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独り言: 良かった。日本に性的虐待を受けてる児童はいないんだ(棒

 あちらの国の報道によると、漫画やなんかの規制の方が重要なことみたい。つまり、実在の世界の日本にはもう救わないといけない児童はいないということですね。良かった!(鼻ほじ

 援交についても触れていますけど。
 でも、漫画の方を優先的に報道すると言うことはつまり、あちらの感覚では大した問題じゃないということですか?
 あ、もしかするとあれですか。誰かの国でやっているように、きちんと法整備して国家が職業として認めよってことですかね。確かにその方が、労働者の権利も守られるし、健康・衛生面でも手厚い保護が見込まれます。
 そういえば、国内でも似ていなくもない主張があるようですし。
 全く以て余計なお世話ですが、客観的には筋が通っていなくもないです。(棒

 実際に生きている人よりも非実在青少年を保護することの方が重要、と思う人もいるみたいですね。人の価値観はそれぞれですが、不思議不思議。
 まあ、実務にあたる人のことを考えると、その方が楽に成果を上げられるし、win-winってことでしょうか。(藁

独り言: 表現規制側の奇妙な動き

 以前、碧志摩メグについて簡単に書いたとき、イヤな動きではあるけどあの時は何とか敵失で助かった、というような話をしました。
 さて、このところ話題になっているブーアブキッキオの件ですが、それでちょっとおやっと思ったことがあります。

 碧志摩メグの問題では結局、妙な層が無理やり児ポとかに結び付けて、いやさすがにないだろということもあったように見え、それで何とか軟着陸の方向に向かったとも言えるわけです。それが私の言う「敵失」ですね。
 で、今回のブーアブキッキオですが、なななんと、日本の女子高生の30%が売春をしていると言い切った(と報道された)わけですね。
 何だか、30(thirty)ではなく13(thirteen)と言ったんだなんて話も聞えてきたりしますが、国の公式な統計がない(らしい)中で数字を出したことには変りがないわけで。

 これは、日本人の半分を侮辱したということですね?

 いやまあ、半分は言い過ぎかな。申し開きのできない人も確かにいるだろうし。でも、その分男を加えて半分にしてもいいんじゃなかろうか。娘を持つ父親とか。
 こういうことになると、まさに規制推進側である部門が国のトップとして、抗議をしないわけにはいかないんじゃないですかね?
 というかしろよ安倍、黙ってないで。経済はダメダメでもこういうのは得意だろ?

 報道の偏向具合いからすると、どうやら漫画表現を児ポとして取り締まりたいという目的が見えかくれするわけですが、そのために自爆テロのようなことをするのって、……どうも思い出しちゃうわけですよ。つまり、冒頭に書いた碧志摩メグの件を。

 勿論、ここまでに書いたことはぜーんぶ、報道やら何やらをつまみ食いした上で印象だけで語っているので何ら説得力のある話ではないし、本当に統計を取ったら本当に30%が売春しているかも知れませんけど。
 でも、これまでの数限りないプロパガンダによる外交敗北に、また一つ汚点を重ねていいんですかね?
 一体いつまで情報などの形のないものを無視しているつもりですかね?

 まあでも、それで敗北したとして今回は一体誰が誰に敗けたのか。何だか、自傷行為のような気もするんですけど。
 誰がブーアブキッキオに色々吹き込んだのか、とか。

P.S.
 それにしてもほんと、最近ヨーロッパの人間て迷惑だなぁ。
 前に指摘したフランスの似非表現の自由とか、ドイツの偽善とか、イギリス等が妙に中国に肩入れするもんだから日本の周辺がヤバいことになってきたとか。
 今回のだってもしかすると、自分の国でできなかったことを黄色い人種の国でやろうとしてるんじゃないの?とか思っちゃいますね。
 まあ、思ってるだけで根拠ないですけど。

独り言: 日本の弱点

 タイトルは、「日本人の」としようかちょっと迷ったのですが、結局こうしました。
 まあ別に目新しい話じゃないんですが、Newsweek(日本版)の2015.11.3に「国連の限界」という特集があったのを見たもので。また、その特集の中には「日本人の国連愛、その源流」と題した記事もありましたし。

 どっかの猿じゃないですけど、どうも日本では国連は世界政府、事務総長は世界大統領()みたいに思われている節がありますね。そして、国連は中立で高潔で公明正大であるとも。まあ、中立とかあり得ないとその世界大統領()がはっきりってくれたようですけど。

 先日のTPP関連報道についての感想でも基本的には同じようなことを言ったのですが、日本というのはルールをあまり重要視しないですね。
 という言い方をすると誤解されそうですが、というかそのように書いたわけですが(笑)、日本はルールを守ることには気を使うけれども、ではそのルールは一体誰が作るのかということをあまり考えない。TPPでも、関税という枠組みの中でどの程度の数値にするかということは一所懸命考えますが、それ以外の、枠組みそのものをどうするかといったようなことにはどうも熱意が見られない。
 まあ、日経の報道なんかはそれが重要だと思っているからスルーしていたのかも知れませんけど。先日指摘したように。

