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ラノベ: 『ありすさんと正義くんは無関係ですか? 2』 仏様のおしえ

 いや、別に坊さんが色々お説教するわけじゃないんですけどね。
 以前レビューしたののつづきです。
ありすさんと正義くんは無関係ですか? 2 (HJ文庫 わ 3-4-2)ありすさんと正義くんは無関係ですか? 2 (HJ文庫 わ 3-4-2)
(2011/09/30)
わかつきひかる

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 なんというか、心の体力を使う作品ですね(笑)。
 素直に精神力と言えばいいという突込みが入りそうな気もしますが、うーん、ちょっとなんか違うんですよね。喩えて言えば、スタミナと筋力、みたいな感じで。
 本作は、プロローグとエピローグに相当する二つのHRに、一~六時間目の六つの章からなっているんですが、そうですね、三時間目の終わりくらいまでは、結構大変な話でした。

 基本的には、生徒会長で正義達のクラスメイトでもある篤子さんの視点からの描写が多いです。
 それでなんで「体力」を使うのかというと、篤子さんの気持ちがビンビン伝わってくるからです。読んでると、ほんとにありすがイヤなオンナに見えてきてイライラしたり。これは凄い。

 そんなある日、篤子さんが駅で暴力沙汰に巻き込まれそうになったとき、正義が割って入って助けてくれるんですが、それで篤子さんが負傷した彼を病院に連れて行くことに。
 その病院というのが、小児科医で離婚した父のところだったんですが、そこに、なんか……そう、妹が!いるんですよ。
 その妹の由芽という小学生が、篤子さんとは正反対で。なんというか、無邪気で積極的で元気っ子で……篤子さんが妹にやりこめられる貴重な光景を見ることができました。正義くんも読者の私も(笑)。
 何と言っても、篤子さんが正義の写真を机に飾っていたこととか知ってたりしますし。これは敵わない。
 挙げ句、お姉ちゃんが意地を張ってると見るや、じゃあ自分が立候補すると言い出す始末。で、「お兄ちゃんになってください」なんていう手紙を篤子さんに託したりします。

 しかし。
 この由芽という女の子、実は体が悪くて、冗談のように自分で言っていた通り「薄幸の美少女」なんですね。
 篤子さんは、手紙を渡したときそれを伝えてしまうんですが、どうしたことか、三人で遊園地に行くことに。
 でもまあ、上の「お兄ちゃんに」を見てわかるように、由芽は篤子さんと正義をくっつけようとしていたのですが、結局うまく行きませんでした。

 さて、ここからです。
 由芽のためにありすと二人で病気快癒のお守りを買ってきた正義。篤子さんが由芽に直接あげて欲しいと言ったもので家を訪ねることになったのですが。
 ひょんなことから自分の部屋で正義と二人きりになった由芽。無邪気で明るく振る舞っていた由芽は、周りが「かわいそがる」のが嫌で仕方なかった。迷惑とさえ思っていたのです。

「ふーんだ。お兄ちゃんなんか嫌いっ。出て行って!」
「ご、ごめん……」
「なんで謝るのよっ!? 私、同情なんかいらないんだっ」

「嫌い嫌いっ、大嫌いっ。お兄ちゃんも嫌いっ、お姉ちゃんも綺羅っ、お父さんもお母さんも嫌いだぁっ……あっ」


 激昂する由芽に対し、正義が言った言葉が印象的でした。
 「由芽ちゃんは偉いな」と言ったあとのことです。

「偉い? 私が?」
 由芽の激昂が、ひゅるひゅると凪いでいく。
「ああ、偉い。病気、大変だよな。なのにがんばってる。由芽ちゃんはすごく偉い。でもな、みんな大変なんだよ。篤子さんも大変だしな

(強調は引用者による)


 「偉い」だけだったら、多分由芽の心には届かなかったのではないでしょうか。病気なのに頑張ってて偉い、それだけだったら、「かわいそがる」「同情する」のとそう違わない言葉に聞こえたのではないでしょうか。
 だから、由芽もすぐに素直になったのでしょう。

「嫌いなんてウソよ。私、お兄ちゃんが好きよ、お姉ちゃんの彼氏になってよ。お姉ちゃんとお兄ちゃんが結婚したら、お兄ちゃんは本物のお兄ちゃんになるんだよ」


 思えば、篤子さんの駅でのトラブル、あれは篤子さんなりの正義を通したものだったのですが、正義はそれに対し、トラブルになったのは篤子さんの指摘が「正しいことだから」だと答えました。篤子さんには禅問答のようにわけのわからない言葉でした。
 篤子さんがよく、自分のことを後回しにしていることを、本人も気付いていなかったことを指摘しました。そして、「自分のことも大事だろ」と。
 上記の由芽との騒動のとき、実は篤子さんはドアの向うで聞いていたのですが、いつもはそう簡単に機嫌が戻らない由芽をあっさりなだめてしまった正義。
 これらが積み重なりました。彼の言うことはよくわからなくても、だからこそ、知りたいことを知っているような気がする。自分に足りないものを。
 そして、彼に対する自分の気持ちに気付いた篤子さんの耳にドアの向うから飛込んでくるのが……(笑)。

