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アニメ: 2014春アニメ感想 (12)

 今週のアニメ感想です。

シドニアの騎士 #12「帰艦」

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「左前腕強制射出装置作動」

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「え?」
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「え?」
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「え?」

 ある程度以上の年齢層の人は、ほぼ100%が「ロケットパンチ……」と思ったでしょう(笑)。
 最終話の話の流れが今一つよくわからないのは、つまり、BD6巻収録のディレクターズカット版を見ろってことですかね。

 ところで、この間読売新聞の夕刊でこの作品をべた褒めした記事があったんですが。やっぱり日本の作画技術は最高だぜ!みたいに。
 でも、アニメーターには日本人の名前殆んどないですよね。
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 まあ、何を以て日本の技術とするかって問題もありますけど。

ノーゲーム・ノーライフ 第12話「収束法[ルール・ナンバー・10]

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【十】みんななかよくプレイしましょう

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「汝ら、自らの知性を証明せよ」

 「みんななかよく」と「知性」ですか。
 やっぱりこの作品って、戦略とかよりも更にその先、「思想」や「目的」を探る話って感じですね。ただ、そこで反戦とかと考えるとすごく薄っぺらになっちゃいますけど。

それでも世界は美しい 第12話「帰還」
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 このエンディングのテロップは、もしや最近あった原作者がどうこうって話と関係があったりするんですかねぇ……?
 いや、ないかなぁ……?

一週間フレンズ。 #12「友達になってください。」
 色々ありましたし、まだ色々問題も残っていますが。
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 とりあえずは、こんな表情が見られたので良かったって感じでしょうか。
 最終話のエンディングが、OPテーマじゃなくEDテーマ『奏(かなで)』の、それも2コーラス目以降ってのが良かった。やはり、こっちの方が合っているように思います。

健全ロボ ダイミダラー 第12話「決戦!健全ロボ対ダイミダラー」

不健全な中高年めがぁあああ!」
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(台詞と画像は関係ありません)


 ところで。

「Hi-ERo粒子を持たぬ種族。それが我々だ。それゆえ個体を増やすには、他生物のHi-ERo粒子が必要不可欠なのだ」

「人間たち、忘れるでないぞ。Hi-ERo粒子、すなわちエロを失えば諸君もペンギンになるのだ。そしていつかは、我らと同じ運命を辿るであろう。せいぜい大切にすることだ」

 ふーむ、なるほど。で、彼らのような技術力がない我々にできるのが、移民とかってことですかね?

おまけ:
男子の貞操: 僕らの性は、僕らが語る (ちくま新書 1067)男子の貞操: 僕らの性は、僕らが語る (ちくま新書 1067)
(2014/04/07)
坂爪 真吾

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僕たちの社会は、「何がわいせつに当たるかは、国家が決める」社会、言い換えれば、「何に対して、性的に興奮すべきか(すべきでないか)」を、いちいちお上に決めてもらわないと、勃起も射精も満足にできない社会です。

p.032


ペリーヌ物語 第26話「親切なルクリおばさん」
 東京MX2で4月から再放送が始まっている本作ですが、ついに来週はマロクールに到着ですね。毎週二話ずつやってるので、早い早い。
 この話、最初に見たときはマロクールのお祖父さんのところに着いてめでたしめでたしハッピーエンド、という旅物語かと思ったんですよね。しかし、半分くらいのところで到着しちゃって、あれ???という感じでした。
 で、どうなるのかと思ったら、ここからが本番。ペリーヌの、自身のその才覚による、しかし貪欲な上昇指向とは違うサクセスストーリーだったんですね。実際には旅の部分の多くはアニメオリジナルで、原作はパリに着いた辺りから始まるのだそうで。

 ところで。

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「ペリーヌ」
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 このシーンは重要ですね。このこと自体は別に大した意味はないんですけど、ルクリおばさんに「ペリーヌ」と呼ばれて応えるというそのことが、後にペリーヌの運命に大きく関わってきますから。

ラブライブ!第2期 #12「ラストライブ」
 ついにラブライブ本選です。
 前日は、このメンバーでの最後の練習を終え、神社(神田明神ですか?これ)にお参り。

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「こんなに一編に色々お願いして、大丈夫だったかなぁ」
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「平気だよ。だって、お願いしてることは、一つだけでしょ?」
「え?」
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「言葉は違ったかも知れないけど、みんなのお願いって、一つだった気がするよ」

 これはつまり、心はもう一つになっているという意味ですけど、ここでわざわざこれを言うということで、そのことをみんなが共有する、本選の前にちゃんと確信できるということにもなります。
 まあ、そこまで意図しているかというとちょっと疑問かな?