 結局いつも外交で敗けるのは、日本はルールを守ろうとするのに対し先進諸国はルールを作るからでは、などと思ったりするわけで。
 外交に限りませんね。スポーツなんかでもそうだし、ITとかの規格なんかもそう。

 そういうメンタリティは一体どこから来るのかと考えると、もしかすると「お役人様に従う」という習性かも知れませんね。そして現代では、「お役人様」がいなくなってしまった。いや形の上ではいますが、言ってみれば中間管理職みたいなものにすぎない。
 メディア批判でも常々指摘していますが、物事の理由とか構造とか仕組みとか筋道とか、そういうのをあまりに考えない。

 本筋とはあまり関係ないのですが、先日、こういう本を読みました。

ニッポンの個人情報 「個人を特定する情報が個人情報である」と信じているすべての方へ
鈴木 正朝 高木 浩光 山本 一郎
翔泳社
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 そこで、法律作ってる人たちが二年で入れ替わっちゃうので作ったときの背景みたいなものがわからなくなっちゃってるとか、海外の十年選手の専門家と渡り合えないとか、そんな指摘がありました。
 二年で入れ替わっちゃうというのは、日本の外交官の無能さを表現する文脈でよく出てくる話ですが、こういう世界でもそうなんですね。ただ、読んで受けた印象としては、昔はここまで酷くはなかったようですけど。

 色んなことをやらせるというのが一概に悪いとはいいませんが、それって結局、その人の能力の逐次投入ということでもありますよね。
 では一概にでなければどうなのかというと、これはもうずっと前によく書いていたことですが、雇用の問題を語るとき、どうして業種、職種を考慮しないのかという話。つまり、職人や技術者(まあ区別が曖昧な気もしますが)は熟練が大事だったりすることもあるので。

 とかいう話になると、やっぱり元の話に戻ってきて、そういう話をするときにも、例えば雇用の流動性を云々するときにも、ちゃんと理由とか構造とか仕組みとか筋道とか考えていますか、ということになるわけです。
 ちょっと前、大学の文系学部の軽視がどうたらこうたらという話をしましたが、私はその時、文系を縮小するよりもそちらでもこういうものの考え方を学んでもらうべきではないかという指摘をしました。
 例えば、情緒に配慮する必要はあるかも知れないが、情緒的に判断するのはそれとは違うよね、ということとか。裁判官が情緒で法を曲げるのはどうよ(疑わしきは罰する)、みたいな場合ですね。

 こういうことを書いていたら、世界大統領とか情緒法とか、何だかどっかの国で見られるような概念が登場しているじゃないですか。
 我が国もいつの間にか、ああいう国になってたんでしょうか。

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When did it even happen? When did I become a witch?!
(いったい いつの間に…─ 私は 魔女になってたの?)

アニメ: 2015秋アニメ感想(3)

 今週のアニメ感想です。

ヘヴィーオブジェクト 第4話「親指トムは油田を走る ジブラルタル通行阻止戦 I」
 冒頭にサービスシーンとかあったりしたけど、やっぱり今回の話の一番の注目ポイントはここですよね。

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(ふふ、ちゃんと役に立てたかな)

 その証拠に、
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局側もそう考えているようです。
 ただ、これがいい絵かとかいいシーンかというと……(笑)?

落第騎士の英雄譚 第3話「落第騎士 III」
 実を言うとこの作品、第1話冒頭のやる気のない素振り(いや描かれてる本人はやる気あるんでしょうけど)見てどうもなーと思ったんですけど。でもコンテ(演出)やCGは頑張ってる感じですね。
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 ただ、つい頭の中ではこんな補完をしてしまったりして(笑)。

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『またつまらぬものを斬ってしまった』

 いや、時節柄そういう人多いんじゃないでしょうか。調べてないですけど。

ルパン三世 第4シリーズ 第4話「我が手に拳銃を」
 時節柄というのは、今期こういうのが放送されているからです。
 今回の第4話、次元が大フィーチャーですね! かっこいいシーンがあるのに、結局は虫歯治療せずに痛み止めだけで乗りきろうとするところとか。
 そして主人公たるルパンがほぼ出てこない。たまにこういう話が入るというのも何となく好きです。

 ところで、こういう記事を見ました。
 で試してみると、ホントだああああ! 物凄く立体的に見える! 驚き!
 記事で指摘されていることの他に、……いや、これももしかすると「奥行きのある映像」の一言に込められているのかな、ピントが合っている部分がかなり限定されているというのもありますよね。奥行き的に。
 今回のシリーズは、OPムービーのこういうところとかも含めてかなり絵に気合いが入ってそうですね。
 あと、もしかすると一応、通してつながっている背景的ストーリーがあるのかな?

