FC2ブログ

独り言: 行く年2015&来る年2016?

 このタイトルのエントリもついに6回目ですね。ということは、もうこのブログも明日が来ると足掛け7年になるということですか。

 例のFC2誤凍結騒ぎ以来すっかりおとなしくなってしまったこの『水響風』ですが、元々、その時の(2)にも書いたように中々書けるネタが少なくなってきていたというのもあり、そろそろ何か考えようかなと思っていたところでもありました。ついでに言うとその(2)のようなことは本エントリか来年3月の6周年の時にでも書こうかと思っていた内容です。
 ただ、あの騒ぎはどうも中途半端だったので、結局ここも中途半端な状態になっていたりしますけど。

 ブログ書き始めて一番感じたのは、テーマはどうあれ、何か文章にまとめるという作業は重要なんだなということでした。それ以前にもそういうものらしいと聞いてはいたのですが、実感しましたね。
 そういう意味では、ここは私的なメモであり、だからSEOなどは一切気を使っていません。アクセス解析を目で追えるくらいが丁度いいかな、みたいな感じでした。強いて言えばmetaタグのkeywordsでいくつか"-"を付けて書いているものがありますが、さて、効果があるのかどうかはわかりません。

 さて、例の凍結は禁止ワードによる検閲でお綺麗なことだけ許しましょうという方針を実装した機能の暴走のようですが、言葉狩りなんてあまりに馬鹿らしくて、まあFC2の立場もわからないではないですがだからと言って使えないものは使えないし。
 というわけで最近は真っ当なことばかり書いています。……私にしては、ということですが(笑)。

 ちなみにアニメの感想も、私のやってきた書き方は明らかに著作権法違反なので、権利者に配慮して……もしくはFC2(に脅威を与えている方々)の目を考慮し、停止しています。お行儀いいですね!

 今後については特に決めていませんが、凍結のときに書いたエントリの(3)にあるTorのhidden services(もしくはonion services)は実際にやろうと思ってこのところ色々調べています。どうせなら、単にサーバ借りてそこで動かすみたいな単純なものではなくもう少しややこしい構成にしようと考えています。
 ただ、それは技術的に試してみたいからやろうと思っているのであって、本格的にそちらに移行、という予定もありません。多分、一ヶ月か場合によってはもうちょっと長く、くらいでしょうか。
 全く未定なので逆にもっと短いかも知れません。例えば、Tor経由だと攻撃されてもどっから来てるかわからないわけですよね。怖いですね。まあ、Tor2webなんてのもあるのでその場合はまた違いますが。

 それにしても、『水響風』で最初に公開した(二次創作)小説『大黒エミリの風景[前編]』『同 [後編]』を書いたときには、作中に登場するソフトウェアのモデルであるTorを実際に使ってみようなどと考えるときがくるとは思いませんでした。試しに動かしてみるくらいのことはこれまでもたまにやっていますが。

 ところで、普通ならここらで来年の話に移るわけですが、さて、書くことないですねぇ(笑)。
 このブログのことについては上記のように未定だし、というか予定していることは書いちゃったし。ほんと書くことないですね。
 まあ、ほんの一時間ちょっとでも来年は来年だし、来年のことを話すと鬼が笑うと言うし。
 鬼が笑って何が困るのかもよくわかりませんが、そういうわけなので無理に何か書くこともなかろうということで、タイトルには「?」を付けたまま年を越すことにしましょうか。
 それでは。

創作観: 『ガルパン』を見て感じたリアルさ

 先日劇場版を見て、今日はBS11でやってた特番も見て思ったんですよね、『ガールズ&パンツァー』のリアルさについて。
 今回思ったのは、それは「実在する戦車や場所や建物等が出てくるため」かな、ということです。
 勿論これは、「実在する戦車や場所や建物等が出てくるため」という意味ではありません。

