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せいじ: 焼き直しシリーズ(3) 弱小国であるということ

 シリーズの第三回は、焼き直しの元ネタがはっきりしません(笑)。色んなエントリに何度もちょっとずつ書いてきた、いわば信念……というほど強いものではないですけど、基本的な立脚点であるからです。
 で、出発点となるテーマは、日本が弱小国であることについて。

 いつも感じていることではありますが、最近の例で言えば『週刊 東洋経済』の2014年9/27号の特集。
 その中でも象徴的なのが、p51にあるクリス・ネルソンのコメントです。

交戦地において慰安婦の存在は当然だという見解があるが、これでは韓国や中国との和解の道は険しい。「だって、みんなもやっているもん」という子どもの理屈と同じだからだ。そんな歪んだ歴史観を持つ日本の指導者を米国も信頼できない。

 まあ他も大体そうですが、こういうことが言えちゃうのがアメリカという国ですよね。つまりはこれが国力の差の一つの表れでしょう。

 この問題は、こんな感じになっていますよね。
 現代の法や倫理を遡及適用
するしない
軍の関与は強制連行韓国等 
管理・監督日本
 管理・監督ってのはつまり、今で言う労働基準監督署のようなものであるわけですけど。
 アメリカが韓国等と同じか、または※印のような立場を取った場合、つまり「だって、みんなもやっているもん」という理屈がが通らないとしたならば、みんながやっていたことで日本だけが罪に問われるのはおかしいわけです。ならば、アメリカが空襲や原爆で殺した非戦闘員の多分半分以上は女子供であったわけですけど? それ、本気で追求していいんですか?
 日本は慰安婦(所謂「従軍慰安婦」)に対する補償をするので各国も同じようにしなさいという国際的な仕組みを作ってもいいんですか? 当然、対価を支払っていなかったものはより厳しく追求するし、慰安婦を「奴隷」と呼ぶのなら奴隷制度を遡及してどんどん追求しますよ?

 勿論、そんなことを言えるわけもないし、仮に言ったとしても誰も聞かないでしょう。これが、ここで言う国力の差です。

 確かに日本にはカネがある。軍事力もまあ、ちょっとはある。
 しかし、それらは国力ではない。単なる道具か武器であり、使う能力がない。「猫に小判」とかは基本的に力をイメージした表現ではないので、「鬼に鉄棒」ならぬ「餓鬼に鉄棒」ってとこですかね。
 道具には色々あるでしょうが、結局は「影響をもたらすことができるか」、平たく言えば「言いたいことが通るか」、それが国家間の力関係であり、そういう意味では正に日本は弱小国家です。

 例えば、カネ。
 日下公人氏などがよく言っていたと思いますが、日本がカネを持っていてあちこちに貸しているのは、別に強みではない。むしろ弱みです。何故なら、カネを借りている方は、貸している方をやっつけてしまえば帳消しにできたり賠償金でチャラにできたりするから。だから、いざというときにはみんなが敵になる。
 ちなみに我々の住んでいる世界の感覚が通じないのは、倫理的に問題のある行動を取った者を強制的に排除する仕組みがないからですよね。

 軍事力もそうで、いざ攻められたという時に、それを動かす国家の中枢にいる者が無能。というか正確には、組織が無能。多分。
 わけのわからないことをごたごた議論しているうちにやられちゃうでしょう。

 ところで、一時期はアメリカが「世界の警察」とか言われていたわけですけど、最近はもうかなり引いてしまっているし、そもそももう無理なんではないでしょうかね。
 アメリカと言えば、ここ100年くらいの世界情勢って、アメリカという若輩国家がやんちゃをしてまわって、年輩国家が振り回されたという感じです。ヨーロッパの各国とか、まあ日本もそうですけど、長い歴史で学んだものがあったわけですが、それを知らない理想主義(≒原理主義)の若造がほどほどというさじ加減を理解せず、結局大昔と同じことを繰り返している、みたいな。
 今も結局「イスラム国」の問題ってそういうところありそうですし。

 まあそれはともあれ閑話休題。
 日本の「偉い人」って何が欠けているのか。「偉い人」というのは社会的立場というだけの意味で言っていますけど。
 私の感覚では、合理性とか論理性とか抽象的思考能力とかが抜け落ちていますね。

 このブログで何度も指摘してきましたが、合理的とか論理的とか抽象的とか、そういう言葉の意味そのものが日本では何だかおかしい。
 近視眼的に、単に理解できないものを切り捨てるのを合理的と言うのはおかしいでしょ。結果的に理に適っていないのであれば。それに、「理」が絶対不変の公理でなければいけないわけでもない。
 論理的思考などという万能の方法など胡散臭いというイメージがあるように思えますが、それもおかしい。論理的な思考は正しい。でも、正しい結論を得られるかどうかは別です。前提も判断の材料も完璧ではないのだから。
 抽象化というのは意味や本質をつかむことであり、わからなくすることではない。具体的でないとわからないという人は、どうやって柴犬とブルドッグがどちらも「犬」であると判断しているのか。

 いずれも大局的で物事の構造・仕組みを捉える思考には必要なものです。しかし、どう見てもそれが見事なくらい綺麗に抜け落ちている。「要するに」「結局」どうなのか。それは手段なのか目的なのか。それがどこにもない。
 これは推測ですが、この問題は「人」の能力に由来するものではなく、組織の作り方によるのではないでしょうか。
 日本の組織、例えば企業などでも、マネージャーはプレイイングマネージャーであることが多い、というかマネージングプレイヤーであることの方がもっと多いのでは。
 人の役割についての認識が曖昧で、採用の際にも、何をやらせるかはっきりさせなかったりする。

 これは、ベクトル量の集まりである人をスカラー値で評価しようとするからのように思えますし、それは人に対してだけでないですね。このブログで扱ってきたテーマで言えば、文化などについてもそう。
 思えば、合理化が単なる切捨てになり、restructuringがリストラ(=馘切り)になるのも、なんだか似ているように感じられます。