ゆるゆり さん☆ハイ! #03「自覚無し」
 前回のサブタイトル「さぁおびえるがいい」を想起させるようなが。なんか夢に出てきそう……(笑)。
 まあともあれ。

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「あら、二人ともよく描けてるじゃない」
「え?」
「優しい気持ちが詰まった絵になってるわ。けんかばかりしてるけど、お互いに相手を大切に思ってるのね」

 さすが先生(笑)。
 あと、
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綾乃のこういう絵ってなんかちょっと新鮮。

コンクリート・レボルティオ~超人幻想~ 第3話「鉄骨のひと」
 面倒くさいのでストーリーについてはほぼ割愛します。

 超人課のメンバーも揃い、テーマが「正義」であるらしいことも見えてきて、今回辺りから本格的にそれを追い掛けるという感じでしょうか。
 今回の話はまずは、正義をとことん追求する刑事の柴来人、そして正義を貫くよう設計された人造人間の乙號と丁號、その辺りが主軸になっているようです。

 柴は、まあわかり易い台詞を紹介すれば、

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「正義の超人などいない!
いるのは市民に迷惑をかけたか、いつか迷惑をかける化け物だけだ!」

こういう人物です。この脚本、こういう人の特徴を実によくとらえていますね。
 対する乙號と丁號は、それぞれ女性型と男性型で、合体したときに本来の性能を発揮するように作られた兵器です。

 正義というものについての比較を、この対立軸で描いているようですね。そして、ノーマライズにより条件の統一を図っている。それは、実は柴が人造人間であること。つまり、柴と乙號丁號はともに機械である。
 では違いはどこにあるかというと、人吉博士の言葉を借りればこういうことです。

「君は元の人間の記憶や思考を電子計算機で模擬演算。その限りで自由思考体だ。
だが、乙號興梠美枝子、丁號半田馨の二体は完全な人造人間であり、その思考もモラルも、研究者が植え付けたものに過ぎない」

 つまり、人と機械の違いについて、体の構造の違いによるものを排しているわけです。

 ところで、乙號丁號が男女型の二体として作られたことについては作中で合理的な説明がなされていますが、設計者たちにそのようにさせた本作制作側とてしては多分、こんなことを意図しているのかな、と思ったことがあります。
 それは、「感情」の影響の除外です。
 まず、乙號と丁號が求め合うことについて、爾朗と人吉博士の間にこういうやり取りがありました。

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「機械の愛だ」
「非科学的なことを言うんじゃないよ」
「だって」
「あれは機械だ。彼女が対である男性型を探しているのだとすれば、それはそのように作られたに過ぎない」

 では、本物の愛とは? 人間もそのようにできているに過ぎないわけです。
 それについては、今度は爾朗と輝子の間にこんなやり取りがありました。

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「愛じゃない。互いに求めるように設計されただけだ」
「でも、人間だってそうでしょ? 誰かを愛し合うように設計された、だから人を愛さずにいられない。
違いますか?」

 輝子がこのようなことを言うのはちょっと意外でしたが、柴が人間であることによる違いを感情に求める、言い換えれば感情というものを特別視する立場を取らないという宣言なのではないでしょうか。

 さて、そうしたところで、神化47年。戦争が終わってもずっとグァム島に潜伏していた日本軍元軍曹の……じゃない半田馨、実は丁號に柴は言いました。

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「その間にこの国は腐ってしまった。俺の信じる正義は喪われ、沢山の若者達が死んだ。
だから合体してくれ!美枝子さんと」
「君達は偽の愛情、偽の正義を与えられてきた。
今なら俺が、本物の正義を教えてやれる。この日本の目を覚ます、そのために!」

 しかし、合体した彼等は柴のことをこう断じました。

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「柴刑事。僕はあなたに従えない」
「何故だ! 美枝子。俺がお前達を再び会わせてやったんだ」
「それには感謝する。だがあなたの目的は、悪だ」

 では、その違いは一体どこで生じてしまったのか。

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「機械に何がわかる!」
「機械じゃない。正義だ」
「こいつらに正義がわかるのか!」
「科学者は彼等に正義を教えた。国を護ること、人を救うこと、正しい行いとは何か。
人間はそれを勝手に解釈して、間違えることもある。だが機械は正確に従う」
「彼等が正義で、俺が悪だと!?」
「俺じゃない。彼等がそう判断したんだ」

 つまり、出発点は同じで、正義を目指すとしても、人はその過程で間違えることがある。

 さて、では人はなぜ間違えるのか。科学者が彼等に与えたものの正しさは。そもそも正義とは。
 でもそれについてはまだお預けのようです。何故なら、爾朗自身も見失っているようだからです。

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「どちらが勝っても、俺達はもう正義じゃない!」

 いや、どうでしょう。少なくとも道を踏み外しているという自覚はあるようですが……?