 それから、ついまた戻って来てしまったメンバーに、
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合宿を提案したのも穂乃果なら、
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屋上に出ようと言ったのも穂乃果。まあ、相変わらず学校への手続きとかは周辺に丸投げですけど(笑)。
 無理に解散、帰宅、睡眠、と持っていこうとしても、多分逆効果だった筈。

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 というわけで、ついにラブライブも本選当日がやってきました。
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 やってきていた彼女達、重要人物ですね。

 そして、μ'sの出番です。にこが引いたくじはなんと大トリ。
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 いつものように円陣を組んで……
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しかし、穂乃果は黙ったまま。

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「どうしたんです?」
「何て言ったらいいか、わからないんだ」
「え」
「何よそれ」
「だって本当にないんだもん。もう全部伝わってる。もう気持ちは一つだよ」
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「もうみんな、感じていることも考えていることも同じ」
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「そうでしょ?」

 仕掛けておいたものが、ここで効いてきた、筈。
 そしてステージ。
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 全力で歌い切り──しかし、
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止まらないアンコール。穂乃果の脳裏に去来するのは……
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あの、淋しかったライブの頃のこと。そして決意。
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 アンコール曲は……
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おや?この衣装?
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 というわけでななんと(笑)、アニメ一期のOPはこのアンコールのシーンだったのでした!
 中々に粋な演出(というかサービス?)ではないですか。
 ちなみに、衣装はどうしたのかというと。
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 こういうことでした。何というか、本人たち以上に信じてるって感じですね。

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 第一期最終話の感想で私は、「私たちはまた駆け出します。新しい夢に向かって!」と宣言した穂乃果について熱く語ったりしました(笑)が、廃校の危機の回避の後、こうして新たな夢、目標を設定し、見事に達成しました。いやー、素晴らしいですね。

 ところで、第一期の最終話ではそのライブの映像、平たく言うと3D動画の出来についてちょっと不満を述べたりもしましたが、今回のはかなり気合い入っていますね。OPとかと比べても遜色ないくらい。
 お疲れ様でした。

 さて、ここからはどうでもいい話。

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tag : アニメ

エロゲ: 『3つの催眠』感想

 先日、いつも見に行っているブログでこういう本が紹介されていたのを読みました。

 これは良作に違いない!と直感し、早速購入しました。
3つの催眠3つの催眠

サークル:#define(Official)

 原作のゲームの方を(笑)!

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tag : 同人 #define

独り言: マニュアルと誤表現と「理系」と「文系」

 本当はその日に書く予定だった話なんですが、前の月曜(2014-06-23)の日経新聞朝刊に、こういう記事がありました。

コンビナート 揺らぐ安全
 相次ぐ爆発事故 団塊退職、途絶える経験知

 全国各地で死傷者が出る石油コンビナート事故が後を絶たない。原因はマニュアル違反など基本的なミスが多い。現場作業員の「教育」が課題だが、団塊世代のベテラン作業員の大量退職により知識や経験の伝承が難しくなっているという。専門家は「一朝一夕で人材は育たず、事故の削減には時間がかかるかもしれない」と指摘している。

 この記事は、こう結ばれています。

 東京理科大の小林恭一教授(消防防災学)は「バブル崩壊以降、多くの工場がリストラを進め『現場力』が衰えたため、事故という形でツケが回ってきた」と指摘。「事故を減らすにはマニュアルの徹底しかないが、マニュアル通りに実行できる人材の育成は時間がかかる」と話している。

 今回引用した記事は石油コンビナートに限定しているような書き方になっていますが、最近それに限らず、事故多いですよね。感覚的にそう思っていたのですが、少し前に、工場での事故の頻度が上がっているらしいという記事を見ました。
 また、鉄道の運行なんかも不正確になっている気がしますし、売られている物の品質も落ちている気がします。

 ここでまず本題に入る前に、これまでに何度も指摘してきたことを再掲します。
 雇用の問題を語るとき、どうして業種や職種による違いが考慮されることが少ないのか。流動性を高めようという話ばかりが目立つ。以前、一般の人を集めて雇用の問題について討論するテレビ番組で印象的だったのが、製造業の人だけがまるで違うことを言っていた点。熟練が必要なのだから、ということのようだった。
 とまあこんな感じです。大体、アメリカから(いつものように無思慮に)導入している考え方みたいですけど、製造業を捨てちゃった国を参考にしてどういうことになるか、ちゃんと考えてるんですかねぇ。まああの国もそういうものの国内回帰を考えているようなので相変わらず周回遅れの猿真似ですが、果たして。

 さて話を戻すと、「マニュアル通りに実行できる人材の育成は時間がかかる」ってのは、まあ当然ですよね。人は必ずミスをする。だから、マニュアル通りにしようとすれば、できることは必ずそれよりも下になる。
 つまり、マニュアル通りにできる人というのは、実際にはそれ以上にできる人でないといけない。マニュアルは、その通りにさせる「ため」にあると考えるのではなく、最終的にはできる人のためのチェックリストもしくは備忘録に成り下がるべきだと思うんですよ。守・破・離じゃないですけど。いずれはそれを改善できる人が生まれなければいけないのだし。

 で、この記事には途中に、多分最も重要なことが書いてあります。引用します。

日本化学工業協会(東京)の春山豊常務理事は「ノウハウを伝えるベテランがいなくなれば『ホワイ(なぜ)』の意識が伝わらない。基本に戻って教える必要がある」と強調する。