 ……あれ?……(笑)。

 まあ、ややこしいようでいて実際には一言で済んでしまう話なのですが、どうもそこまでの前置きは長くなってしまいそうです。
 というわけで、まずはその前置きから。

 リアリティについてはしばらく前に何度か、例えば「アイマス2騒動で思ったこと」というエントリなどで書いたことがあります。平たく言うと、リアリティと現実っぽさって違うよね、ということです。
 そういえば最近読んだ『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる 10』でもこんなエピソードがありました。鋭太の伯母の冴子さんの会社がいきなりなくなってしまったわけですが、それは、数年前から進出してたソシャゲで大失敗をしたからでした。
 その会社のパッケージゲームの通称『俺デレ』の登場キャラを使ったソシャゲが作られたのですが、外注に丸投げした結果とんでもない代物になっていたのです。

 冴子さんの不安は的中した。
 外注スタッフ制作によってリリースされたソシャゲ版「俺デレ」には致命的なバグがあったのである。
 人気ヒロインたち全員に、「彼氏」が実装されているというバグが……。

『だって、こんな可愛い女の子たちに彼氏がいないわけないじゃん。リアルでしょ?』

(p.145)


 リアルさとかリアリティとかと現実っぽさという表現は私が使い分けているだけであって、言葉だけ見るとどこが違うんだということになりますが。
 前者は、存在感……というとなんか印象の強さのようですね、実在感というか、そんな表現の方がニュアンスが伝わりやすいでしょうか。対する後者の現実っぽさというのは、我々が住む現実との類似性ということです。

 その実在感的なものを構築するのが、例えばその創作された世界の法則だったりルールだったりの存在と、それに従っている感じということになりますか。また、そのルールが「ありそう」と思えるかどうかというのもポイントですね。
 その法則というのが自然科学の分野のものだったりすると、典型的にはSF作品になるわけです。そういう意味で個人的に印象深いのは、ホーガンの『創世記機械』辺りでしょうか。

 さて、この辺りでやっと今回のテーマに入るわけですが。
 ガルパンを見てて感じたリアルさについて考えて感じたのは、その作品世界のルールをどうやって視聴者や読者に伝え、前提として受け止めさせるかということも創作においては重要だなということです。
 ガルパン見てれば、いくら搭乗者を保護する仕組みがあったって普通死ぬだろとか、建物ばんばん壊しちゃって建物の修復はともかく住んでる人の財産(つまり建物の中にあるもの)はどうなるんだとか、そもそも戦車のあの機動はいくらなんでもムリだろとか、突っ込みどころはいくらでもあります。
 でも、こういう娯楽作品なので、一々こんな設定があってと前置きするのはいかにも不粋で、そしてそれ以上に、作品の持つ娯楽性を損なってしまいます。つまり、入る前に興醒めしてしまいます。

 意図してのことなのかどうかは知りませんが、実在するものが沢山登場することで、その手順、つまり作品世界のルールを視聴者に伝える段階を大きく簡略化できるんですね。

 作中、画面上に実物(と感じられるもの)が登場する中で無茶苦茶ぶっとんだことが起きているという非現実感。この「ずれ」が、そこに現実との大きな「ずれ」が存在することを感じさせてくれるのです。
 これが、全くの架空の場所だったりすると、まずはそれが現実とどのくらい似ていてどのくらい違うのか、そこがそもそも不確定です。しかしそれが現実っぽい街や戦車だったら、座標軸や原点がはっきりするので、現実との違いがわかりやすい。
 こうなると、細かい設定を言葉で伝えなくても、まあ大体こんなところに何か設定があるんだろう、と受け止める側が想定することができるということになります。

 逆に言うと、それができない人はこういう作品の「非現実さ」を受け入れられず、つまり楽しむこともできないということになるでしょうけど。

 という風に考えてみると、これまではあまり気にしたことがなかったのですが、多くの作品で多かれ少なかれこういうことは行なわれていて、逆に、そういう現実との違いに違和感を覚えるような作品はその辺りがあまりうまくできていないかな、という風に感じました。
 何でもそうですが、無意識に感覚でやっているとどうにも手探り感があります。
 どういうことなのかを認識して行なうことは、失敗を避けることにつながるように思います。