 とまあ、今回はこんな感じでしたが、柴はこの後どうしたのでしょうか。EDムービーの終りの方で、まず当初の超人課、
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そして数年後
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が描かれますが、爾朗が「こちら側」に来ています。つまりそこにある断絶を表現しているのでしょうが、柴も描かれていて、どちらかというとこちら側ですね。
 もしかして、一緒に行動することになるとか? まあちょっと距離があるので、作中でもそう接近はしないかな。

P.S.
 ところで関係ない話ですが、横井庄一氏で思い出したのが小野田寛郎氏。
 でWikipedia見てみたらこちらの人、つい昨年まで存命だったんですね。

tag : アニメ

独り言: 日経のTPPに対する報道姿勢

 ずっと以前から、日経新聞のTPPに関する報道については、製造業vs.(抵抗勢力の)農業の関税に矮小化する(は言い過ぎでしょうが)という一貫した姿勢について指摘し、批判してきました。
 それが先日、何日くらい前か忘れましたが、日本政府が大筋合意としたのを受けたのか、一面トップ記事でそれ以外の、まあ言ってみればルールに該当する項目についてまとめて報じていました。そろそろ報じてもよかろ、というところですかね。

 何で今頃そんなことについて書いているのかというと、今日(2015-10-25)の「春秋」に漫画文化とTPPがどうこう、というのが書いてあったからです。
 なんとも白々しいという感じですが、それではこちらは、創作で対応してみましょうか。つまり、「この推測はフィクションです」という奴です。陰謀論みたいなもんですね。

 察するに、まあ日経株価指数の組み入れがどうこうとか経団連がどうこうとかから察するに、製造業の輸出が全て、ということでしょうか。強敵は農業。そこで、製造業vs.農業の対立構造をライトアップし、農業関連の勢力を抑える。
 農業は予断を許しませんが、知財とかはまるで力がないので、確実なバーター材料ですね。途中で著作権保護期間70年!とか一面トップで報じたりして印象づけておけばおk、という感じ。
 まあ、そんなところでしょうか。

 かくして、日経の製造業に対するご奉仕は大体実を結んだようですが、さて、こういうITの時代、そういう価値観でいいのか。そもそも製造業すら守れないんでは?

 ところで、アメリカではクリントンが反対の姿勢になっててどうこうみたいなことが言われていますが、あれは日本で批判的な層とは逆の意味ですよね。現時点のTPPは「不充分である」という認識のようなので、まあ要するに、もっとやれということでしょう。
 だから、あの人が反対していることで安心できることがあるかというと全くないわけで。

独り言: 日経新聞『大機小機』(2015-10-24)について

 日経新聞の朝刊、大体真ん中よりちょっと前くらいのページに、『大機小機』というコラムがあります。
 今日(2015-10-24)のタイトルは「東芝事件の教訓」とされていて、内容はこの夏話題になった東芝の粉飾がどうして見逃されてきたのかということについて。

 今日わざわざそれを取りあげているのは何故かというと、結論が中々興味深いものだったからです。
 中ほどのところで出てきた表現によれば、ああいうことを避けるためには、

金融庁などの規制当局が推奨する社外取締役や監査委員会よりも、伝統的な監査役会の方がよほど有効である。

ということでした。
 勿論、社外取締役が社内の情報を十分に得られなければという前提があるのですが、現実問題として多くの場合そうだろうし、

考えてみれば、日本の監査役は効果的な制度だった。

とも言っています。
 意外や意外! いや、こういう風に言っておきながら最後にはどんでん返しがあって、やっぱり社外取締役はいい制度だ、という方向に強引に持って行くかと思ったので。

 私がこのコラムをよく読むのは、記事と比べて振れ幅が大きいからです。記事と同じように理由も示さずに経済界の「常識」べったりで宗教のようなのもあれば、今回のようなのもある。
 一応最後に署名のようなものがあるので、各々の筆者の個性なのかも知れません。ただ、どうにも本名とも思えないのでペンネームというか記号のようなものでしょうね。

 私はこのブログでこれまで何度か三橋貴明氏のことを紹介しています。
 その度に言っているような気もしますが、彼のいいと思えるところは、これこれこういう理由でこうなるだろうからこう主張する、というのを明確に示す点です。だから同意もできるしおいおいと突っ込みもできる。そういう点、マスメディアにも見習って欲しいと思うのですが。特に日経なんかは。
 そんな中この『大機小機』は、小さいコラムなので自ずと限界はあるものの、そういうところを示そうという努力が見えることもあって(今日なんかそう)、そういう意味でも珍しいかも知れません。

 やはり、どうしてそうなると考えるのか、どうしてそうなったと考えるのか、色んな場面でそういったことはどうにも欠けていることが多くて。逆にこういうコラムがちゃんとして見えるというのも、何だかちょっと問題なんじゃないかな、などと感じました。

マンガ: 『そわそわDrawing 2』感想

 待望の第2巻発売です!