「お姉ちゃん、かわいげがないでしょ?」
「いや、かわいいよ。篤子さん、一生懸命ですげぇかわいい」

 これが駄目押しで、ついに篤子さんが自分の気持ちのために行動に出るのです。
 というのが第三章に当る「三時間目」まで。
 ……はぁ。端折りましたけど、ありすに対する気持ちが重たかった(笑)。

 しかし、自分の気持ちに素直になることにした篤子さんですが、ネットで恋愛のテクニックを検索して研究しても、いきなりイタいことを始めたりしないところが「らしい」ですね(笑)。むしろ「役に立たない」と切り捨てたりする辺りも「らしい」。
 結局、分析して「性欲か食欲に訴えかけるのがいいらしい」などと抽象化するようなところ、数学とか得意な人という感じ。
 ちなみに、そう結論づけてもうまく行かず。
 皮肉なことに、正義に、ありすと篤子さんが二人して弁当を持ってきてしまったときのこと。いつものようにありすに腹を立てて険悪になりそうだったところに、ありすの作ってきた弁当からいきなり口に放り込まれて静かになってしまった篤子さん。「食欲」でありすにやられてしまいましたね(笑)。

 この辺りで、またもや正義のとんでもない一言が。

「篤子さんってありすが好きなんだろ?」
 軽い気持ちで聞いただけなのに、結果は激烈だった。


 これ、本人は意識していたのでしょうか。一応、張り合っている、つまり意識している。嫌いは好きの裏返し、という筋の通った思考からの結論なのですが、もしかすると、本人が思っている以上に深い言葉だったかも知れません。

 続いて、今度はありすです。
 生徒会室で正義と二人きりになっていた篤子さんですが、ちょっとした行き違いで、傍目にはかなりヤバげな体勢及び服装になったところで、ありす他数名が登場。
 ドアを開けた瞬間。ありすは一瞬で状況を分析し、自分だけ入ってドアを閉めました。
 で、正義に抱きついたところで他の人達が入室。
 なんかかなり苦しい気はしますが、正義と篤子さんの逢い引き(のような状況(笑))はなんとかごまかすことができたのでした。

 頑なだった篤子さんの心が、ほどけた瞬間と言っていいでしょう。

 最後の仕上げが、正義のとこの御縁日法要。
 篤子さんはお手伝いに来ていました。生徒会長の仕事で慣れている彼女の運営の手腕は素晴らしいものでした。
 また、立ち話をしてサボっているように見えるありすも、実は、相手の心の重荷を下ろす大事な役割を担っていたのでした。
 適材適所のいい組合わせです。が。
 かかってきた電話にいきなり持ち場を放り出した篤子さん。
 ありすが追っていくと、家で由芽が病気で倒れていました。電話は、由芽からのSOS。篤子さんは、狼狽えてしまって何もできません。
 そもそも、彼女が正義との過去で悔やむようなことになったのは、血が苦手、これが元凶でした。そして、今回悪いことに、倒れた由芽がトマトジュースまみれになっていて、血と勘違いしてしまったのです。
 こうなるともう駄目です。
 その状況に、完璧に対処してくれたのは、ありすでした。
 普段のありすに対する思い。それを考えてみると、篤子さんは、ここで完敗したのです。完膚なきまでに。

 この「敗北」こそが、地に足のついていなかった篤子さんを、きちんと着地させてくれたんでしょうね。
 色々なことが積み重なって色々なことが見えなくなってしまっていた篤子さんですが、一度叩きのめされることで、冷静になれた、そういう感じです。
 この騒動の中で、正義の言った「正しいことだから」の意味が判明します。正義が言ったんじゃないですけど。
 人は、愚かであり高潔。右手で悪を、左手で善を。人は、割り切れないものである、と。ま、正義自身もここまでわかってはいなかったようですが。

 なんというか色々大変だったこのお話も、ここまできてもうすっかり落ち着くところに落ち着きました。
 エピローグに相当するHRでは、すっかり素直になれた篤子さん。そして、同じ目線で語れるようになったありすと篤子さん。この二人の関係のまた楽しげなこと!
 いやー、読後感のいい作品ですね。中盤までが大変でしたが、それがあったからこそでしょう。
 そして、変わった篤子さんには、「可愛い」とコメントしておきましょう(笑)。

 ところでもしや、篤子さんが血が苦手なの、昔のあのことで悪化して今に至っているのでは?