独り言: 名前、呼称、ラベル

 この間、保守だのリベラルだの何だのの話をしましたが、呼び名と実体とか実態の間のずれってのは往々にして誤解や争いの元だったりします。定義って大事ですよね。
 そのような話は各分野に数限りなくあって、実際のところ、議論のときにはまず定義から入らないといけないんでは、などという気もしたりします。
 色んなところでそういう齟齬が生じるということを示す意味で、そんな中から、ジャンルが離れていそうなものを三つほど挙げてみましょうか。

 まずは、「神」について。
 日本語を母語とする者としては典型的には「神」と"God"の対応ということになるわけですが、考えてみると例えばギリシャ神話の神とユダヤ教(及びその係累)の神を対応づけちゃって良かったのかという、もしくは一神教と多神教と言ったときに「神」が示している範囲は同等なのかという話にもなってきます。
 多神教でいうところの「神」は、一神教の神と天使やなんかを全部含んだ部分なんじゃないかとか、spiritなんじゃないかとか、色々調べてみればきっとマッピングの問題点が見えてくるでしょうね。

 ところでちょっと話が脱線しますが、「現人神」ってのもまた誤解と争いの元になっていた気もします。天皇が神とされていた頃だったとしてもそれはGodではないし。
 そして更に脱線するならば、個人的に思うには王政復古は結果的にあまりよろしくなかったんではないでしょうかね。あの当時はそうせざるを得なかったのかも知れませんが、やはり権威と権力は分離したままの方が良いというのが自然にでき上がった智慧の結晶だったのでは。

 さて、では次に「SE」について。
 ここではシステムエンジニアのことですが、細かいことを言うと語尾に拘ったりする人もいますし、セールスエンジニア(笑)なんてのもありました。
 以前にも似たような話をしましたが、先日またITproの記事に関連する話がありましたし、ほぼ同時期に「SEを“技術者”と言っていいのか」などという対談記事がありました。後者はシリーズですけど。
 どうもこの木村という人は以前も指摘した通り、名前と実体の間の結び付きに関する柔軟性が足りないようで、結論に至るまでにかなり遠回りする傾向があるようです。
 この話でも、「IT部門」という言葉に自身が幻惑されているようで、そんな呼び方をするから「第2のIT部門」という提言が微妙に本質からずれているように見えてしまうわけで。いやその結論自体は否定しませんけど。

 ITが既にインフラになった以上、ITを扱う部門が総務だったり施設・設備だったりするのは必然で、そういう部門に氏のイメージする「IT部門」の、つまり企業の未来を切り拓く部門の役割を期待するのはおかしいんでない?という、至極単純なことの筈なんですけど。

 ちなみにここでもまた脱線しますが。
 この「SE」という職に誇りを持っている方々には誠に申し訳ないんですけど、どうもSEという呼び名にはITを仕事にしていた当時の悪いイメージがあって。
 私の中でSEってのは、メーカーなんかのドシロウトの新人がSIとか言って乗り込んで行く時の肩書きなんですよね。
 で、当時の仕事のやり方としては、下請が基本設計し、それを「SE」が文書にし、下請が基本設計(文書でなく)から詳細設計してコードを書いて、そのコードを元に詳細設計書を書いてコードと一緒に納品するという感じだったので。
 ……SEの仕事って、まさに文系の人たちみたいなもんですよね。

 最後に挙げるのは『ゆるゆり』。
 2015年秋期アニメ『ゆるゆり さん☆ハイ!』が一部で(私含め(笑))高い評価を受けると同時に批判もあり、まあ騒動というわけでもないですけど賛否あるわけで。
 どんな感じかというと、こんなところかな。

賛「ギャグがねぇ!」
否「ギャグがねぇ!」

 ……あれ?
 つまり、そもそも『ゆるゆり』って作品は何なんだ?ということで。

 というわけで、私がアニメ三期を高く評価しているのは、私の中ではこれはゲラゲラ笑う作品じゃないでしょということで、なおかつ『ガチ百合』でない。
 その「ゆる」であるための最後の歯止めが、
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ぼっちあかりなんではないかなぁ、とか。

 うんまあ、つまりこれがこのエントリの本題だったわけですけど(笑)。

独り言: たゆたいしもの(イミフ

 ちょっと前、ヘイトデモに対してのカウンターが警察に止められてるこりゃおかしい、みたいな話がありました。
 ……いや、そりゃそうなるんじゃない? カウンターの人たちって暴力に走るし、許可取ってないことよくもあるし。

