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創作観: アニメ『デート・ア・ライブ』のイマイチ感について

 今期(2013年春期)始まったアニメ『デート・ア・ライブ』ですが、個人的にどうにも、あまり話に乗れません。
 世界に危機を招いている精霊とデートしてデレさせ、危機を回避する?
 …………。
 アホか。

 ところで、まあ例を挙げようと思ってもすぐに出てきませんが、これよりもずっとアホらしい設定の作品を、私はいくつも楽しんできた筈。では何故、本作ではそのアホらしい設定に乗って楽しむことができないのか。

 以前何度か、作品の世界観というかルールというか、そういうものの話をしたことがあります。その主張を簡単に繰り返せば、創作物の世界ではどんなことでもありなので、何ができないかを決めておき、早期にそれを提示しておく必要がある、というものです。
 そこで使った例をまた使ってみると、推理小説の犯人が密室からテレポーテーションで逃げてはならない、とか。

 そのときは、その世界の設定の話と描写の仕方の話が少しごっちゃになっていたのですが、思えばその本質は後者であり、世界の成り立ちや決まりごとに限った話ではない、と思います。
 今回の『デート・ア・ライブ』で言えば、何故作戦を決めた彼らは、士道がデートして精霊をデレさせればいいという結論に至ったのか、それがわからなすぎる。
 どうやら、そこには色々と事情があるようです。例えばWikipediaなどを見てみると。
 しかし、これは創作物の世界。どんな理由も、それこそ理由などないということもあり得るわけで、こちらとしては受け止め方を決めかねてしまいます。

 とすると、とりあえずはデフォルトの感じ方、つまり現実的な目で見てしまいますね。
 結果どうなるかというと、……「アホらしい」という印象になってしまう。

 実際には読んでいないのでわかりませんが、恐らく、原作小説ではそうでもないのではないでしょうか。
 また、アニメでも、その「理由」となりそうなカットが一つでもあると問題なかったかも知れません。主人公の士道に何かあるのはまあデフォルトで伝わるとして、それがデートにつながるものである描写が何かあれば。または、単に作中で有力な登場人物がギャルゲー好きであるというだけでもいい。更にはそれが見せかけだけの嘘の理由であっても。

 ところで、書いているうちにこういうことを以前にも書いたのを思い出しました。「彼等は何に抗うのか」というエントリで、主人公達が乗り越えなければいけない何かが、単に主人公達が乗り越えるために存在している、そんな風に作為的に思えてしまうという話です。
 思えば、上記のWikipediaによると本作は「「秘密組織のメンバーが大真面目にギャルゲーをやっていたら」をコンセプトにして」いるとのことで、まずそれが「ありき」になってしまうのは当然なのかも知れませんが、そこでそうなっている理由についての説明が、基本すぎて疎かになってしまった、のかも?

 週一回放送のTVアニメという制作の形態上、ちょっと、多分シリーズ構成的に、何かが抜けていた。本作から私が受ける「イマイチ感」の理由はその辺りにありそうに思いますし、逆に言えば、それは多分本作に特有の話ではないのないでしょうか。
 ラノベなどに代表される作品世界では、突飛さというのが一つのウリである場合も多く、ならばそれをどうやって読者や視聴者に受け入れさせるか、それは重要なテクニックなのでは。例えば今期のアニメで言えば、『はたらく魔王さま!』なんてのはかなりぶっとんだ状況で物語が進行するわけですが、そうなるまでの事情について、飛躍しすぎず謎も残しつつ、一話でちゃんと描けていたと思っています。

 最初の段階で一足飛びの展開に置いて行かれてしまうと、結局、話そのものに乗っかることができなくなる。
 導入の描写がいかに大切か、という一つの例と言えましょう。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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