 しかし、役割や意味を無視して構築した組織が、果たして機能するのか。

 というわけで行き着いたのは、価値観の物差しが一次元なのがいけない、といういつもの結論です。

歌とか: 『Storm in Lover』 by μ's

 最近ループして聞いている曲の一つ。

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(2014/09/24)
新田恵海、南條愛乃 他

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 アニメ『ラブライブ!』の二期のBD第4巻特典のオリジナルソングCD収録曲です。
 ラテンぽいリズムとメロディーの音楽で、くっきりと刻まれる4分の2拍子(なのかな?)が心地好い。またそれがBメロで見せる変化も。
 思い起こしてみると、先日紹介した三曲もリズムが選曲の理由だった感じがします。それが最近のマイブームなのかな?
 まあ、今回のはテンポが微妙にゆっくりですけど。

 そういう点では、『アルドノア・ゼロ』のサントラを紹介したときに特に好きな曲として挙げた『BRE@TH//LESS』に近い感じですね。あの、主人公の伊奈帆の性格というか正確さを想起させる、行進曲のようなリズムとテンポ。
 実際、『Storm in Lover』とビートの速度はほぼ一緒ですね。
 ちなみに、冒頭で「一つ」と書きましたが、『BRE@TH//LESS』もその一つです。

 歌詞は、「焦」「熱」などといった文字が象徴しているような、夏の情熱を歌い上げたものです。タイトルの語順には最初、え、逆じゃ?みたいに感じたわけですが、よくぞと言いたくなるくらいぴったりですね。
 また、途中に囁くような台詞があるのがアクセントになっていて、それがより強調されています。

 そんな燃え上がる恋を歌うのが海未と絵里の二人というのは……(笑)。

tag : アニソン

アニメ: 2014夏アニメ感想(13)

 今週のアニメ感想です。

ヤマノススメ セカンドシーズン 新十二合目「Dear My Friend」
 なんだか、近寄らないで的な空気をまとっているあおい。
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 別に拒否しているわけではないんですけど。ここなとの会話から察するに、ひなたもその辺りはちゃんとわかっているようですね。
 でも、夏休みに入っても何をするでもなくだらだらと。
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 で、「ちょっと出かけてくる」とふらっと歩いたあおいの足は、山へと向かいます。
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 このくらいの山なら、散歩気分で登れてしまいます。で、山頂では驚きの出会い。
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 いやもう少し早く気づきますよね普通。少なくとも後に来た方は(笑)。
 しかしさすがひなたというか、教室でのあおいの様子から色々察したように、今のあおいのことも鋭く勘づいたようで、その先にある山へとあおいを誘います。
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 で、こちらも普通に踏破。
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 ちなみに、
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天覧山(195m)
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多峯主山(271m)
だそうで。
 しかし、

「でも、やっぱりまた山に登りたい」

って、あおい立ち直り早っ(笑)! まあ一応、それなりに時間は経っているわけですけど、あんだけ凹んでたのが一体どうやって復活するのかと思ったら。
 この調子だと、この夏にもう一度どこかに、もしかすると富士山に?チャレンジしてくれそうです。

 ところで、あおいとひなたが多峯主山を登っているときに懐かしい歌が流れていました。『スタッカート・デイズ』ですね。ほんの一部しか知りませんが(笑)。
 歌詞の中に今回のサブタイトルになっている「Dear My Friend」という言葉が出てくるし、今回の話はあおいの「また明日、ヤッホー」というモノローグで終わります。
 色々な意味で初心に戻る話というか、それでも後戻りしたわけではないのがいい感じですね。

ソードアート・オンラインII 第13話「ファントム・バレット」
 前回の終わり、ついに≪死銃≫と直接対決となったキリトですが。

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(強い……。一瞬。ほんの一瞬でいい。このラッシュをブレイクできれば!)

 キリトは、やはり殺人ギルドでの有力者であっただけあって剣技も優れている≪死銃≫を攻めあぐねています。

 一方のシノン。

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(スコープさえ無事なら!)

 ヘカートIIのスコープは、前回の≪死銃≫の銃撃で破壊されていました。

 また、現実世界の明日奈。
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 大会の様子はモニタで確認できるものの、現実世界からでは手助けもできず。無力感に襲われる明日奈ですが、ユイが声をかけます。

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『ママ、手を……パパの手を握ってください。ママの手の温かさなら、きっとパパに届きます。わたしの手は、そちらの世界に触れられませんが……わたしの……わたしのぶんも……』

 今回キリトが使っているのはナーヴギアではなくアミュスフィアなので、体感覚インタラプトはそう完全ではない、というわけです。

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「一緒にパパを……キリトくんを応援しよう」


 三者三様の焦燥。しかし、前回指摘したように、キリトが戦闘において強者であるのは、独りではないからです。
 キリトは記憶を遡り、ついに聞いていなかった筈の≪死銃≫のSAOでの名前を探り当てます。
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 ≪死銃≫の、赤い目。
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 ラフコフ討伐前のミーティングで確認したヤツ。≪死銃≫との共通点が多い人物。キリトは確信します。

「≪ザザ[XaXa]≫」
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「!」
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「≪赤眼[アカメ]のザザ≫。それがお前の名前だ!」

 時をほぼ同じくして、シノンの援護。
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 スコープの壊れたヘカートから、予測線を投げてきました。その「攻撃」をキリトは瞬時に理解します。

(この予測線による攻撃は、シノンが経験と閃き、闘志のあらん限りをつぎ込んで放った、幻影の一弾[ファントム・バレット]!)