 高らかに平和を宣言するサヨクとかリベラルとか自称する人たちは、どうしてあんなに攻撃的なんでしょうね。ぱ(略)ーんな騒動もそうでした。
 表現の自由を追求するにもどうもそっち方面の人に賛同できないのは、彼等は「自分達」の表現の自由を求めているだけであって、それは必ずしも日本人のものではないからです。日本人に対しては何を言っても該当しないなんてことになりそうだし。
 というかそういう意見も実際あったし。

 そんなことをしている内に、そういう意味での先進国の筈のヨーロッパでは力で移民を閉め出そうなんて動きも出ているし。最近ではテロなんかもあったりしてむしろ暴力どころか制度化されそうな雰囲気ですが。
 あちらを理想としている層はこれからどうするんでしょ。

 まあ、そういう点では自称保守も同様で、共謀罪なんて、取り締まられるのは日本人だけになりそうだし。
 なんだかこの話を聞く度に、人権擁護法案を思い出すんですよね。一体誰が誰を取り締まることになるのやら。

 結局日本のリベラルって、アンチ日本にならざるを得ないのでしょうか。なんせ今なんて、保守を自称するヤツらが改革だのグローバル化だの叫んでいるわけで。
 いやまったく、そういうのを保守として支持する保守層って一体何を求めているんでしょうか。

 近年では日本人は海外から何か持ってくると必ず劣化させるという指摘をいつもしていますが、こういう思想もそうだし、あとはフェミニズムなんてもの該当すると思いますね。
 そういう意味では稀有な例は、そもそも事実上上陸していないキリスト教とかでしょうか。もしかするとアレの場合、劣化したものを普及させるくらいなら似非信者が増えない方がまだマシだと誇り高く考えたのかも。
 いやでも、隣の国では劣化し放題じゃ?とも思ったのですが、アレは勝手にやってるっぽいですし。

 そんなリベだーサヨだーフェミだーが、何だか最近調和していないようですね。碧志摩メグたんの時やブキッキオやその後のいくつかについて、敵失に助けられたみたいな感想を書きましたが、なんだかこうなってくると偶然ではすませられないような気がしてきました。
 実際、内部抗争というか内ゲバというか仲間割れというか、そういうのもちらほらと。

 保守は保守でなんかおかしいのですが、そもそも呼び名/呼称上の分類と実体/実態が元々ミスマッチを起こしていたので、そういう言い方が正しいのかどうかもよくわかりません。
 そして、どういうわけか、いや前述の理由のせいかも知れませんが、リベラル的で反日でない立場の勢力って真空地帯のようになっているし。

 まあそれはさておき、こういう混沌と某国の色んな面での失調が一緒に起きているのは、これはたまたまなんでしょうかね。
 いやもうそれこそ意味のない話ですが。

独り言: おっぱい募金廃止運動のお手本は警察か

 あの動き、何かに似てるなと思ったら、猥褻物や公然わいせつの取り締まりでした。

 公然わいせつって、それを求めて集まった同好の士のみの場でも、複数いたら公然で取り締まり対象のようですけど。でもそれ一体誰が困るんだという疑問。
 聞くところによるとおっぱい募金も、公の場でやったわけじゃないし。揉みたい人は勿論揉めて喜んだだろうし。女優さん達は嫌なことを無理強いされているようでもないし、いやむしろ成果を実感している人もいるらしいし。募金が着服されているという話も聞かないし。
 一体誰が困ってるんだろう???