そわそわDrawing 2 (IDコミックス 4コマKINGSぱれっとコミックス)
火曜
一迅社 (2015-10-22)
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 洋一君も言っていましたが、ほんと今さらながら萌葱さん、いくら美術に関わりたいからってヌードモデル以外の選択肢はなかったんだろうか(笑)?

 そもそもこの世界を用意してくれた有栖川教授も然る事ながら、この巻では霜月先輩の活躍が目立っていますね。洋一と萌葱に盛んにちょっかいを出してきて、それも陽夏のフラグが立ってるっぽいのにも気づいていて、しかもその上、自分自身までネタになってくれるという八面六臂の大活躍。
 ちょっかいでは例えば、先輩のイタズラな発言から料理対決?になるのですが、萌葱には、料理のついでにモデル修行もできるぞと裸エプロンをけしかけるとか(笑)。
 で、生真面目な萌葱のこと、ほんとにやったらしいのですが、残念なことにその絵がありません。まあ、やっちゃったらしいということがわかっちゃうあの表情で十分とも言えますけど。

 生真面目と言えば、萌葱も絵を描く場面がありました。それで洋一を描く萌葱の目がなんか、すごくいいですね(p59)。
 どうでもいいんですが有栖川教授、JCにヌードモデルなんぞやらせるだけあって男女混合の部屋で合宿とか(笑)。

 さて、これは雑誌連載作品ではありますが、一巻と同じようにこの巻も、ラストが結構ドラマティックです。単行本になるタイミングを考えて構成しているんでしょうか。
 今回は、萌葱の方が期末試験のためしばらくモデルをお休みすることになったのですが、それで抜け殻になっちゃった洋一が珍しくも授業をサボって街に出ると、たまたま入ったコンビニになんと萌葱が!

 最初からずっと一貫している、つまりはテーマのようでもあることですが、本作は、洋一と萌葱が一所懸命真面目に、ある意味一つの目標に向かって歩いていく話ですね。
 この第二巻のラストは、二人が互いを見てそれを認識……はまだのようですが確認したという感じです。

 でも、その認識の種もまた、この巻で示されています。
 冒頭の洋一の回想にあった、彼が画家に憧れるようになったきっかけ。萌葱が同じように美術に関わりたいと思うようになった理由が、実はそれとつながるものであったことが判明しています。つまり、洋一がある絵の前で2時間も過ごしてしまった美術展は、萌葱の方向性を決めたのと同じものだったのです。
 そして、p87に描いてあるイラストには、作中ではわからなかったところまで示されています。

 そのことを今後、二人が知ることになるかどうかはわかりません。が、必ずしもそうならなくてもここまで匂わすくらいでいいかなとも思います。二人の間にしっかりとしたつながりがあることは描かれたので。
 だから、まあ本作は最初からそういう作品だとも言えるのですが、見ていて心配なことは何もないのでゆっくりと歩んでいってくれていいし、じっくりと描いてくれればいいかな、とも思います。

 ……そのためには売れてくれないと、などと下世話なことを考えちゃうのがちょっと悲しい(笑)。

 そして下世話ついでにおまけ。
 萌葱は相変わらずエロ可愛いのですが、例えばp71の扉絵?なんかエロいし、p14では服を脱きながら自分の話をとかあまりに自然にエロいことをしてくれちゃうし、やっぱえーわ〜(笑)。

関連項目:

tag : 4コマKINGSぱれっとコミックス 火曜

独り言: わいせつーってなんだーっけなんだーっけ

 このタイトルも元ネタを直接知らない人が増えてるんでしょうね(笑)。

 いやー、書きかけて途中でめんどくさくなって三日もほったらかしてしまいましたよこのエントリ。

 何かというと、先日も触れた春画の件でこんな記事を見たのですが、何だか違和感があったのでちょっとコメント、あるいは与太話です。わいせつがどうとかこうとかということについて、そもそもというところに立ち返って。

 捜査幹部は「春画を描き写しただけのイラストでも、文化的価値がないと判断すれば、わいせつ物と判断する可能性もある。著名な画家の作品かなど総合的に考慮する」と話している。

 雑誌に春画を載せた「週刊誌4誌に口頭指導した」件です。まあ、警視庁としては「指導の有無を分けたのは「同じ誌上でヌード写真などを扱っているかどうか」だった」などと意味不明の供述をしているようですが。
 いやどう考えてもそれ、わいせつだから取り締まりたいけど世間の空気が芸術ってことになっちゃってるから捻り出したいいわけとしか。苦しすぎる(笑)。
 まあそれはおいて本題に戻るとして、「著名な画家の作品かなど」ってなんだぁ?ってことですね。