 そして更にもう一人の援護。
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 ≪死銃≫の姿が消えていきます。このままでは狙いがつけられない。しかし。
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 キリトの左手を何者かが導きました。最後の最後で、彼を彼たらしめる在り方、即ち二刀流のキリトの復活です。原作文庫の感想を書いたときには具体的に書かなかった、現実世界からの明日奈の助けというのがこれでした。

 これで、「終わり」ました。ラフコフの殺人も、BoBも、何よりキリトとシノンの内面の問題も。解決とは行かないまでも、何かが終わり、区切りが付いたのです。まあ、
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BoBの終り方については見ている方々がどのように思ったかという大きな問題があるのですが(笑)。

 ……と思っていたキリトとシノンですが、≪死銃≫はまだ終わらないと宣言しています。「あの人なら」と。

 更には、現実世界での詩乃。
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 キリトが言ったことがやはり気になっていて、部屋中、何者かが潜んでいることができそうな場所を確認するのですが……。
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 襲撃者は心の隙を突いてやってきました。
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 新川です。彼こそが、もう一人の≪死銃≫。≪赤眼[アカメ]のザザ≫の弟で、前回までは≪Sterben≫でした。しかし、詩乃に執着する彼は今回だけは、現実の側を担当していたのです。
 諦めかけた詩乃ですが、ふとキリトのことを思い出します。……もし、今キリトが来たら、彼も危険なのでは。「誰かのため」に、詩乃は新川に抵抗します。
 そんな彼女には救いの手が。
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 なんとキリト、現実世界では桐ヶ谷和人が飛込んできます。
 詩乃を助けるために。

 まだ事件は解決していないし終結もしていないし、今回のラストは正に闘いの最中です。しかし、確かに何かが終わりました。最後に詩乃が抵抗したこと、それが、「終わった」ことの証明でもありますね。彼女は、変わることができたのです。和人と詩乃の内側にあった心の障害物は、取り除かれました。
 だから、もう前に進むことができる。
 今起きていること、そしてこれから起きることは、後始末であると言えます。多分次回、詩乃は新川のことについてケリを付けることになるでしょう。

 さて。
 ここからは余談ですが。

 前回もそうでしたが、今回特に思いました。
 ユイが明日奈と会話するとき、姿は見えません。このように描かれると、ああ、やっぱりユイはAIなんだなー、と実感します。SAOでのユイも、ALOでのユイも、あれは作られた姿で、その本質ってやっぱり形のない姿なんだなー、と。

 あとこれも最近気づいたのですが、声優の松岡さん、GGO内のキリトってやっぱり声を使い分けているようですね。モノローグになるとあの姿でも元のキリトに戻しているような感じがします。

 最後に、「マザーズ・ロザリオ」編について。
 アニメの第一期、アインクラッド編が綺麗に1クールに収まってなかったのは、そこで終りかと勘違いされそうだからじゃないかなとか思った(んだか聞いたんだかした)わけですが、何だか今回もそんな雰囲気ですね。
 となると、10月からは「マザーズ・ロザリオ」編に突入かな?
 「ファントム・バレット」編の感想の冒頭で原作シリーズの構成について指摘しましたが、やはりここまできたら、明日奈のことについてもちゃんと決着させてあげたいですね。それで本当に一区切りという感じです。
 ただそれだと、ちょっとしんみりした終り方になるので、場合によっては「キャリバー」とか最後のおまけに入れると面白いかも(笑)。

tag : アニメ

アニメ: 2014夏アニメ感想(12.1)

 先週の、あと一部今週のアニメ感想、この間の続きです。あちらでは『アルドノア・ゼロ』があんなだったので他のの感想を書く気力が……。

普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。 第12話「【ろこどる】やってみた。」
 ライブ映像だけキャラデザが違う感じがしたのは気のせい?

RAIL WARS! 第十二話「みんな待ってるよ」
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 ……誰!?

 あと、台詞と絵(の口の動き)がずれてるところがあったのがちょっと気になった。

グラスリップ 第12話「花火(再び)」
 ……難しいんですけど……。

ヤマノススメ セカンドシーズン 新十一合目「もぉ、やだ!!」
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 日の出の時刻。
 ご来光を目にするも、登頂できた二人とまるで違う表情のあおい。
 体は辛いし、登りきれなかったのが悔しいし、かえでや母に迷惑をかけたのが情けないし、それなのに気を遣ってもらっている自分が許せない。
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 帰ろうにも、その道程は果てしなく思えてくる。
 それにしてもこの(心象?)風景の描写は恐ろしいくらいの表現力ですね。
 なんでこんな思いをしてまで登らなければいけないのか。あおいの富士初登山はこうして完敗に終わってしまったわけですが、さて、物語がここで終わってしまうはずもなく、一体どのようにして復活するのでしょう。
 何より、挫けてしまった心ですね。

ペリーヌ物語 第49話「幸せの涙が流れる時」, 第50話「初雪の降った日」
 ついに、フィリップ弁護士が戻って来ました。ビルフランに頼まれた調査の報告をするためです。
 一方、ビルフラン自身にも大きな変化が訪れていました。息子の死、工場の従業員の子供が火事で死んだこと、そのことで罵られたこと。それらの意味をペリーヌの言葉や働き掛けで気づかされ、様々な事業を考え始めました。
 それらは慈善事業であり、なおかつ、大規模な工場を経営する立場の責務、即ち工場の健全な運営に利するものでもあります。フィリップ弁護士が戻って来たのは、まさにそういう時です。
 しかし、彼は最終的な結論まで得ることはできていませんでした。失望するビルフランですが、最後の調査は「今すぐ」に終了すると謎の言葉。
 彼は、おもむろにオーレリィに話しかけます。

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「パリではパリカールに会ってきました。とても元気でしたよ」
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「まあ、パリカールに?」

 この時フィリップ弁護士は内心どう思っていたでしょうね(笑)。そして今度は、固有名詞を出さずに話を続けます。

「……はい。それにあの、男のような格好をした女の人で、えーと……」
「ルクリおばさん!」
「そうルクリさん。あの方がよろしくとのことでございました、──ペリーヌ様」
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「!」
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 ビルフランとテオドールの反応が対照的です。

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「これが私の最後の調査であります。ビルフラン様のお考え通り、こちらのお嬢様は、ビルフラン様の御子息エドモン様のお子様に間違いございません」