 勿論、警察による公然わいせつの取り締まりには根拠法があるわけですが、でもそもそもその法をあのように運用して、一体誰に得があるのかと。そりゃ見たくない人(そして時、場)の目に入るのはどうかというのはわかりますけどね。
 そう考えると、何だか似ているように思えてならないんですよねぇ。

 まあ、別に意識して手本にしたわけはないでしょうけどね。

独り言: 夫婦別姓についてぼそぼそと独り言

 夫婦の別姓を認めない規定が合憲であるという最高裁判断が出ました。
 まあ、だからと言ってそれは、合憲であるから変えてはいけないということでは必ずしもないわけですが。

 ただ個人的には、こういう決まりは残した方がいいんじゃないかとは思います。
 何故かというと、これはもうこのブログ開始当初からずっと強く言い続けてきたことではありますが、日本人は形のないものを軽視する傾向があるからです。この件で言えば、時間軸方向のつながりとか。
 保守系の人がイメージする日本人とは対照的に、近代の日本人は目に見えないものを大事にしないですよね。
 海外から考え方や制度を導入すると必ず劣化させるし。モノにはカネを出すけどヒトには出さないし。
 古い建物や景観を安易に壊してしまうという海外からの嘆きのような指摘もよく聞きます。まあ、元来日本では形あるものはいつか壊れるという感覚を持っていたわけですが、でもそこに残るものがあるという考え方があった筈が、近代では単に、古臭いものは恥ずかしいくらいにしか思いませんし。

 これもまた逆説的ですが、むしろ文系の人の方がそういう傾向が強いように思います。マスメディアの人とかね。あれは、人文系に強いからではなく理科系がダメだったから消去法でなったんじゃないかと思うくらい。

 まあそういう話はそのくらいにして。
 夫婦別姓についてはもう一つ、まあ反対とは言いませんが懸念していることがあって。
 子供の姓を決めるとき、絶対揉めますよね、日本では多分特に。
 以前書いた小説でもネタにした状況ですが、離婚して親権は母親に、父親は会えもしない子供に養育費だけなんてことを思い描いたら、三割離婚する時代に一体どんな戦いが繰り広げられることか。
 実際のところ、そんな風にするから養育費が払われなくなるんじゃ?とかも思ったり。

 あとそもそも論ですが、姓って一つしかダメなんですかね? つまり、姓を二つ持てれば選択しなきゃってことにもならないし。
 名前を「姓1 姓2 名」のようにするか「姓1 名」「姓2 名」を使い分けるかとか考えられるでしょうが、そういうことができた方がいいんじゃないかと思うんですよね。
 個人的には後者の方ができたらいいなとか思います。

 例えば、銀行口座名義。切り替えたらその瞬間から前の名義では振り込めなくなるとか何だか面倒。一ヶ月くらいの猶予を持てるようにできないかなと思っていたんですよね。まあ知らないだけで実はできるかも知れませんが。
 姓を二つ受け付けて口座名義も二つ持てるようにすれば、ついでにこの問題も解決。というか逆に、この問題に対処できれば姓を二つってのも対応可能でしょう。

 大変なようですが、特定の外国人が特権的に使っている「通名」の制度を一部引っ張り出して拡張すれば、制度面での基盤となるものが既にある程度存在すると言えるわけで。
 どっちにするかとか議論してるよりこっちの方がいいように思うんですが、どうでしょうねぇ。

ラノベ: 『ソードアート・オンライン プログレッシブ004』感想

 墓地墓穴を掘るアスナ(笑)。

ソードアート・オンライン プログレッシブ (4) (電撃文庫)
川原礫
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス (2015-12-10)
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 つまり、見栄を張って強がって、結局苦手なアストラル系のモンスターとご対面することになってしまった流れのことですが、今回アスナは、二つの弱点を見せています。一つはその霊の類ですが、もうひとつは以前も指摘したような、メンタル面のことです。
 これは冒頭にもありましたが……いやあの冒頭のキリトのデュエル、なんだか某天使t、違った『天使の3P!』シリーズの出だしのようですな(笑)。いや、話がそれましたが、笑いを取るようなシーンですけどまさに物語の現時点でのテーマの本質を示していると言えると思います。

 結局、今のアスナはまだまだ、そういう意味では強くないわけです。そして重要なのは、今回の「冥き夕闇のスケルツォ」のエピソードで、キリトもそのことに気づいたということですね。