 にしても、色々含蓄の深い感じのする言葉がでてきましたが、この辺り、仏教的ですね。いや、今回正義のお父さんはほぼ出番なしでしたが。
 私の感覚では、仏教ってあまり宗教って感じしないんですよね。
 私が経験した葬式で坊さんが話すのも、殆んどが残った人の生き方のことだったし。死後の話をしても、実際にはそれが事実かどうかはどうでもよくて、残された人にそう説明することが本題という感じだし。「方便」というやつでしょうか。ウパーヤではなく。
 そもそも、開祖のあのヒト自体、哲学者か思想家みたいでしたし。しかもそれは、形而上学的なことではなく、むしろ実学的だったようですし。

 喩えて言えば、ユダヤ人にとってのタルムードのような感じでしょうか?

 最後に、イラストについて。
 前巻もそうでしたが、とてもいいですね。ありすも可愛かったですが、篤子さんも別の意味でいい。由芽もよかったし。
 そして、一番興味深かったのが、p71の、篤子さんのパンチラシーン。
 パンチライベントのイラストなのに、ぱんつが見えてない(笑)!
 そういうところが、今回のメインキャラの篤子さんのおカタい雰囲気にマッチしているな、と感じたのは、イラストの侑さんの意図したところなのでしょうか(笑)?

P.S.
 p221の台詞。
「篤子さんてさー。ぜったい鈴木くん、好きだよね」
 この「鈴木くん」って……?

更にP.S.
 ありすの体型を「コーラの瓶のよう」とか形容しても、中々伝わらないのでは……(笑)?
 それと、ルービックキューブ……(笑)?
 ちなみに私は昔、50秒くらいで全面揃えられました。

tag : HJ文庫 わかつきひかる

艶漫画: 『ORANGE 14-1』 by ORANGE BULLET

 遂に出た、サークル『ORANGE BULLET』さんのダウンロード版新作です。
ORANGE 14-1

サークル:ORANGE BULLET(Official)

 DLsite.comにある作品は、タイトルが『ORANGE N』となっていて、Nに数字が入ります。
 今回のは、14-1とあるように、続き物ですね。

 木星の衛星エウロパで発見された謎の生物を研究する真山博士は、なんと自分の娘の体を使ってそれを交配しよう、なんてことを始めるわけです。娘の美咲の体で繁殖させられないか、と。
 ちなみに、実を言うとこの「娘」の美咲はクローンで、実験のために育てられていたのでした。でも、博士は本当の子供のように美咲を育ててくれたので、お父さんの役に立てるのならうれしい、と。

 当然のことながら、「繁殖」なんで(笑)、恥かしいところに色々入れられることに。
 ちなみに、博士の実験を手伝ってくれる青年の史島というのがいて、彼も一緒に美咲に恥かしいことを(笑)。

 で、その実験の過程でとんでもないことになるわけですが、それで今回は「つづく」。

 いやー、続きが楽しみです。

 ORANGE BULLETさんの作品は、DLsite.comにあるのは一通り持っていますが、
辺りが特に好きですね。
 ある日、カナは「保健の女王」に選ばれてしまいます。それは何かというと要するに、少子化対策(笑)のための性教育の教材、という。で、みんなの前で意外な性感帯を発掘されてしまったり。
 この間もそんなのレビューしたなぁ。

 ともあれ、ORANGE BULLETさんのはその作風もですが絵も好みなので、ご紹介です。

PCで: X68000の思い出

 前のエントリでシャープの話をしました。
 私がシャープから思い起こす製品というとやはり、X68000ですね!

 いや、懐かしい。あのマシンは素晴らしかった。あの当時では、夢のようなパソコンでした。というか、「パーソナルワークステーション」と銘打ってました。
 まあ、八神純子の名曲、その名も『思い出は美しすぎて』というのがありますが(笑)。

 冒頭に書いたエントリでは、シャープの将来は暗いなぁ、みたいなことを書きましたが、このX68000というマシン、実にわかりやすいものでした。ハード仕様で、印象的だったところを列挙してみましょう。
 まず、CPU。
 機種名がX68000ということで、当然のことながらCPUはモトローラの68000です。まずこのCPUの型番をマシンの名前にそのまま使ってしまうというのが「わかってる」。
 あの頃は、パソコンファンというと、結構な割合でプログラミングもしてました。それも、アセンブラとかにも手を出している人が多かった。
 あの頃のパソコンのCPUと言えば、8086とか80286とか、そんなところでした。知ってる人は知ってるでしょうが、みんなあの醜いアーキに嫌気が差していました。直交性のない命令群やレジスタ構成。悪名高きセグメント。その他諸々、エレガントさが欠片もないCPUばかりがのさばる中、68000というのは非常に美しく思えたものです。
 86系と比べると、まさに「汎用」のレジスタ群。直交性のある命令群。リニアなアドレス空間。豊富なアドレッシングモード。そして、レジスタ長は32bitでした。
 庶民の憧れのCPU。マシンの名前に「68000」をつけるというのは、その気持ちをわかってくれていた、ということです。
 まずこれだけで、好感度が高い。