 まあある意味ペリーヌは誘導尋問で「嵌められた」わけですが、ペリーヌの母マリを憎んでいた筈のビルフランの思いが大きく変わっていたことをペリーヌは知りません。
 しかし、ビルフランをそのように変えたのは、実はペリーヌ自身なのです。
 ビルフランのいるマロクールに辿り着いたのも、ビルフランの側にいる事を許されたのも、自身の正体が知られても受け入れられるようにビルフランの心を変えたのも、全て彼女自身の行動と在り方によるものです。
 ビルフランがフィリップ弁護士に調査を命じたのもそれが理由であり、必然的に、ペリーヌは受け入れられ、二人とも「幸せの涙」を流すことになりました。

 当初単なる旅物語のように見えたのが、実は大変なサクセスストーリーだったという、実に面白い構成でした。尤も、旅の部分の多くは原作にはなかったようですが。
 この世界名作劇場のシリーズはだいたい一作一年、1月から12月の放送だったと思いますが、本作は1月1日に始まり12月31日に最終回、全53話という、何かあまり例を見ないような作品でした。
 ……いや、まだ続きはあるんですが(笑)。

ハナヤマタ 11組目「スマイル・イズ・フラワー」, 12組目「ハナヤマタ」
 折角五人揃ったというのに、そもそもの発起人というか活動を開始したハナが、アメリカに戻ることになってしまいました。
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 ハナパパはハナの表情に何か気づいたようですけど。
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 見送りに来たよさこい部のみんなに、ハナは鳴子を残していきました。
 ……しかし。

 まあ、無粋な話は先にここで済ましちゃいましょう(笑)。
 話の展開はと言えば、概ね誰もが予想するであろう通りなのですが、それのどこがいけないのか、という感じですね。王道最高。いや、最高だから王道なのだ!
 また、花彩よさこい祭で披露したのは何だかよさこいというよりもアイドルグループみたいだなと感じました。ですが考えてみると、あれは時間を区切ってステージ上で行うものであり、一つのパッケージとして開始し終了するものなので、「構成」がそのようになるのは自然なことなのかも知れません。
 あともしかすると、本当によさこいというのはそれだけ自由なのだ、と伝えたかったということも?

 ともあれ、そんなことを感じながらも大変に素晴らしいステージの描写でした。それは多分、まずは演出。タイミングとか画面の遷移とか。そして、絵。色彩のセンスとか、明暗の使い方とか。
 色使いに関してはもう、第一話から通して一貫していますよね。
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 また、暗い背景により映えるものってあると思うのですが、まさにここに描かれている夜桜などはその代表とも言えるものであり、この色合いも多用されています。
 12組目で描かれた花彩よさこい祭にしても、よさこい部が演じるのは夜の7時頃。同時に描かれている花火も同じ種類の美しさを持つものであり、また、よさこい部が小道具として使用した番傘の絵柄も共通するものを持っていますね。

 ここでいきなり自分語りを始めますが(笑)、例えば以前紹介したもので、アニメ『ラブライブ!』一期OPとか、柴田是真の例えば『月薄鈴虫蒔絵額』とかのような漆の感じなんか好きなので、基本的に陰影込みの絵柄が好みなんでしょうね、私は。

 とまあ閑話は休題して、今度は演出の話。
 冒頭、主題歌であり花彩よさこい祭で使用する曲でもある『花ハ踊レヤいろはにほ』が、しょぼい再生機器による薄っぺらい音で流れることが、ハナの不在がもたらす空気感を象徴的に表している気がします。また、
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練習の時についハナのポジションを空けてしまうのも同様。ただし、
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当日の練習でも真智が中々ハナのいない形に慣れることができないのは、むしろそれで良かったというか、そうであるからこそいきなり戻って来てもちゃんとできたという意味かも知れません。ブランクがあってもハナの方は、第一話から見せていた驚異的な身体能力があるのであまり問題ある気がしませんし。

 ともあれ、なる達がハナパパによさこい部で作った歌を収録したCDを渡したことで、
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彼が空港で見たハナの表情の意味に気づいたのでしょうし、物語はあるべき方向へと流れることになります。
 そして、ハナが戻って来て電話が通じたのは当日、よさこい部の出番の30分前。ハナはよさこい部の演技を「見られるように頑張る」と言っていたのですが……。
 まさか一話に出てきてハナを追い掛けたあのお巡りさんがここで登場するとは思いませんでした。
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 それにしても、急いでいるハナを見ても自転車の荷台には乗せてくれない辺り、さすがお巡りさん(笑)。
 で。
 ここからの展開はまるで流れるようで、スピード感がありしかも美しい。その上、関わってきた人たちの様々な気持ちと心の動きも描かれています。
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 ハナのいないよさこい部の演技が始まろうとしていたのですが、それを見るために急いでいた筈のハナは、
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もう踊る気満々ですね(笑)。そして、
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ステージに辿り着いてみれば、
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演技の最中なのに見事な反応を見せたなるがステージに置いた鳴子を取り上げ、
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ハナにパス。この辺りでBメロからサビへ。
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 あのぽーんと綺麗な一音が鳴る瞬間に見事にキャッチ。
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 ハナがステージに飛込む瞬間は息を飲むほどに美しい絵になっています。その上、
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サビに突入した歌とともに花開く番傘が、画面を一転させます。ステージのライティングも、暗かったり場合によっては
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明るくなったり、実に華やか。それも、ライトに余計な色を乗せたりしません。カットとして時々海岸から見える花火が入ったりもしますし、心理描写として回想なども入ります。
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 最後も綺麗に決めて、大成功ですね。

 ところで、
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これ、OPにほぼ同じカットが出てきます。あれはこの場面だったんですね。
 またこういう構成だと普通は、最終話のED曲にはOP曲が使用されますが、本作ではそれが劇中のクライマックスシーンで流れることになりました。ではいつもと同じ曲で終わるのか、と思ったら、EDテーマ曲の『花雪』は、「チーム“ハナヤマタ”ver.」で、よさこい部のメンバーが歌っていました。それに、最後のイラストも少し変えてありましたし。