 物語の展開の背景について全く書かずにここまで来てしまいました。この巻、12の章(かもしくは節)から成っていますが、前半の6章はアスナ視点、後半の6章はキリト視点(かつ一人称)となっています。
 今いるのは五層ですが、アスナはここに来る直前にキリトがPKに触れたときのことが気になっていて、キリトに対人戦のレクチャーを頼んだ、それが冒頭のまるで二人が訣別しようとしているかのようなシーンです。
 ここには二つの要素が含まれていて、一つは前述のアスナのメンタル面での弱さ、もう一つはまだ名前は出てきていませんが(というか決まっているのかどうか)、後の≪ラフィン・コフィン≫であるPK集団の動きです。ちょっと笑いを取るだけのシーンのようでいて、テーマがここに凝縮されているみたいです。

 その後は、冒頭に述べたアストラル系のモンスターでアスナが恐がる(笑)クエスト、そして夜に宿屋から出て行ったキリトを追ってアスナが遭遇する危機、そこでラフコフの動きに絡むことになり、後半はそのラフコフの策略に対抗して、キリトが招集した数少ない知り合いと共に五層のボスを倒すことに。そんな流れです。

 この「プログレッシブ」のシリーズについては最初の感想の冒頭で「このアスナがあれだけデレるのかー!」などと書いてしまいましたが、そのためなのかそれとも最初から本質が見えていたということ(笑)なのか、やはりキリトとアスナの人間性、そして二人の関係性といったところに目が向きます。
 だから、ラフコフの方はまあ取り敢えずいいとして(いや重要なテーマではあるんですけど(笑))、気になったのはキリトがアスナの抱える「弱さ」を認識したことです。そしてもう一つ、キリトとアスナが、その「動機」を再確認したこと。

 プログレッシブ003ではまだなんとなくでしたが、今回アスナは本当に危機的な状況に追い込まれ、自分がいかにキリトに依存していたかを実感していますね。
 アストラル系のモンスターに遭遇して醜態……ではないですな、羞態?(笑)を晒したエピソードは、アスナの弱点の表現でもあり、また、キリトを追って地下に赴いたときにミスを犯す理由付けであるとも言えます。

 さて。
 今回キリトは、まずは冒頭の対人戦レクチャーで、続いてアストラル系モンスターとの遭遇で、アスナの剣技という観点での強さと別に、メンタル面での弱さのようなものを感じ始めています。実際、これはラフコフのお陰とも言えることですが、彼等の駆使する様々なトリックからアスナが自分の身を守るためには、対人戦も教えなければいけないと決意しています。
 アスナのそれはある意味、彼女の真っ直ぐさ、人と対したときの接し方や人の見方、そういったものの違いから生じる美点でもあるのですが、やはり降り懸かる火の粉から身を守る術は必要です。

 前回、キリトとアスナの「強さ」の概念のずれ、齟齬がちょっと気になったのですが、まだしばらくは二人の近しい関係は続きそうですね。
 ……個人的には嬉しいことなのですが、一体いつどうやって二人は袂を分かつ、とまでは行かなくとも違う道を歩み始めることになるのか。
 やはり、ヒースクリフのスカウトのためでしょうか。
 6章でキリト視点に切り替わり、最初に語られたのが、地下でのアスナの危機に対しキリトが感じた恐怖のようなものや、怒りのようなものでした。そこでキリトは自分のすべきことを再確認しています。
 アスナを輝かせるために、彼女を守り、成長を助け、伝えられることを伝える。そして、その時が訪れたときに引き留めないこと。

 まあ先のことはともあれ、キリトのそういう考え方は以前から変っておらず、今回変ったとすればその伝授すべきことに対人戦のような、そういうあまり綺麗でないことが加わったということでしょうか。もしかするとキリト的には不本意かも知れませんが、アスナであればそんなのは超越してくれると考えているかも知れません。
 実際、後のアスナは、この頃のように真っ直ぐなままで、人間を相手にしても堂々と立ち回っています。

 ただ、それは、キリトが今ここにいて、彼女を伸ばそうとしているからかも知れません。
 キリトと比較すると、まあキリトだってかなり成長したのですが、アスナの変りようは著しい。SAOに閉じ込められた当初は恐怖も感じないくらい捨て鉢だったのが今は目標を見つけており(p135)、キリトに依存するばかりの自分でなくキリトと同じくらい強くなりたいと思うようになっている。
 そして、アインクラッド編の頃にはキリトと並んで戦えるようになっており、伴侶となって、でもマザーズ・ロザリオ編の頃にはそのために逆に、弱さを見せられないことに悩み、結果辿り着いたのが、母親に語ったような、「誰かの幸せを、自分の幸せだと思えるような」「疲れた人をいつでも支えてあげられるような」生き方でした。
 ……その過渡期がバーサクヒーラー(笑)?