 つまり、「なぜ」そうするのか。最終的にはそれがわからないといけない。そういう人がマニュアルを「書ける」人になるわけですね。
 これも何度も言ったことですが、なぜ、何のためにそれをするのか。それが何についても最も重要だと思います。

 ここで話は大きく変ります。
 この間テレビでやっていた、表現の間違い、言葉の誤用についての話。それを見ながら思ったのですが、誤った表現になる理由は、まああまりきっちりと分けられるわけでもないですけど、三種類あるようですね。
 故事などがあって、それによって生まれた表現。これは、故事を知っている人でないと、考えてもわからない。
 次に、文字の意味があって、それに従って熟語等ができている場合。最初のに似ていますが、一応目の前にある文字の中に答えがある話なので、区別してみました。
 そして三つ目が、考えればわかるもの。

 以前このブログでも指摘した「過半数越え」などもその番組に出てきましたが、他にも良く見掛けるけど何だか気になる表現に「防災対策」というのがあります。
 ……防災に対策を立ててどうすんのよ?という感じですね。名詞があってそれに対する策を練るのが何とか対策でしょ。
 まあもしかすると、防災のための対策という意味なのかも知れません。景気対策みたいに。しかしそうなると、防災があって、じゃあ「策」の「対」の向こう側にあるのは何よ?という感じ。「景気対策」だって、意味するところは「不景気対策」「景気浮上策」だし。
 実際にそれが本当に間違いであるかどうかは、私にはわかりませんが。

 他にも、朝日新聞が書いた奇妙な数式とか、あとは「IT技術者」とか。ITのTって何だよ、という話。
 あと、これは少し違う話になりますが、何度もしつこく指摘しているボットネットの話。解説していて、それ遠隔操作してるじゃん、遠隔操作なんて珍しくないんだね、と思わないのか、とか。

 故事を知っているかどうかで、つまり知識でわかる、逆に言えば知らないとわからないものについては、メディアも一所懸命勉強して「正しい」表現をしようとしているようなのですが、考えればわかるものはどうしてこうなのか。

 ずっと以前から繰り返している話ですが、こういうときいつも「理系」「文系」という区別をしたくなるんですよね。そして同時に、その分類が一般的に意味していることが、私の区別したいことと全く合致しないこともわかっています。だから、それらに替わる言葉がほしい。
 最近、私が区別したいそれら、代替の言葉が見つかったわけではないのでここではまだ「理系」「文系」(鍵かっこ付き)で表現しますが、それらの間の特徴的な違いがわかってきました。

 ここでいう「理系」は、物事(モノやコト)の理由、構造、仕組み、筋道、意味、結局何なの、等といったことに強い関心を持ちます。

 多分、子供の頃には物を分解して喜んでた、場合によってはそれで何度も怒られてたのではないでしょうか。あと、憶える(所謂丸暗記)より何とか法則を見出して楽をしようとするとか。
 それから、そういう性向が適合する典型的な分野が自然科学であるというのも、自然なことだと言えます。だからこそ、まずは「理系」「文系」という表現になってしまったとも言えます。

 というわけでそのような「理系」的性向は、勿論一般的に言われる理系とは必ずしも一致しないわけで、理系と分類される人が「理系」的でないことも多々あるし、文系的な職の人にも当然いて不思議はありません。
 ただ、一般向けのマスメディアは、文系でありなおかつ、そういった意味であまりにも「文系」的だといつも思います。そりゃ知識は豊富かも知れないけど、意味わかってる?みたいな。文法は合ってるけど、話の筋は一体どうなってるの?みたいなのも。
 まあ、冒頭で引用した日経の記事でも、「原因はマニュアル違反など基本的なミスが多い」とかちょっとおかしいんじゃないのかと思いましたけど。「原因は……多い」って? 「原因としては」とかもう少し別の言い回しがあると思うんですけど。いやどうでもいい話ですが。

 それはさておき、マニュアルにしても、表現の間違い等にしても、意味や理由というのが重要であるし、実際、表現がどうして間違っているかについてはその成り立ちとか意味を説明するのが定番です。
 結局どういうことなのかというと、まあどれだけできるかはともあれ、もうちょっと考えましょう、という結論になりますかね。勿論、考えを止める判断も考えることになると思います。
 でもそういうと、「下手の考え休むに似たり」だよ、とか言われそうですが。

読んだ: かんざきひろ画集『Cute』他2冊について

 何だか、昨日今日と下らないことを書いてしまったので、少しはマトモな話もしましょう。

 まずはタイトルに書いた画集。
かんざきひろ画集 Cuteかんざきひろ画集 Cute
(2014/06/24)
かんざきひろ

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 当ブログでも何度も、原作ラノベやアニメについて感想を書いた『俺妹』のイラストレータさんですね。
 そのかんざきひろさんの、なんと「初画集」だそうで。ふーむ、『俺妹』のファンブックとか結構持っているのであまりそういう気がしませんでしたが、画集という意味では初めてなんですね。
 この本には帯がありません。プラっぽい外装の中に収められています。が、その外のフィルムにシールが貼ってあって、まあ帯に書くようなことが書いてあります。「初画集」という煽りもそうですし、画集第2弾が2015年に出るともあります。

 今回の画集に収録されているのは、1999-2007年の様々な作品、そして『俺妹』の原作1〜6巻掲載のイラストが中心となっています。新作もアリ。
 古いのを見ると、あ、これこの人だったのかと思うのがあるくらい大きく変化していますね。
 個人的な感想ですが、この人の絵、『俺妹』のアニメに関わった辺りから一気に洗練された気がします。というか、そんなお上品な表現ではなくもっと私らしく言えば、女の子が可愛くなった(笑)。

 ちなみに表紙の桐乃と裏表紙の黒猫は描き下ろしだそうで。……これもかなり別人?