 とまあこんな感じで、よさこい部は見事に演じ切りました。
 物語的にも綺麗に決まり、大変気持ちの良い終幕だったと思います。

おまけ:
 花彩よさこい祭のよさこい部のステージでは同時に、様々な人間模様みたいなのが描かれていましたが、その中でも気になったのがこの二人。
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 海ぼ……大船さん、幸せそうですね。
 色んな意味で(笑)。

tag : アニメ

アニメ: 2014夏アニメ感想(12)

 今週のアニメ感想です。

ソードアート・オンラインII 第12話「幻の銃弾」
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 残っているプレイヤーを数えて一人足りないことに気づいたキリト。何か大きな見落としがあるのではないかと感じているのですが……。
 ……何だっけ。もう原作読んだのが結構前なので忘れてしまいました。まあ、折角忘れたのだから読み返さず一緒に謎解きをしますか。
 つまり、「忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか」ってやつですね(笑)。

 ともあれ、ついにキリト・シノンのコンビと≪死銃≫の直接対決です。シノンは遠距離ですが、彼女のスナイパーとしての性質を考えると、これも直接と言えます。
 そんな中、これから出陣、という時の対話に、キリトのこんな一言が。

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「強いな、シノンは」
「え?」

 シノンにしてみれば、お前は一体何を言っているんだ、というところでしょうけど。また、こんなことも。
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 考えてみると、こういうのがキリトの「強さ」(ここでは戦闘力のこと)が最も表れているところなのではないでしょうか。
 キリトは、自分の側の者と認めると、とにかく何がなんでも守ろうとする。これはサチの件があったからでしょう。クラインの件も影響しているかも。そして、その上で相手の(色々な意味での)力量を認めると、今度は徹底的に信頼する。これはもしかすると、アスナがそうさせたのかも知れません。
 このようなキリトの在り方が本当に強い結び付きを作り、ソロプレイヤーの癖に周囲に妙に多くの協力者・信奉者を揃える奇妙な立ち位置を演出しているという印象です。
 つまり、キリトの「強さ」は個人の技のみによるものではないのでしょう。

 そして、シノン。
 以前指摘したように、今キリトがシノンと同じように苦しんでいる殺人を犯したときには、シノンとは違い、それでも幾ばくかの「覚悟」持って臨んだことでした。シノンは今回、「あの時」とは違い、この銃弾に自分の命がかかっていることを意識し、事に臨んでいます。
 だから、覚悟の意味が違うとは言え、シノンはキリトが歩んだ道を辿ろうとしていると言えます。

 闇風は、シノンが止めてくれる。
 そう確信し、自分は感覚を研ぎ澄まし、「何か」を感じ取ろうとする。キリトは≪死銃≫の初弾を回避。
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 シノンはキリトの期待通り、見事闇風を吹っ飛ばします。
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 それにしてもヘカートIIの銃声、物凄いですね。これはやはり、人に向けて撃つ銃ではない(笑)。こういうのってもしや、どっかから実銃の音を仕入れてきたりするんでしょうか。
 まあともあれ、次にシノンが狙うのは≪死銃≫。
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 シノンが≪死銃≫を見つければ、あちらもシノンを見つける。そして、ほぼ同時に銃撃。
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 L115はヘカートIIのスコープを、ヘカートIIはL115の中心部を吹き飛ばします。
 このときシノンは、相手の一つの顔≪サイレント・アサシン≫を殺したのです。

 キリトは、GGOなのに奇しくも剣で≪死銃≫と対決することに。

 ところで、現実世界では明日奈が和人の元へ。
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 和人がダイブしている病室のパネルPCにユイが映した映像では、キリトが≪死銃≫、プレイヤーネームSterbenと相対しています。
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 看護師の安岐さんにより、ついに「Sterben」の意味が明かされました。
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 それは、「死」。≪死銃≫が使っているこのプレイヤーネームは明日奈にしてみれば、キリトが、そして今回の事件の性質から和人が死に直面していることを象徴しているように見える筈。
 そんなキリトのため、明日奈にできることはあるのか。

 その時キリトは、≪死銃≫と対話し、SAOでのことを告げられました。キリトが≪死銃≫の名を思い出すことは不可能だ。何故なら、そもそも知らないのだから。
 SAOでの名がわかれば、という目論見が崩れ去ってしまい追い詰められたキリトを、今度は≪死銃≫の剣が襲う。
 果たして、彼はどうやってこの危機を乗り越えるのか。

ALDNOAH.ZERO 12「“たとえ天が堕ちるとも” -Childhood's End-」
 続きはWebで。
NEXT JANUARY A.D.2015
……じゃなく来年!
 前回のコメントに「狐につままれたようなヘンな終り方をしそうな予感」がすると書きましたが、それは当たっていたもののその内容は予想すらしないものでした。
 同じく前回、最後にNewtype誌でのインタビューで、アセイラム役の雨宮さんがスレインの好感度が下がったと言っていたという話を紹介しましたが、これは確かにそうかも(笑)。

 さて、ストーリーについてはもう最初に簡単にまとめてしまいましょう。
 伊奈帆とユキ、韻子はアセイラムをザーツバルムの揚陸城のアルドノア・ドライブへ届けようとするのですが、ザーツバルムの襲撃、伊奈帆の迎撃、というか応戦、そこへスレイン介入、それで死を免れたザーツバルムがスレインの目の前でアセイラムを撃ち、キレたスレインがザーツバルムを撃ち、ついでにスレインは姫とよろしくやってた伊奈帆も撃ってお仕舞い。
 ……今回の脚本、虚淵かと思いましたよ。

 それにしてもアセイラム姫、これで「殺害」されたの三回目ですね。二度目は本当に心肺停止だったし、今回も少なくとも大量出血は間違いない。もしかして作り手に愛されてる?そして好きな子をいじめちゃうみたいな。
 あ、そうすると、
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揚陸城に艦ごと突っ込んで艦橋で負傷したニーナも愛されてるのかな……。

