つまり水を必須とする生命にとって、液体の水がある惑星等はそれが存在するための条件の一つをクリアしています。
 だから、海を持つ惑星等の数がこれまで考えられていたよりも多いのであれば、生命の存在の可能性も高まる、というわけです。

 しかし、我々が知る唯一のタイプ(つまり地球に住むもの)がそうだからと言って、水がなければ生命は存在しないとも言えないわけです。勿論、水が必須ではないとも言えない。
 つまり、知られていないことは「わからない」。

 様々な場面で、このようなやり取りが見られます。解説をする人が今回の小林教授のようなことを言い、受ける人が生命には水が必須であるという前提の元に話を継ぐ。しかし、その時点ですでに、内容が変質しています。

 ドラマ等によく出てくるし、私は実際には知りませんが現実にもいそうな人物の持つもので、科学的に確認されていないことを「非科学的」であり間違いとする考え方があります。そして、そういう考え方が「科学的」であるというような見方も。
 まあ科学的という表現がどうかはおいておいて、これまでに得られている知見で存在が証明されていることは、実在すると考えるのが現実的には妥当でしょう。
 しかし当然ながら、それにより存在しないことが証明されていないものは、存在が否定されるわけではなく、「わからない」だけです。勿論、存在が証明されていないだけのものもそうです。

 まあ、現在の(科学的)知見で存在しないことが証明されていることは「非科学的」と言ってもいいかも知れません。でないと、その言葉の存在意義そのものがほとんどなくなってしまいますし。でも同様に、存在しないことが証明されていないことを非科学的だと否定するのは「非科学的」なんではないでしょうかね。

 ここでは平仄を合わせるために「非科学的」としましたが、どちらかというとこれは論理的でないという意味合いで言っています。

 水と生命の関係については、知る限り大昔からここで指摘したような状況だったので、多分今回のような話も同じように大昔から散々なされてきたものと思います。「非科学的」という言い回しも同様。
 なので、本エントリ自体「何を今更」という内容になっているわけですが、実際、逆、裏、対偶みたいな基礎中の基礎と同レベルの話だし、それどころかベン図でも描ければ問題ない話とも言えます。
 ただ一つ、「わからない」という状況を許容できるのであれば。

 以前に何度か、科学万能主義は科学的でないと言ったと思いますが、それも同じような話です。

 内容がない割に随分長くなってしまいましたが、あまりに当たり前のことって逆に表現が難しくなるのと同じかも。
 でも、昔も今も変わらないんですよね。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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