 そもそも何故「わいせつ」は規制されるのか。取り締まる理由は何か。
 基本的には公序良俗ってことでしょう。最高裁的には
  • 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
  • 且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、
  • 善良な性的道義観念に反するもの
だそうですけど、じゃあなぜそういうものが規制されるべきかというと、受け手側としては「眉を潜めるような」ってとこでしょうか。
 でもそれ、「著名な画家の作品かなど」って何か関係あるんですかね。

 結局のところ、ゲージツ作品だって鬱陶しいときは鬱陶しいわけで、エロいものだって賢者タイム(笑)には別にエロくないわけで、逆に芸術的なものだってエロいときはエロい。つまり要は受け手次第ということです。
 前にも何度か言いましたが、同好の士が集まって見たいものを見るのに一体何の問題があるのか。

 つまり、「それがどういうものか」ではなく、「どのような状況で」提供されているかが基準になるべきじゃないんでしょうか。言い換えると、見たいと思っていない状況で目に入るような場合、それがどんなものであろうと、仮に「著名な画家の作品」であったとしても、不快にさせることはある。
 あとは、受け手側がまだ準備を整えていないという意味で児童だったりする場合とか。こういう場合は通常わいせつではなく「不健全」という術語になるようですが、実質あまり変りませんよね。
 だから、規制されるべきものがあるとするならばそれは「公然わいせつ」の場合であり、それも「公然」は単に人数とかで決めるのではなく、そういう場であるかどうかで決められるべきなのではないでしょうか。

 次に送り手側ですが……まずその前に、仮に風紀に悪影響を及ぼす恐れがあるからと言って、ある人が何を妄想しようが、増して何を嗜好しようがそれは自由でなければいけない筈です。思想や良心、宗教の自由と同じ理屈です。特に男性の持つ嗜好に関しては、以前紹介した『性の進化論』によれば、変りようがないらしいですし。
 そういう風に考えると、つまり個人の範疇に収まらないものを考えるべきだとするとこれは、それがわいせつかどうかという文脈というよりもやはりやり方の問題であり、風営法とかそっちの出番じゃないですかね。

 それとも、そういうモノが人から人へ渡る時点で問題であると考えるのでしょうか。でもそうすると、何か起こしそうというのを取り締まることになるし、強力効果論がどうこうという話にもなりそう。
 つまり、それは本当に風紀を乱すのか?ということです。

 他にも例えば、それが実写作品で「被害者」が存在するのなら、救済するための仕組みは別にありますよね。
 同様に、割れ窓効果があるぞみたいなことだと、公然わいせつならそれもあるかも知れませんが、私的な、あるいは仲間内だとそんなことあるのか?という点が……。
 そして、違法化は往々にして不正、闇を招くわけですが……。
 ポルノが性犯罪を増やすのかというと、むしろ否定する研究しか見たことないんですけど……。勿論、「そうに決まっている」と言う人は沢山いますけどね。ここで、以前も触れた『「学力」の経済学』という本(タイトルがあまりにも胡散臭いですが(笑))を思い出しました。

 こうつらつらと考えると、一つだけの穴を除けば、公然(繰り返しますがそれは人数ではない)なわいせつ以外は特に取り締まる理由が思いつかないんですよね、現代の法整備の度合いを考えると。
 ではその「穴」とは何かというと、青少年に対する教育です。それが全く足りていない、というかむしろ、切り離すことで教育しない以上の悪いことが起きている。
 それはまるで、ネズミのために地球はかいばくだんが使用されてしまった世界のようです。偉い人たちは少子化を経済のせいにしたがりますが、本当にそうなのでしょうか?

 まあ、宣言した通り与太話になってしまいました。そもそもテーマが「わいせつ」(のこと)だしそうなるのも仕方ないとも言えますが、しかし。
 実はこれは、大真面目に考えるべきことなのかも知れません。
 誰かさんみたいな、わいせつは取り締まるべき、でも自分のは違うから、なんて逃げを打つのではなくてね。

PCで: IEで特定ドメインのみプロキシ使用

 WindowsのInternet Explorerの話なので紛らわしいですけど、ここでいうドメインはDNSのドメインです。まあ要するに、特定のWebサイトにアクセスするときという話ですね。
 また、特定のドメイン(等)のみ直接という設定ではなく、その逆です。通常はそのままで、指定したところのみプロキシを使う。それと、Windowsは7で、ADはなしです。
 あと、下記のスクリプトやアドレス等は、実際に使ったものとはちょっと変えてあります。まあ、影響はないでしょう。

○ まずはスタート
 取り敢えず、

インターネットオプション → 接続 → LANの設定 → 「自動構成スクリプトを使用する」にチェック

で、こんな感じのスクリプトを指定しました。
function FindProxyForURL(url, host)
{
if ( dnsDomainIs(host, ".example.com") ) {
return "PROXY 127.0.0.1:6502;
}
else {
return "DIRECT";
}
}
 ポート番号に特に意味はありません。……いや、特に理由はありません(笑)。書き方についてはMSのサイトを参考にしました。
 で、ネットで拾ってきた情報に従い、「アドレス」欄にスクリプトの場所をこんな風に指定しました。
file://c:\PAC\proxy.pac