 次に、画集をもう一冊。
 ……とここまで書いたところで、この本については既に触れていたことを思い出しました(笑)。
変態王子と笑わない猫。 カントク アートワークス変態王子と笑わない猫。 カントク アートワークス
(2014/04/24)
カントク

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 カントクさんの画集は『あしあと』も『STEP』も持ってたりしますが(笑)。これら二冊については間もなく、Amazon.co.jp限定でうちわ付きってのが出るようですね。内容は同じみたいですが。

 このへんねこの画集には特別な表現のため、ところどころに紙じゃなく透明なシートが挿入されているのですが……それに描いてあるのって、その向こうにいる月子を隠すためのただの湯気だったりするんですよね(笑)。
 でも、湯気のシート月子で二回やるのなら、一回は小豆梓にしてほしかった。いいネタがなければ描き下ろしてでも(笑)!
 あと、原作の7巻までのモノクロイラストも収録されています。

 でも、まあ原作やアニメの感想で何度も言いましたが、やはり私は小豆梓派。

 最後に、こちらはアニメのファンブック。
アニメ『ソードアート・オンライン』ノ全テアニメ『ソードアート・オンライン』ノ全テ
(2014/06/26)
電撃文庫編集部

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 おや、画像出ませんね。まあいいか。

 アニメ『ソードアート・オンライン』の第一期2クール、アインクラッド編とフェアリィ・ダンス編を紹介しています。
 背景、人物、そして各話(全25話)を一話辺り見開き二ページで紹介。各話の紹介にはスタッフやキャストのコメントもありますが、もしやこの内容ってBDのコメンタリから抜き出したのかな? いや、聞き覚えのあるコメントがあったので。でもあのコメンタリは全話に付いてるわけじゃないから違うかも?
 ただ、絵はやや小さいですね。数が多いので。それに、本のサイズも、先に紹介した二冊はA4版くらいですが、これはB5版くらいなので、余計小さくなっている気が。そういう意味では、あまり情報量は多くない?

 インタビューのところで、話の中から抜き出して大きく印刷されているコメントに、こういうのがあります。

『アスナが目の前で消えてしまったときの悲鳴とも嗚咽ともつかないキリトの声は、もう二度とできない』

 これは、私もアニメの感想で触れました。すごかったですよねあれ。

 アニメももうそろそろ第二期が始まるので、復習と予習のためにこの時期に発売ってことでしょうか。

せいじ: 産経の主張と「歯止め」(補足)

 昨日のエントリ「産経の主張と「歯止め」」への追記。

 上記のエントリは産経新聞の次の社説(2014-06-24)への批判だったが、書こうと思っていて忘れたことが一つあったので、簡単に述べておく。コメントしたいのは、以下に引用した部分についてである。


 栃木県の小学1年女児が殺害された事件では、8年半後に逮捕された容疑者宅のパソコンから、幼児性愛に関する画像が多数見つかった。児童ポルノの所持が、凶悪犯罪と結びつくケースもある。子供を守る手立ては、どれだけ厳重にしてもいい。

 非常にぼかした表現になっているところを見ると、もしかすると意図してのことなのかもしれない。つまり、「児童ポルノの所持が、凶悪犯罪と結びつく」というのが因果関係であるかのように印象づけようとする文章に思えるのだ。勿論、所持が「因」で凶悪犯罪が「果」という意味でだ。
 しかしこの場合は、犯罪を起こすような者だから所持していたのだろう。

 児童(18歳未満)についての話である筈なのにさらりと「幼児」などという言葉を忍び込ませたり、やることが汚い。いつも思うのだが、日本の(外国のものは良く知らない)報道は非常に情緒的だ。情に訴えようとするが、筋が通っていない。筋を通せないから情に訴えるしかないのだろうか。

 今回指摘した部分も同様だ。
 勿論、人の心理には所持しているものが影響することもあるだろう。しかし、上に引用した栃木の件は、そのような主張のために持ち出すには前述の通り不適切だ。しかも、というべきかだからというべきか、「結びつく」などと、関係があると主張しているのかどうかも判別しがたい表現になっている。
 つまり、因果関係があると主張することはできないが、最近のことなので皆の印象に強く残っているであろう事件のことを「想起させる」ためだけに書かれているように私には見えてしまう。