 あと、艦長と鞠戸の関係もだいぶ正常化した感じですね。

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『まあ、無事っつーか、あれだ……。「俺達のことは気にせず、先に行け」ってやつかな』
『界塚准尉。任務続行です。お願いできますか』

 その鞠戸が前回言っていた言葉で、何か深い意味がありそうだと思いつつ指摘を忘れていたのがありました。その件については後ほど。

 それにしても、ザーツバルム伯爵のカタフラクト、このタイミングで合体変形ロボ、しかもこれまで登場した敵方ロボの機能をフル装備とか、一体どんだけお約束(笑)。

 とかいう話はこの辺りにしておいて。
 冒頭近くの伊奈帆の言葉に注目。

「憎い、ですよね。地球をこんなにした、沢山の人を犠牲にしたヴァースが……憎いですよね」
『セラムさん。どうすれば戦争が終わるか、知っていますか』
「それは、平和を願い、憎むことをやめれば──」
『いいえ』「戦争は、国家間の交渉の手段でしかない。憎まなくても戦争は起こる」『どうしても手に入れたい領土、資源、利権、思想や宗教やプライド、それらの目的を巡って戦争は起こる。だから、その目的が果たされれば、戦争は終わる。……または』
「……」
「利益に見合わない数の人が死ねば、戦争は終わる」『怒りも憎しみも、戦争を有利に運ぶだけの手段でしかない。僕はそんな感情に興味はありません』
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「……伊奈帆さん?」
「だから、僕は火星人というだけで憎いとは思わない」
『……そうか? 我は地球人というだけで憎いがな』

 最後にいきなりザーツバルムが割り込んできますが。
 さて、この言葉は色々興味深い。
 まず、いきなりこんなことを語り始めた理由について。実は結局、最後の「火星人というだけで憎いとは思わない」が、最初のアセイラムの言葉(ユキに向けたものでしたが)への応えだったのでしょう。ユキや韻子の微妙な反応が微笑ましい。一体どんだけ遠回しなんだよ、という感じ。

 次に、伊奈帆の在り方について。手段でしかないから興味がない。しかし、だから自分はそのように思わないというのもとんでもない話です。そういう理屈で感情を制御できる少年って一体……?という感じ。まあ、以前も頭の回転が速すぎて感情が動き出す前に答えが出てしまうのではみたいな指摘をしたことがありましたが。

 それから、語っている内容について。彼は本当にこう考えているのか。語りたいこと(自分はそう思わない)に合わせているのか、それともやはり机上の、空論とまでは言いませんが本当の意味で人というものを知っているとも言えない未熟さから出たものなのか。
 ザーツバルムが言っているではないですか。「我は地球人というだけで憎い」と。

 ここで前述した、前回の鞠戸の言葉を思い出しました。彼は、火星の仕掛けてきた戦争について、こう言いました。

「産業革命以前の原始的で、そして純粋な戦争だ」

 本当の戦場を知っている彼が言ったことは、やはり火星騎士の本質を突いているのではないでしょうか。近代国家成立後の戦争(いやまあそれ以前にもあったでしょうが)を想定した伊奈帆の論は、果たして火星騎士に当てはめられることなのか。
 以前、カームとクルーテオの言葉に表れた認識の違いを指摘したことがありました。
 地球人であるカームは火星人について「岩石帯からずっと俺たちを見下ろして」と言っていたし、クルーテオは自分達について「砕けた月の陰から無様に地球を見上げていた」と言っていました。こういう感覚的で感情的な理由も、勿論今行われている戦いの土台になっている筈です。

 以前ザーツバルムは、科学文明は発達したものの文化を生み出せず、病んでいるヴァースという考え方を示しました。

「アルドノアを中心とした封建制度の中で虐げられた民。その貧しく卑しい国が、永き歴史ある星を蔑む。……何と愚かしいことか」
「地球を羨み、地球を妬み、地球を憎むことで民衆を治めていたヴァースが、地球を侵略することでしかその大儀を保てぬほど病むのも道理」

 今回彼はもう一歩踏み込み、こう告げています。

「植え付けられた地球人への羨望と憎しみが、いつまでも我らの魂を濁らせ続け、人としての生き方を奪った」

 文末がよく聞こえなかったので少し違うかも知れませんが。
 そこには、自分(達)の抱える「病んだ」部分の「どうしようもなさ」のようなものが表出しています。わかっているのに、ここまで分析できているのにどうしようもない、そこから抜け出せない。
 戦闘で髪が乱れたザーツバルム
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は、何だか若き日の彼
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を思い出させます。これももしかすると、人はそう簡単に変われないということを表しているのでしょうか。

 ともあれ、上記のようなことを言った(言い放った)伊奈帆ですが、
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アセイラムが撃たれた時には、
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彼女と過ごした日々を「特別なこと」として思い出していたようです。しかも、彼が「姫」に触れることを許さないスレインを、「蝙蝠」と、それも
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珍しくはっきりとした表情を浮かべて挑発しています。相手は銃を向けているのに。

 彼は、「火星人というだけで憎いとは思わない」と言いました。つまり、憎いと思う条件は別にあるということで、それは一体何なのか。
 それが、少しだけここに表れているのかも知れません。

 さて、以前、放送開始前の特番だか雑誌の記事だかで、中盤からスレインが重要な役割を担うようになるというような説明があったように思いますが、多分、ここからは彼のターンということでしょうか。
 特に気になるのは、今回彼が、アルドノア・ドライブが停止している筈のクルーテオのカタフラクトを動かせたこと。あれは、彼自身の持つ何かによるものなのか、それとも別の要因からなのか。
 これまでの主要人物が軒並銃弾に倒れたこの物語は、一体どうなるのか。