○ 躓きその一
 ところが、Vistaとかで動いている古いPCではこれでいいのですが、Win7がなのかIE11がなのか、「file://」の書き方は使えなくなっているらしい。

 というわけで次に、急遽HTTPサーバを用意しました。で、「file://」の代りにこういう風に指定。
http://10.10.10.10/proxy.pac

○ 躓きその二
 ところが、これもまたうまくいくPCとそうでないのがある。
 どうやら、スクリプトを置いたサーバと同じセグメントで同じサブネットにあるPCはいけるらしい。

 それで思い当たったのが、セキュリティのゾーンです。「ローカル イントラネット」でないとスクリプトが実行されないのでしょう。

 ここで、道は二つあります。
  1. スクリプトのアドレスがローカル イントラネットと判断されるようにする。
  2. アドレスをイントラネットとして登録してしまう。

 今回は、設定したいPCは一台だけだしぃ、ということで、

インターネットオプション → セキュリテイ → 「ローカル イントラネット」 → サイト → 詳細設定

で登録してしまいました。
 どうしてそうしたのかというと、イントラネットと判断されるようにするのが面倒そうだったからです。

 まず、今回見られた現象から、同一のサブネットだとイントラネットと判断されそうな感じですね。
 あと、これはSambaでファイルをコピーしたりする際のセキュリティの警告について調べた時に見つけた情報ですが、サーバ名にピリオドが入らない場合イントラネットと判断されるとか。
 ただ、サブネットはネットワーク構造をいじらないといけないし、サーバ名はDNSをいじらないといけないしとか思って面倒そうだから避けたのですが。

○ 名前解決の罠
 しかし、これはMSのサイトにあった情報だったと思うのですが、Windowsでは名前解決の際、ローカルなファイルやDNSでもだめならNetBIOSの名前を使うそうで。
 だから、IEとか、あとFirefoxとかでも、DNSの設定をしなくても、NMBでNetIBOS名を使用したURLが使えちゃったりします。

 実は上記の急遽用意したHTTPサーバはSambaのサーバでもあり、WINSサーバにもなってたので、ローカル イントラネットのゾーンに登録しなくても大丈夫だったというオチ。

アニメ: 2015秋アニメ感想(2)

 今週のアニメ感想です。

落第騎士の英雄譚 第2話「落第騎士 II」

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「イッキはアタシのご主人様で、
アタシはイッキの下僕なんだからぁ!」
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「そして決めたの。
父親の愛も、母親の愛も、兄の愛も、妹の愛も……
すべて私が一人で、お兄様に与えようって」

 ……二つの愛の形(笑)?
 でも、珠雫の言葉から「恋人の愛」(等)が削られているのは尺の問題かちゃんと意図してのことか。ステラの方を見ると何となく、意味を持たせているような気がしますね。

 あとEDテーマ曲ですが、一発でアリプロの曲とわかったけど、同時に、何か変ったなとも思いました。

ヘヴィーオブジェクト 第3話「ガリバーを縛る雑兵たち アラスカ極寒環境雪上戦 III」
 というわけで姐さん、
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お姫様の露払い役お疲れ様。
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 この笑顔がいい。
 ……でももしかすると、このヒトが手を回してクウェンサー達を戦場に引き戻したんじゃないかななどとも考えてしまいますが(笑)。いや、もう原作すっかり忘れてるもんで。

ゆるゆり さん☆ハイ! #02「さぁおびえるがいい」
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 こういう人たちとか。
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 こういう人たちとか。
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 ……こういう人とか。ああ、ゆるゆりだなぁ(笑)。
 実は最初は、まあ録画はするけど……というつもりでした。でも、折角なので一話見てみたらあれ?という感じで、もう一話見て確認したら、制作会社違うじゃないですか。しかも、なちゅやちゅみ!から。
 これは、ちょっと遡って見ないといかんですね。

コンクリート・レボルティオ~超人幻想~ 第2話「『黒い霧』の中で」

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「ま、十万円は出して貰わないと」
「じゅ……えー」「給料四ヶ月分!?」

 というわけで、神化41年頃はどうもそういう相場らしいですが、大体対応すると思われる現実の昭和41年頃もそのくらいだったのかな。
 この時代が選ばれたのはもしかすると、ウルトラマンが放映された頃だから、かも知れないとか思ったり思わなかったり。

 で、今回は風郎太が超人課のメンバーになるまでの話ですが、テーマが大変ですね。
 この頃、世間を騒がせている「黒い霧」というのがありまして。これは小説がどうこうと関係なく、いや関係あるかも知れませんが、まんま黒い霧です。
 風郎太は、上記のおっちゃんが売っていた正体不明の虫
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を逃してやることになったのですが、
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少しした頃に彼の元に友達になりたいとやってきたカムペが、実はその虫でした。
 後年、神化48年8月、風郎太のところに彼を殺しにやってきたタルタロス蟲人は、カムペが成長した姿だったのです。