 「凶悪犯罪」にしろ既に指摘した今回引用部の前段にある「幼児」にしろ、文章の構成、筋道上は関係のない言葉だ。それを以て何かをすべしと主張するなど、まるで「軍の命令で拒否できなかったかもしれない」と言った誰かのようではないか。
 石原慎太郎について何度か指摘したことだが、日本で「保守」を自称する者の一部は、本当に特亜、特に半島の南側によく似ている。「情緒法」的な考え方をする。事実や理屈はどうでもいい。いや、口にするとそれを信じてしまうかのようだ。
 しかし、そのような考え方で、本来の目的は果たせるのか。つまり、そもそも児童のためになるのか。
 性的表現に拘ったせいで、今回の法改正では、関係ないものまで引っ掛かるために様々な条件を付けているし、むしろ児童に対する虐待があっても表現次第で問題ないものになってしまう。例えば、衣服を普通に身に付けていたらそれは問題ないのか。

 筋道立てた説明ができないことは、多くの場合、間違いを孕んでいる。説明しようとすると破綻するからだ。
 情に訴えるのは、人に聞いてもらうためには効果的かも知れないが、そもそもそうやって聞いてもらった内容に価値があるのかどうか、考え直してみるべきではないか。

 最後に、追記の更に追記。おまけのようなもの。

 上記の因果関係の話で思い出したのだが、三年前の時に何度か目にしたこと。
 災害対策について検討を進めようとすると、「そんなことをすると本当に起きそうな気がする」といった声が出て行き詰まる、ということがよくあるとの指摘があった。
 別に今回の件に限った話ではないが、因果関係と相関関係を無思慮(いや、無駄に考えて)に結び付ける報道は多い。もしや、こういった日本的(?)な感性が関係しているなどということがあったりするのだろうか。

せいじ: 産経の主張と「歯止め」

 産経新聞社の主張は以前から一貫しているわけだが、今回、その名も「主張」とされる社説に記述があったので、採り上げてみたい。
 今回は申し訳ないが、これまでは関係者に対する配慮のために極力具体的に触れなかったことについても言及することとする。

 その社説は、本日(2014-06-24)付けの以下のものである。主題を示すために、まず導入部を引用する。

 改正児童買春・ポルノ禁止法が成立し、7月中にも施行される。改正法では、個人が趣味で児童ポルノの写真や映像を持つ「単純所持」も禁止され、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる。


 私が「一貫している」としたのはこの内の以下の部分である。

 改正法では、漫画やアニメ、コンピューターグラフィックス(CG)などは表現の自由に配慮する観点から規制の対象外とされた。だが現実には、幼児を性的対象とするような「作品」が氾濫している。架空の創作物であれば何でも許されるのか。将来的な規制について検討を重ねる必要がある。

 産経新聞社は、過去に何度も同様の主張を繰り返してきた。時には「漫画児童ポルノ」などといった言葉も用いてきたし、2010年の都条例改正のときにはニュースサイトにてアンケートまで行っていた。
 では、漫画等の「絵」、つまり実在しないもの、都条例改正の際に有名になった表現を用いれば非実在青少年を対象にしたものが、どのようによろしくないのか。「何でも許されるのか」と問うているが、では何が許されないのか。

 つまり、児童で、ポルノで、絵だからいけないのか。
 ちなみに、ここで「児童」は18歳未満を指す筈だが、社説では、「幼児」という言葉を用いることで殊更に低い年齢層のことを想起させようとしている意図が見受けられる。
 さて、ではポルノがいけなくて殺人などの犯罪の被害者となるのはいいのか。そのような架空の物語はテレビ等で放送されているのだが。
 仮に殺人でも児童はだめで大人ならいいのか。そうなると、いや女性も許されないという声が出てきそうだが、そうなればいや男性も、ということになろう。それどころか、人間はだめで動物が良いというのも批判が起きそうだが、鯨はだめで牛はいいのかといった話にも展開しそうだ。
 絵がだめで文章が良いというのもまた疑問だ。青少年の保護のために見せないようにするというのなら、絵なら青少年でもわかる(つまり愚かだから文章ではわからないとでも?)というそれこそ愚かしい理屈も見掛けたが、児童ポルノの問題は全国民が対象である。

 結局のところその線引きの根拠は、「産経新聞社がそう感じているから」というだけのものに過ぎない。仮に漫画でなく小説も許されないのではないかという主張が出たとき、否定する理由は虚弱だ。いずれも創作物に過ぎないのだから。

 そうなると、一体どこに線引きをして歯止めをかけたら良いのか。ことは創作物に限らず、思想などと言った分野に展開したとしても不思議はない。
 戦後の米軍による検閲や公職追放のようなことが起きたとき、産経新聞社は説得力のある批判ができるのだろうか。自分達も、人が頭の中のものを表現しただけのものを「浄化」しようとしたではないかと反論されたとき、それを覆すことができるのか。
 本を焼く者はいずれ人を焼くと言われる。本を焼くのはつまり、人は考えによって動くのだから人を止めようとするにはそれを伝えるものを排除すれば良いということだ。しかしそういう者はすぐに、本は単に伝えるだけだと気づく。だから、考えを持つ者そのものを焼かねばならないことに考えが至るのだ。
 産経新聞社は、仮にそのような者が現れたとき、言論を以てそれを押し止めることができるのか。