 その萌芽のようなものが、すでにこの頃に表れていますね。この巻でアスナはキリトに、こう言っています。

「誰のために泣くかは、わたしが決めるの!」

(p380)

 キリトが、自分に誉めてもらう資格はないと言ったときに、アスナはこう言い、「なら、わたしがキリト君を誉めてあげる」と言っています。
 ここのシーンには、キリトとアスナの考え方の違いがよく表れています。それは後々になってもずっと続いているように思いますが。
 キリトは、自分のしたことを「エゴイズム」だとしています。

「…………それは、俺が選んだことなんだ。(略)自分と、自分の近くにいる人たちを守れるなら、他のことはどうだっていいんだ」

(p379)

 つまり、自分は自分の価値観、物差しに従い、自分のしたいようにしているだけなのだ、別に人のためを思ってしていることじゃないと。
 対するアスナは多分、まあ「しない善よりする偽善」じゃないですが、そんなことはどうでもよくて、結局人のために戦い人を救っている、ならば評価されるべきではないかとでも考えていそうです。しかも、そのキリトの「物差し」自体が利他的ではないかと。

 キリトのような考え方の人は、まあその価値観自体はどうあれ、現実に結構いるんじゃないですかね。他者に対してそういう評価をする人も含めるともっと。
 後者の人はともかく、そのような人にはアスナのような人が支えになるんでしょうが、こちらは現実には少なそうです。

 まあ閑話休題。
 そんなキリトなので、まだこの頃のアスナでは、多分アスナのために二人の絆を切り捨ててしまいそうなキリトを止めることはできなそうな感じです。
 ただ、それはまだだいぶ先になりそうな気が段々してきました。

P.S.
 今回だいぶ二人の触れ合いが多かったような……。そのためにシステムの設定についての考察が入っている(笑)?

P.S.2
 ブルーブルーベリータルトのために全力ダッシュして落っこちたのはキリトだとしか思えない……(笑)。

tag : 電撃文庫 川原礫

独り言: 『水響風』閉鎖のお知らせ……の予定だったエントリ

 いつ来るかと思っていましたが、ついに来ました言葉狩り凍結。
 ウチではポリシーとしてリアルのエロは扱っていないし、アダルトで登録しているし、それで凍結食らったら即ブログ削除、というつもりでいました。
 ところが困ったことに、誤検知による誤凍結だと梯子を外されてしまい、はてどうしようかとプライベートモードにして一日考えていました。いや別にそれしかしてなかったわけじゃないですけど。
 でも結局結論出ず、かと言ってもうすっかり辞めるモードに入っていたので……。

 元々、凍結来たら辞めようと思っていた理由としては、大雑把には三つあります。それを挙げると、こんな感じ。

(1) 検閲されてたらつまらない
 法律にもない二次元の児ポ認定をしたりまして言葉を規制するようなところなんてバカらしい。
 そうは言いつつも、自分でサイト立ち上げて自由気ままにやっていきなり警察がやって来るのも困るので、ちっとは公序凌……良俗のために他者の目もあった方がいいかなとも思ったり。
 でも、やっぱりこんな風に、あの都条例も規制していない小説とかで規制ってどうなのよとか、何が引っ掛かったからどう直せとか一切なしに消すこともできずいきなり凍結じゃ意味がない、警察が来るのを待つのと変らんとか、色々考えるとやっぱりここで続けるのも面白くもなんともないかな、と。
 まあ、言葉を拾うのはそこにリアルにつながっている可能性があるという考え方かも知れませんが。

(2) 書けるネタがなくなってきた
 もう5年以上もやっていると、考え方なんかもそう変るわけでもないので結構繰り返しになっちゃったりしますよね。
 ただ、もう一つ理由があって。
 ちょっと何かネタにしたいことがあると、そこから他の話にどんどんつながって、気づくと本の一節とか一章か下手すると一冊分くらいになりそうな内容になってたりして、結局そんなもの書く時間ないなー、とか段々なってくるんですよね。
 書くネタじゃなく書けるネタとしたのはそういう理由です。