 今回のサブタイトルに関係あるかどうか知りませんが、テーマは「正義」といったところでしょうか。
 風郎太は、

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「オイラだって、いいことしたい」
「いいこと?」

そう言って超人課のメンバーになろうとしました。しかしこの時爾朗は、超人課がやっていることは「いいこと」だとは思っていないような反応をしています。

 事件は進展し、タルタロス蟲人が何者なのかもわかり、また対抗策も得られました。彼等が作る「黒い霧」に入れる風郎太はその対抗策であるウイルスを使って、彼等を倒すと共に

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「今度は人間にも、タルタロスなんかにも捕まるなよー!」

「囚われていた」虫を逃してやることができたのですが……。
 事実は彼の想像の及ばないところにありました。

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「私は、タルタロスの女王だった」
「女王?」
「幼体だった私は、人間に捕まり、売り物にされそうになっていた。それをあなたが助けてくれた。
『黒い霧』は、私を迎えに来たの」

 しかし、その仲間を風郎太がウイルスで殺してしまった。
 爾朗の説明によると、こういうことでした。

「タルタロス蟲人は、神話の時代から日本の森に住んでいた。それが人間との契約だった。
だが、そんなことを忘れた現代の政治家が、国有林を勝手に払い下げた。
住む場所を失った彼等は、政治家を罰するためにやってきたんだ。……『黒い霧』とともに」


 カムペが去った後、風郎太は爾朗にこう訴えます。

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「あの頃は、簡単だった」
「ああ」
「悪いのがいて、いいもんの超人がそれを倒してくれた。オイラも正義の味方だった。そうだろ?
いつから、こんなややこしいことになっちまったんだ!?
いいもんと悪いもんの区別がつかない。オイラとあんたも敵同士。
なんでだよ!
オイラはいつまでも子供だ。だからわかんないのか!?
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だったら、オイラも大人になりてえよ!」

 そう叫ぶ風郎太に爾朗はこう答えました。

「いや、いいんだ。お前はそのままで…………いいんだよ」


 感想の冒頭でウルトラマンのことに触れました。
 まあ別にリアルタイムで見たわけでもないし、私自身は見ても特に何を思うでもなかったのですが、後年あの作品の紹介を読んだり見たりすると、そこには単純な正義と悪という構造に疑問を抱かせるようなことが描かれていたことがわかりました。まあ、私もジャミラの話などはそのように受け止めた記憶がありますし。
 今回風郎太が直面することになった問題は、そういった「正義とは何か」というような、当時の子供達に当時の超人達(の物語)が問い掛けていたことです。
 だから、前述のように、つまりこの物語の時代があの頃に設定された理由はその辺りではないかと思ったわけです。

 爾朗は、超人課に風郎太を加えるべきかどうか決めるとき、このように言いました。

「あいつは、俺達が悪を倒していい超人を護る組織だと思っている」
「はぁ?」
「あいつがいれば、俺もいつもそれを思い出すことができる。
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だから、必要です」

 これが、後に彼が風郎太に「そのままでいい」と言った理由なのでしょうが、この言葉にもやはり二重性がありますね。
 そのように思っている風郎太がいれば自分も常に「正義」を意識し続けられる。しかしそれは同時に、風郎太をそのように利用したいという自身の都合で彼を招き入れたのだとも言えるわけです。そう考えると、「大人になりたい」と望む風郎太に「そのままでいい」と言ったのは、爾朗の側のエゴであるわけですね。

 そういえば、今回の話の中には、こんなやりとりもありました。

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「時には超人同士の抗争で、市民に迷惑がかかる」
「抗争なんて言い方、イヤです。正義の超人と悪が戦っているってことですよね」

 超人の一人である輝子は、シンプルに正義と悪をイメージしています。しかし、ややこしい現実に触れた風郎太は、子供だからわかんないのか、だったら大人になりたいと訴えています。
 第一話冒頭で神課46年の輝子が爾朗に、自分は二十歳になったと言っていました。
 もしかするとあの言葉の意味は、この辺りにあるのかも知れません。

 ところで、風郎太を殺しに来て、でも結局そうせずに去っていたカムペは、別れ際にこう言っていました。

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「風郎太。見て。私大人になったわ。……だけどあなたは、あの頃のまま。
今の私達じゃ、友達にはなれないわ」
「!」

 この言葉は、どういう意味なのでしょうか。カムペは、爾朗が「友達だから許せないか」と言ったのに応えたわけですが。
 許せない相手ですらないという宣言か。許すからもう友達じゃないということか。
 それとも、友達ではないから許すということなのか。

tag : アニメ

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Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
 

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