 そして、もしも絵が児童ポルノであるとされたとき、絵師100人展のような展覧会で、明らかに児童ポルノの製造に関わっていた複数の人物を採用していたことを、絵を排除すべしと主張した産経新聞社はどう釈明するのか。

 そもそも、産経新聞社が絵を排除すべしとする理由は何か。その目的は。なぜそう考えるのか。そしてそれは、絵を排除することでなし得ることなのか。
 そのことについて、合理的な説明ができるのか。

 多分、「合理的」という言葉を出すと、世の中は合理的に動くものではないという反論をしたくなるのではないか。
 しかし、理に適っていない主張に正当性があるのか。筋の通った説明ができないことを他人に強要して良いのか。客観性のない法を以て人を裁くことは人治主義と何が違うのか。

 上記のような極端な思想弾圧に至ることに歯止めをかけるには、まずはそもそも実在しないものの弾圧に踏み込まないことだ。それは、無と有の差は一般に「有る」もの同士の差よりも大きいことにも似ている。実在と非実在の間にある壁は、非実在の規制に踏み込んだ後に乗り越えるべきものよりも大きい。逆に言えば、線引きを実在と非実在の境界よりも先に進めてしまったら、その時以上の障害は最早存在しないと言っていい。
 思想の自由は憲法で謳われているのだから心配しなくてもいいと産経新聞社は言うだろうか。
 しかし、単純所持禁止が盛り込まれた法について触れた社説で産経新聞社は、創作物の排除に同時に触れた。この時点で、思想の自由が侵されることを産経新聞社は容認していると見るべきではないか。

 産経新聞社は、思想についても「公」のためには規制もやむなしとしているのだろうか。

 果たして、「歯止め」は一体どこにかけるべきなのだろうか。

 以下は、今回扱った社説の写しである。ニュースサイトの記事は短時間で参照できなくなるため、引用部が属する文脈を確認できるようにするため保存した。

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tag : 児童ポルノ禁止法

アニメ: 2014春アニメ感想 (11) - ラブライブ!#11

 今週のアニメ感想、今回はラブライブのみの軽量版です。

ラブライブ!第2期 #11「私たちが決めたこと」
 まずは、サブタイトルが私「たち」であることがポイントでしょうか。

 ストーリーとかは殆んどほったらかして、ほぼ穂乃果の言動ばかりを追って見て来たこの2nd Seasonですが、そろそろ大詰め。ラブライブの本選まで間もないこの時期、そもそもμ'sとは?という問題と向き合うことになりました。

 音ノ木坂に合格して来年度は勿論入学する気でいる雪穂に、三年生が卒業したらμ'sはどうするつもりなのかと訊かれ、考え込んでしまう穂乃果。
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 しかしこのことについては、肝心のメンバーと相談するわけにもいきません。

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「ラブライブが終わるまでは、その先の話はしない約束よ」

 こういうことになっていたからです。しかし、みんな気になっていることではあるし、穂乃果のように来年度の新入生に問われてしまったらどう答えるべきなのか。

 結局、避けて通るわけにも行きませんでした。そうして出てきた意見は大別すると、
  • μ'sをどうするかというのなら、
    • やはりアイドルグループは、メンバーが抜けたり加わったりしても名前を引き継ぐもの
    • 誰かが欠たらそれはμ'sではない
  • このことについては残るメンバーが決めるべき
という感じ。名前を引き継ぐべきと考えるにこは、やはりアイドルグループというものに詳しい人物らしいとも言えますし、去る者としては名前を残して欲しいという気持ちもあるでしょう。対して、一人でも欠けたらそれはもうμ'sではないというのはまずは花陽から出た意見。この二つを真っ先に述べたのが三年生と一年生であるのは興味深いですね。
 そして、最後の意見は絵里のもので、穂乃果は結局こう考えました。

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「来年学校にいるのは私たちなんだもん。私たちが決めなきゃ」


 ところで、ここで新たな視点。

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「亜里沙は、μ'sのどこが好きなの?」
「え?」
「どこが一番好きなところ?」

 これは即ち、ファンにとってのμ'sとは何か、ということであり、それについて亜里沙はこう結論づけました。

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「私、μ'sが好き。9人が大好き。みんなと一緒に、一歩ずつ進むその姿が大好きなんだって」
「亜里沙ちゃん……」
「私が大好きなスクールアイドル、μ'sに、私はいない」


 今回穂乃果は、「場」を作ることに徹しているように見えます。残る6人で話し合ったり、それを伝えるための場所を選んだり。それだけでなく、9人で遊びに行く、9人の思い出を残す。これらは多分、なくなることになる「μ's」から、少しでも何かを残しておこうという想いなのでしょう。
 そう、結局6人は、三年生が卒業したら、というか大会が終わったら「μ'sはおしまい」にすると決めたわけです。