 というわけで、続きは来年ですね。

tag : アニメ

読んだ: 『制服嗜好』紹介

 なんかカテゴリ名を変えた方がいいかなという気がするくらい読了せずに書いてばかり(笑)。

制服嗜好制服嗜好
(2014/09/07)
上月さつき

商品詳細を見る

 制服図鑑みたいな本は結構沢山出ているようですが、この本はちょっと違いますね。
 その違いは、言ってみれば、辞書と教科書のような。事例を連ねるものと、分析して類型や機構を示すもの、という感じの違いがあります。だから、帰納したので演繹しましょう、みたいな役割になると言えましょうか。
 言い換えれば、見て「知る」ものと見て「学ぶ」もの、のような。

 そんなわけで、登場する制服も奥付によると「※本書で描かれた制服は、実在のものを参考にした創作になります。」だそうで。上記のように、帰納したので演繹したという感じでしょうか。
 確かに、極めて「らしい」というか、まるで実在しそうな感じですね。特定のアルゴリズムに従って動くものが生き物っぽく見えるとか、特定のアルゴリズムで描いた風景が実物っぽく見るとか、そういうのに近いかも。

 あと、例えばタイについて書けば結び方とか出てくるし、スカートについて書けばアジャスターのこととか出てくるし、アウターやソックスなど関連する事項にも触れています。
 これは元は同人でかなり時間と手間をかけて作られたようです。同人らしい拘りを感じます。

 それからイラストの、これは制服の中身の方ですが。
 この人の描く女の子は、非常に制服が映えるスタイルですね。いや別に胸が小さいから誉めてるわけじゃなくて(笑)。これは冗談ではなく、胸大きすぎると制服姿は綺麗に見えないと思うんですけど。
 あと何より、立ち姿が綺麗。やはり姿勢は良くないとですね。
 というわけで、つい大きな絵で紹介してしまいました(笑)。

 世の中には、特に何に使うという予定がなくとも何となくためになったように思える本ってありますけど、これもそんな感じの一冊と言えましょう。
 あと綺麗だし。雰囲気が。

作者さんのサイト;せるりあん☆ぶるー

tag : 上月さつき

マンガ: 『シャーリー (2)』感想

 なんかもう、存在自体をずっと忘れていた作品の第二巻がいきなり出ました。

シャーリー 2巻 (ビームコミックス)シャーリー 2巻 (ビームコミックス)
(2014/09/13)
森薫

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 いやいきなりって、単行本しかチェックしてないからそう見えるだけですけど。なんと、一巻が出たのが2003年、二巻の収録作品は帯によると2006年から今年(2014年)にかけて描かれたものだそうで。
 私にとってはこの作者さんはエマのイメージでシャーリーが後発なんですが、シャーリーは元はデビュー前に同人で描いていたものだそうなので、歴史的にはこちらが先なんですね。
 にしても、もう一巻の話とか憶えてませんがな(笑)。

 シャーリーは13歳のメイドで、カフェ『モナ・リザ』を営む28歳の女性ベネットさんの家で働いています。
 メイドなのですが、エマのような正統派と、現代の萌え系作品でのメイドさんとの中間というか、いやそうじゃないかな、いいとこどりというか、そんなキャラになっているように思います。
 まあ、現代の日本では後者が正統派のような気もしますが。

 先日感想を書いた(私レーティングでは)18禁漫画の『15才』もそうでしたが、人物のこういう組み合わせって好きなんですよね。特に、若い方が真面目なタイプの働き者で、年長の方が華やかな感じで、ベネットさんはそうでもないですが私生活が外でとは違ってずぼらだったりすると。
 つまり本作はかなりどんぴしゃというわけです。

 またシャーリーはかなり素朴なタイプで、また感性も素朴、別の言い方をすると純粋というか純朴なので、例えば二巻の「第一話 ダンス」の最後の方で踊り出してしまうところとか、「第三話 お給料」で買ったものが人形の靴とか、「第五話 届け物」で『モナ・リザ』で働くベネットさんを見る目とか、もう作者さんがどんだけ愛情を込めて描いているのか、という感じです。
 ……敢えて特定の表現を避けてみました(笑)。

 愛情と言えば、「第四話 留守番」ではシャーリーが失敗をしてしまうのですが、この作品はそういうことがあっても酷いことにはならないので、安心して読んでいられますね。

 あと絵ですが、エマとかと比べるとかなり可愛らしく描いてあります。やはり年齢を考えてか、顔の中での目の位置とか違いますし、頭の形や髪型なども。
 あと、足とかいいですね。ふくらはぎの辺りの曲線とか。それより上はそもそも通常描かれませんが。

 というわけでこれは大変良作なのですが、これまでを考えると、この先も進展はゆっくりなんでしょうね。
 まあ、こういう話でありキャラなので、それはそれで合っているとも言えますか。

 最後に、これは例えば『ゆるゆり』などもそうですが、挟み込んであるアンケートはがき、回収する気ないでしょ絶対。
 あれは普通、本と一緒に大切に保管しますよね(笑)。

tag : ビームコミックス 森薫

独り言: 焼き直しシリーズ(2) 日本人の宗教観

 ネタを二つしか用意せずに始めてしまったこのシリーズ、三つ目を用意する前に二つ目を書いてしまいました(笑)。
 今回の話の元ネタはこれです。

 この元ネタの文章は、まあ敢えて不穏当な言葉を使えば「でっち上げ」たものですが、そこで述べた宗教観に関連する記述は、日本人の一人である自分自身の実感を表現したものです。
 日本人はよく自分達のことを「無宗教」と表現しますし、主に欧米人からも宗教に対し無節操(良く言えば寛容)と評価されているようです。
 しかし、日本人は日常生活の中で、明らかに宗教的な行動を頻繁に起こし、宗教的な考えを懐いています。
 日本人にとって宗教とは、果たしてどんなのものなのか。

 というか、そもそも宗教とは一体何なのか。
 その役割はと言えば、例えば人々の心の救済であったり、例えば共同体の維持であったり、例えば民衆の統治のためだったり、色々あるでしょう。
 で、その形態はと言えば、通常イメージされる「宗教」では、教祖が語った、もしくは先祖より受け継がれてきた言葉があり、それが戒律や教義として中心に位置しています。日本人の多くが自身を「無宗教」と表現するのも、多分そのようなものを持っていないからでしょう。

