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創作観: 物語における「絶望」の描き方

 先日、アニメの感想で、『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』の真涼と『魔法少女まどか☆マギカ』のほむらに似ているところがあると書きました。
 ただ、それについてはただし書きを入れていて、二人の間には「薔薇と虞美人草」のような違いがある、としました。その原典はこの作品です。
さようならアルルカン (集英社文庫―コバルトシリーズ 52B)さようならアルルカン (集英社文庫―コバルトシリーズ 52B)
(1979/12/10)
氷室 冴子

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 この本の表題作の『さようならアルルカン』には、三人の特異なものを持つ、もしくは非凡な、高校生の少年と少女が主な登場人物として描かれています。主人公の少女も、決して平凡とは言えないでしょう。
 主人公の「私」(小田桐)はある日高校の図書室で、同学年の少年の宇野緒美と出会い、親しくなります。そして、彼が「私」と自分の共通点を表現したときの比喩が、薔薇と虞美人草でした。
 二人はいずれも『仮面の人生』を送ってきた。「私」は薔薇のように人を近づけず孤独を守っている。緒美は風の吹くままに揺れる虞美人草である。

 まあ、ほむらが薔薇はいいとしても、真涼が虞美人草はどうかという気もしますが、相手は限られていても一見まともに人付き合いしているということで。

 ところでそうすると、『さようならアルルカン』には、さやかも登場していることになります。
 真っ直ぐで「積極的」で正義感に溢れ、しかし絶望に敗けてしまった、柳沢真琴です。

 彼女を捜した。
 何をするというあてもなく、ただ彼女の姿を見て安心したかった。そのとき私は、彼女がこなごなに砕けてそこいらへんに散らばっているのではないか、と真剣に思ったほどだった。

(略)ふふ……ふ……長かったわねえ……十年ね。……十年も……私、むだに泣いてきたのね……いつか……いつかわかってもらえる……って……ふふ……」

 それが始まり──。
 その次の言葉を彼女がいうまでもなく、私にはわかっていた。きょうで終わりだ、と。
 彼女は崩壊した。

 その美しい輝きで「私」を魅了した真琴は、「自らにnot to beを命ずる道化者[アルルカン]になって」しまったのでした。
 それが中学二年の時。やがて「私」は真琴に意外な形で再会することになります。

 古今の様々な物語で、人は絶望して来ました。が、大概はそこから不屈の闘志で立ち上がったり、凄絶な死を選んだり、自らを守るために退行したり、あるいは翻って犯罪に手を染めたりしているように思います。
 考えてみれば、長く愛される物語というのはやはりそこに何か得るものがあったりするわけで、畢竟、絶望してそのまま潰れてしまう人物など残りにくいのでしょう。いるかも知れませんが、私などは文学作品を読みあさっているわけでもないので、ダイジェスト版の知識になると、そういう人物は省かれてしまうかも。

 しかし、私の思う「絶望」はやはり、「もういいや」というものなんですよね。最悪の形であっても行動したり、まして立ち直ったりするなどは何か違う。
 真琴の場合は、まだアルルカンであることを選びもしたし、「私」の手紙という鍵もありました。でも、方向性としてはやはり「これ」なんです。
 もう投げ出してしまい、「きょうで終わり」、と。

 それが表れているのが、以前書いた小説の『碧の森の住人たち』の譲の台詞です。

「譲さん! そんなことしたら、譲さんも捕まっちゃうでしょ!」
「私、もうね、そういうの、わりとどうでもいいのよ」
「──!」

 もう、どうでもいい。そのことを告げるのすらどうでもいいことで、自分の言葉でなくネットスラングですましてしまう。

 その表現の極致が、先に述べた『魔法少女まどか☆マギカ』の、さやかの魔女化のシーンだと思います。それを見たときの感想からちょっと引用します。

 酷いとか、怒るとか、恨むとか、そういうのは全てもうどうでもよくなってしまって、ただ、ああ、もういいや、と。
 私がそれを哀しいと感じたのは第三者が見ているからであって、そこには、哀しみすらないのではないでしょうか。
 それこそが、「心の死」なのかも知れません。

 魔女は、呪いで人を死に至らしめてきたようです。
 でもそれは、憎いとか、そういう、たとえ後ろ向きでも積極的な気持ちではなく、ただ、もういいや、何もかもどうでもいい、という気持ちに誘い込むものなのではないでしょうか。


 このシーンでさやかは「別にもう、どうでもよくなっちゃったからね」と言っていました。この作品では、そのとき一体何が起きるのか。
 アニメ作品なので、映像があります。再度、上記の感想のエントリから。
madokamagica8_dying1.pngmadokamagica8_dying2.png
madokamagica8_dying3.pngmadokamagica8_dying4.png

 これは多分、さやかの最も大切な想い出です。このとき、そういった、彼女を形作っていたものが崩壊していくのです。ここで描かれたのは、さやかの心のバラバラ死体とでも言うべきものかも知れません。

 ここでは、魔女化という現実の世界にはないことが起きているのですが、さて、それではこれは全くの架空の出来事なのか。何となく、これは現実に起きていることのようが気がします。
 これが私にとって「絶望」の描写としてとても印象深いものになったのは、やはり『さようならアルルカン』より得た印象と同質のものが行き着くところまで行った描写なのだ、ということなのだと思うのです。

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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