(3) ブログサービス使うよりも
 これは上記の(1)とも絡んでくるのですが、こちらは純粋に技術的な意味で、自分で作ってみたいなーなどとも思ったりします。実際、自分で別のを立ち上げて表裏みたいにやってみようかな、などと考えてもいました。
 単にやってみたいだけなので、例えばいきなりTorのhidden service(最近は呼び方を変えようとしているようですが)とかにしたりもいいかな、とか。いや別にそんなことをしなきゃならないほどヤバいことを書くつもりないんですけど、意味もなくやってみたくなることってありますよね。
 ね?
 ま、だーれも見に来なくなるでしょうけど(笑)。

 ただ、冒頭に述べたように梯子を外されてしまったわけですが、これも前述のようにもう自分の中では完全に閉鎖のモードになっていたので。
 しばらくは放置して、その内どっちかに心が定まるかな、などと思っています。

アニメ: 「μ's Final LoveLive!」の広告

 今日(2015-12-07)の読売新聞にはびっくり。
 真ん中の見開きがど派手にカラフルなμ'sの広告だったので。
 いや、アニメカテゴリでいいのかどうか微妙かも知れませんが、少なくとも当ブログではゲームや声優ネタでラブライブを扱ったことはないしまあいっか。

 というわけで、この週末結構な騒ぎになっていましたが、ライブの名前の通り来年3月31日/4月1日のがファイナルなんですねぇ〜。

おカネ: 嗚呼、サラリーマン(高給取り)

 今朝(2015-12-7)の日経新聞一面に来年からの所得税増税の話が出てましたが。
 要約すると、高給取りのサラリーマンが増税されることについてですね。そういう人への増税だとあまり文句は出ないけど、でも本当の金持ちはそもそも「給与所得」じゃないから増税されてないし、可哀想だね〜という話。

 でも、そういうあまり大々的に報道されなかった増税ってこのところ結構ありますね、来年に限らず。
 平成25年からは復興特別所得税(源泉徴収される分の2.1%)。まあこれは高給取りだけじゃないですけど、税額の多い人ほど多くなります。
 件の高給取りの増税は、同じく平成25年には1500万以上の分の給与所得控除額が245万で頭打ちに。その後平成27年には課税給与所得4000万超の区分ができて、40%→45%に(単純にその率をかけるわけじゃないけど)。そして記事にあるように、給与所得控除の上限は上記の1500万で245万が、平成28年には1200万で230万、平成29年には1000万で220万に。

 また、これは税じゃないですけど、医療保健(社会保険のやつ)の等級が来年4月から上に増えるとか。あとそういえば去年だったか高額療養費の計算が変ったし。
 ついでに言うと、これはこの間新聞で見て初めて知ったのですが、来年10月から社会保険の被扶養者の所得(税で言うのとは違う)の上限が130万から106万に引き下げられるとか? ほんとかいな?

 まあ税金も昔ほどじゃないという言い方もできますが、やはり出世なんてするもんじゃないですね〜。

 さてそうなると、もうサラリーマンなんて辞めて個人事業主だのマイクロ法人だのってまあよく知りませんがそういう手もあるようですね。つまり、給与所得で受け取るより税が少なくなる。ただそうなると、退職金とかの問題が出てくるわけですが。
 でもどうせもう終身雇用なんてないようなもんだし関係ないか。

 ってな話になると思うのは、高給取りの話からはそれますが、今後の高齢者のこと。
 終身雇用が崩壊すると、これまでのように定年退職で何千万もの退職金を手にすることはできなくなりますよね。あれはつまり永年勤続慰労金のようなものだし。ちょくちょく転職すると、総額ではだいぶ少なくなる。
 となると、年金なんてまあ制度は残るでしょうが額は雀の涙だし、どうするのよという人が激増するわけで。

 よくいう……なんだっけ。下流老人? そういう問題は大変なことになりそうですよねー。
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水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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