 そういった教義は、後世の人による解釈の違い、時代の変化による実情との齟齬、その他様々な理由で不都合を多く生じています。その本質は何なのか、どの言葉が何のためにあるのか、語られた時代の何に相応しているのか。それらがはっきりしていればいいのですが、そもそもそれを読み取る時点で差異が生じてしまいがちです。

 ところで、日本に存在する「神道」、ここではそれはあまり近代的なものをイメージしていませんが、それは上記のような教義を持ちません。歴史的にはそういった部分は主に仏教が担ってきました。
 神仏習合は、神道の(つまり土着的な)神と仏を同一視することなど、単純に一緒になっていることを示しているように考えられているのではないかと思いますが、実際にはそれは、階層的に、レイヤー構造になっているのではないでしょうか。

 つまり、神道的なものは感性・感覚的な部分を担当していて、それは例えば、共同体を維持するための慣習だったり(村八分で二分は残したりダンバー数超え対応の「お天道様」の概念とか)、自然災害から逃れるための智恵だったり(神話等が危険な場所を示唆していたり)、健康を維持するための衛生観念であったり(水や塩による清めの概念)、森林資源を継続的に利用するための知見だったり(木の種類の選択や植林の習慣)、そういったものを伝えてきた。
 また仏教的なものはより抽象的な部分を担当していて、形而上的なことであったり、理論による説明であったり、そういったものを伝えてきた。
 日本人の宗教感覚は、基底の部分に神道的なものを横たえ、その上の知性・理性的な部分を、場合によって置き換えるような構造をしているのではないでしょうか。

 だから、時と場合に応じて表面的には違って見えるし、融通無碍です。キリスト教徒であっても、欧米の根っからのキリスト教徒とは何か違う、と自分でも感じていることは多いようですし。
 それは喩えて言えば、神道はパソコンのOSで、仏教やその他の宗教はその上で動くアプリケーションのようです。キリスト教になどは、他OSにバンドルされたフォントをコピーしてきて使う程度の感覚かも知れません。

 そして、無節操に神社や寺に行く割に、キリスト教の教会などにはそうそう行きません。観光地化していたり美術館のような場所であれば話は別ですが。
 それは多分、そういった場所は上記の比喩で言えば、OS部分からの入れ替えを要求されるような気がするからではないでしょうか。そして、そのような入れ替えができないのであれば自分は場違いであるから遠慮するべきという感覚が生じるからではないでしょうか。

 この構造・仕組みでは、本質的にそう簡単には変化しない部分が神道的なものにより支えられており、「言葉」のような抽象化された、しかし矛盾するようですが具体的なものと結び付いた部分は上位にあり置き換え可能となっています。
 この階層構造、モジュール構造が、無宗教のように見えつつ、無節操でありながら実は意外と強固な日本人の宗教観の特徴を形作っているのではないか、と思います。
 これは、極めて合理的であり柔軟であると言えるのではないでしょうか。
 そこには、入れ替わりの少ない閉鎖的な世界で、対立を決定的に悪化させることを避けるための対処も含まれています。

 現代では、世界は狭くなり、「ムラ」のようになってきています。しかし、そこに存在する人の数は、人の能力で安定した個体間関係を維持できる数を遥かに超えています。だからそこには、閉じた社会を運営するための智恵が必要になっていると言えます。
 そこで日本的な考え方が役に立つかどうかはわかりませんが、少し考え直してみるのもいいかも知れません。

独り言: イスラエル関連の報道で

 実際に感じたのはもうだいぶ前のことなんですが、イスラエルによるガザ空爆やら何やらの報道を見て思ったことです。

 この辺りの問題は複雑すぎて、私にはどちらが良いとも悪いとも、ましてどうすればいいなどとも言えるわけもありません。が、であるからこそ気をつけないといけない問題でもあります。
 別に今現在、身の周りにそれに関連する問題があるわけではなく、報道というものについてです。

 ガザ空爆のニュースを見ていたら、子供が何人被害を受けたとか、子供が泣き叫ぶ映像を流すとか、子供に対するインタビューとか、そんな感じのが多いと感じました。勿論、数限りない報道があったわけで、そのほんの一部の話ですが。
 勿論、子供に象徴される弱者が被害者となるのは人道的に大きな問題であることは間違いないでしょう。それは多分、多くの人の共通認識だと思います。
 であるからこそ、そのような報道がなされたのでしょう。

 それにより、この問題に関心を持つ人は増えるでしょうし、被害に遭った、もしくは遭うかもしれない「子ども」を救おうと実際に動く人も出てくるかも知れません。
 しかし、そのような経緯で関心を持った人は、まず間違いなく、イスラエル側に対し批判的な見方をしている筈です。
 私のように、どのような問題がそこで起きているのかを理解していない人がそのような意見を持つことは、果たして好ましいことと言えるのか。

 同じようなことは、例えば近年のテーマなら、クリミアの問題にも言えるかも知れません。欧米はどうしてクーデターを起こした側を支持し、住民投票は無効だと言うのか。これも色々と謎です。
 イスラエル関連で言えば、ドイツではイスラエルへの批判がユダヤ差別につながる懸念があるとして政府から何か発表があったようですね。この辺りのことはナチスがあったことが影響している可能性が高いように思えて何やら皮肉な感じです。

 冒頭で、これはだいぶ前に感じたことだと述べましたが、では何故今なのかというと、しつこいようですが朝日新聞の問題から思い出したからです。日本が海外からどのように見られているか。そこにまさに、このような問題が関わっている筈ですから。
 違うのは、日本に対し批判的になるような報道を、日本の名の知れた報道機関が長期間続け、「誤報」を繰り返してきた点でしょうか。

 まあこういったことは、それをたった一言で表せる単語があるくらいありふれた問題ではあるのですが、であるがためにその言葉自体がその言葉で表現されるような行為に使われたりしますし。
 それらから完全に逃れることは困難であるでしょうが、意識はしておくべきなんでしょうね。
プロフィール

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
 

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