 6人で話したのだから穂乃果は1/6であるわけですけど、さて、ここでちょっと関心があるのが、穂乃果はそこで本当に1/6だったのか。亜里沙の出した答え、つまりファンの気持ちをさらっと潜り込ませるようなことはしなかったのか。
 そういうことをするのは穂乃果らしくない気もしますが、意図せずにやってしまうんじゃないかという気もしないでもないですし、そもそもいつまでも「穂乃果らしい」穂乃果でいるのか。こんな顔をするようになっていますからね。
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 まあ、その辺りがどうだったのかは結局わかりませんけど、6人は全員が同じ結論を出しました。

「誰かが抜けて、誰かが入って。それが普通なのはわかっています」
「でも、私たちはそうじゃない」
「μ'sはこの9人」
「誰かが欠けるなんて考えられない」
「一人でも欠けたら、μ'sじゃないの」

 彼女たちが「私たちはそうじゃない」と言うのはつまり、μ'sの成り立ちというのもあるでしょう。いや、そのことこそがμ'sを「普通」と違うものにしているのかも知れません。
 μ'sは、学校がなくなってしまうかも知れないという状況が発生したまさにその中で、その回避のために、その時に在学中だった各学年から三人ずつ参加しているグループです。このことがμ'sの特殊事情であり、真姫をして「μ'sは私たちだけのものにしたい」と、亜里沙をして「μ'sに私はいない」と言わしめたものなのではないでしょうか。

 穂乃果たちも、今後もスクールアイドルを続けるつもりではいます。ですが、それはやはり、μ'sとは違うものなのでしょう。多分、「目的」「存在理由」そういったものが違ってきてしまう。
 そう考えると、穂乃果たちの出した結論は得心がいくものです。

 さて、次回のラブライブ本選ですが、……最後だけ見てみたら、中々に粋な演出ですね!
 あと、最終回じゃないんですね。

 ところで、前回三年生たちが言っていた「これからのこと」とは、一体何だったんでしょう。
 今回話したこの件だったからもういいのか、別に話したことだけど私が気づかなかったのか、それとも次回出てくるのか。

tag : アニメ

艶漫画: 『わが闘争 妹のためなら世界を粛清してもいいよね! 1』感想

 エントリのタイトルに作品名を書くとき、サブタイトルが長い場合は大概省略するんですけど、この作品でそれやると、歴史上の有名人著作と間違われそう(笑)なので、今回は書くことにしました。

わが闘争 妹のためなら世界を粛清してもいいよね!(1) (アクションコミックス(月刊アクション))わが闘争 妹のためなら世界を粛清してもいいよね!(1) (アクションコミックス(月刊アクション))
(2014/06/10)
堀 博昭

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tag : アクションコミックス 堀博昭

ラノベ: 『東京レイヴンズ 〜9巻』概感とちょっと考えたこと

 感じたことを大雑把に書くという意味のタイトルにしたかったんですけど、適当な言葉を知らなかったので作っちゃいました(笑)。

東京レイヴンズ9  to The DarkSky (富士見ファンタジア文庫)東京レイヴンズ9 to The DarkSky (富士見ファンタジア文庫)
(2013/03/19)
あざの 耕平

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 この作品は、昨年(2013年)秋から今年の春くらいにかけてアニメ化されていて、それが面白かったので原作も読んでみたという経緯です。
 で、9巻が第一部完で、アニメの最終話もこの辺りまでだったので、ここでちょっと一区切りとして感想を書いてみます。第二部はもう始まっていますし、あと短編集も出ていますけど。
 そしてタイトルの通り、これを読んで色々考えてしまったことについても。

 で、ここまで読んでみるとアニメは結構原作に忠実に作ってあった……かと思うんですけど。なんせ、アニメ見ていてもわからないことだらけだったので。いやよく最後まで見ましたねそれで(笑)。鈴鹿のお陰ですね。
 しかしこうして文章で読んでみると、やっと色々わかってきます。
 勿論、この世界独特の用語の意味等もそうですが、地の文で色々説明してくれてやっと意味がわかる出来事ってのもかなり多い。

 まあ、アニメでも色々読み取れたから面白いと思って原作読んだわけですけど、こうして読んでみるとやはりいいですね。
 それは、まあ色んな面白さがあるだろうとは思いますが、一番興味深いのが、「呪術」「呪」の考え方です。特に、作中で「乙種」と設定されているもの。「甲種」に関してはまあ、術そのものは言ってみればSFで定番の超能力とかファンタジーで定番の魔法のようなものだと思うのですが、それでもやはりその使い方というのが独特ですし。

 そういった「呪」としては、例えば道満が大友に勝者への見返りを提案したとき(8巻p184辺りから)、そのことが大友をして道満に依存するようにさせる、とかですね。
 もしかすると、元々は言霊という考え方はこういうところから出てきたのかも知れません。
 また他にも、そもそもこの作品の設定そのものについても、少しメタな意味で乙種的なところが感じられます。

 それにしても、アニメでもそうでしたが、色んな層のキャラが登場しますよね。典型的には年齢とか。道満なんて一体何歳よ(笑)。しかし思い出してみると、アニメの道満の声(飛田展男さん)の演技は素晴らしかったなぁ。
 でも、文章で読んでると、天海さんの名字をつい「てんかい」と読んでしまう(笑)。まさか意図しての命名ではあるまいな?

 で、第二部もちょっとだけ読み始めたところなんですが……まさかのうさ耳少女登場(笑)。これも一種の「呪」ですか?

 さて。
 ここからは作品の感想ではなく、読んで色々考えたことについてです。
 上に「言霊」と書きましたが、現代社会っぽくアレンジされているとは言え、というかであるからこそ、実に色々な意味で日本的な風味が感じられる作品であると思います。しかし逆に言うと、本作はフィクションであり、今の本当の日本は随分違ってきているのではないか。

 と書き始めたばかりなのにいきなり話を方向転換させますが、多分このブログでもだいぶ前に書いた私の幼児体験の話。
 登場する建物からして幼稚園くらいの頃のことだと思うんですけど、私は家で廊下に寝転がって天井を見ていました。そのとき、ふと思ったのです。
 今自分は天井を見ているわけだが、もし、目が嘘を吐いていたら?
 当然ながらそこで話は終わりませんね。同じように耳や鼻や、すべての感覚器官が嘘を吐いていたら? そこに本当にあるのは自分が見て(感じて)いるものとは別物である筈だ。しかし、別物だからと言ってそれがどうしたのか。結局のところそれは感じられないのだからないも同じであり、自分にとっての現実はその「嘘」でしかあり得ない。

 また、これはその時ではなくもう少し大きくなってからだと思いますが、感覚器官とはまた違うもう一つのレイヤーについて。
 典型的には「赤いもの」が例に出されますが、ある人が見た赤いものと自分が見ているのは、果たして同じ感覚なのだろうか。何か同じ物を見ても人は同じ評価をするとは限らず、ならばそこには何かの違いがある筈ではないか。
 更には、それと微妙に同じような違うようなレイヤーに、価値観というのがありますね。端的に言えば、同じ物を前にしても、好きと思う人もいれば嫌いと思う人もいる。

 まあ、幼稚園児の頃からIT業界に行くことが定められていたってことでしょうかね(笑)。もしくは心理学とか?
 しかし、ここでいきなり話が戻りますが、今の日本のITオンチっぷりは一体どうよ?
 東京レイヴンズ的な感性を日本的と感じることと、作中で呪術の神髄が「嘘」であるとされることと、上記の幼児体験と、ITの世界で随所に登場する仮想化。それら全て極めて共通性の高いものであるように思われるのに。

 例えば、「河童」。
 あれは実は、そういう妖しい存在を造り上げることで、子供が不用意に危険な水場で遊ぶことがないようにするという目的があったとする説があります。本作で言えば「乙種」呪術みたいなものでしょうか。もしくは、嘘も方便というのにも近いでしょう。
 東京レイヴンズの世界では本当に存在するのかも知れませんが、現実世界では河童は、子供がそれを信じなくなったときに「死んだ」のでしょう。
 ……いや、もしかすると本当にいたのかも知れないし今もいるかも知れませんが、そういうところは実は比較的どうでもいいという辺りが乙種的というか何というか(笑)。

 西洋の物質文明に追い付け追い越せで、日本人はカタチのあるもの以外に価値を見出さなくなった。よって、「河童」の「死」はそれだけでなく、そのような方法論そのものの死であったのかも知れません。
 ところがどっこい、西洋文明は物質文明のようでありながら、しかし同時に殆んどの場合、キリスト教的世界観がその背後にあった。結果、日本には世界でも他に例を見ないくらい即物的な社会ができ上がったわけです。主に、ぐろーばる(笑)な辺りに。

 などと私は思うんですけどね。実際、いつも批判しているような、人の物差しがマネジメント一本だけで管理職以外評価されないというのも、昔的なマネジメントだったらそれでうまく行ったのかも知れない。しかし、モノにしか価値を見出さない組織でうまく行くのか。
 結局、カローシが国際語になったように、ソフトがダメダメなように、人に価値を見出さない社会は衰退するしかない。
 ちなみにここでリンクしたITproの記事では、狭義のソフトは悪くないと言っています。が、私が思うに、そんなのは個人の資質の問題であって、日本はそれを生かし活用できる社会ではない。というか異物として排除したがる社会でしょ。

 また、「河童」的方法論が失われたということはつまり、乙種呪術的な、実は働いている目に見えない効用ってのも評価できなくなったわけで、それは逆に言うと、実は働いていない目に見えない効用ってのも評価できないわけで。
 だから、つい最近も何やら法が成立しましたが、本当に効果があるのか疑わしく、しかも副次的な悪い効果がありそうなことでも言葉の美しさや建て前の正当さだけで通してしまうんじゃないですかね。同じようなことは数年前にも、違法ダウンロードに罰則を、なんていう法で、結局それが何の助けにもなっていないという辺りに現れていますが。

 とまあ、ラノベなんぞ読みつつ我ながらおかしなことを考えているなぁ、とは思いましたが、同時に、やっぱり鈴鹿っていいなぁ〜とかも思っているので、バランスは取れているのかも知れません(笑)。

tag : 富士見ファンタジア文庫 あざの耕平

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水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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