 ではその周辺はどうかというと、明らかに目指す方向性がはっきりとしていました。
 当時としては、グラフィックス性能がとても良かった。512×512で65536色出せるとか、スプライトがあるとか、表示の座標原点を移動させることで見掛け上ぐりんぐりんスクロールできたとか。それとは別に、これも自由に描画できるテキストVRAMがあった。重ね合わせも可。
 また、音源がFMとADPCMの二種類あったり。
 もう、何をやれと言ってるかこれだけでわかろうというものです。

 当時、シャープのパソコンには二系統ありました。MZシリーズとXシリーズで、後者はテレビ事業部で作っていました。
 テレビ屋さんなので、「ブラウン管があるんだからテレビ映るの当然だよね?」ということを考えてくれたのです。実際、ユーザから見れば、信号の違いだとかインタレースだとかはあまり関係ないわけで、できないのはやらないだけだったわけです。
 というわけで、Xシリーズの系統であるX68000でも、専用モニタはテレビにもなりました。しかも、キーボードから操作できたのです。チャンネル変えたり。また、スーパーインポーズとかもできました。
 パソコンのモニタなので、細かい文字が読めるくらいの解像度があるわけで、当然、普通にテレビを見ていても家電のテレビよりも画像がくっきり。

 当時そう多くなかったマウスが標準装備だったのですが、これがまた。
 まず、使い方の癖(持つときの角度というか向き)に合わせて、センサの方向を調整できたんですね。掌が当る辺りが円形で、回せるのです。
 そしてこれがまた驚異のギミックなのですが、そこの丸いのが蓋になっていて外せて、スイッチをちょこちょこっとやると、中のボール(当時のマウスは中にボールがあって、その回転で動きを検出していました)がせり上がってトラックボールになる!という。

 初代X68000は、有名なマンハッタンシェイプと呼ばれたツインタワーだったんですが、これは単なる虚仮威しではなくて、熱的に考えた末辿り着いた形だったんですね。
 片方の背面上部に排気用のファンがあります。基部は空気が通るようになっていて、もう一方のタワーの天井部に吸気口があります。空気の流れがきちんと計算されていて、効率よく冷やせます。

 あとは、原始的なメモリプロテクション機能があったりしました。つまり、0番地付近(設定変更可)を読み込みのみとすることができたのです。そうして、OS部分を保護したりできたのです。

 ついでにいうと、おまけとしてゲームがついてきました。
 アクションシューティングの『グラディウス』です。
 これがまたよくできていて、X68000でやってからゲーセンに行ってアーケード版オリジナルをやったら、画面に表示されているモノが増えると動きが鈍くなる。X68000では問題なかったのに。

 と言った感じでした。

 くっついてきたGUIアリのOSも、その目指すところが見えるものでしたが、そこの辺りはいかんせん、ソフトの技術が追い付いてこなかった、という印象は拭えませんでしたけど。

 沢山のゲームが発売されました。
 私は当時はシューティングが好きで、そういうのをよく買いましたが、特に電波新聞社のはできが良かったです。
 『アフターバーナーII』なんかは特にハマりました。
 当時、X68000と近い時期に発売されたライバル機のFM TOWNSで、これまたほぼ同時期に『アフターバーナーII』が移植されていました。
 雑誌の紹介記事とか見ると、圧倒的にFM TOWNS版の方が良さそうに見えました。X68000版は、明らかに絵がしょぼかったのです。
 しかし、店頭で二機種並べてデモってるのを見て、評価は見事に逆転しましたね。
 動きが全然違うのです。TOWNSの方は、確かに絵はいいんですけど、動きがかくかくしていてトロい。対するX68000の方は、スピード感がまるで違いました。流れるようにかっ飛んでいく。つまり、絵よりもゲーム性の方を取ったわけです。
 X68000もそうですが、電波新聞社の開発も、そういうところがよくわかっていました。
 ちなみに、ミサイルの煙とかも手抜きなので、透して向うにある敵機とかが見えたりしましたが(笑)。

 電波新聞社のゲームは、音も良かった。X68000のFM音源とADPCMを使い倒して迫力のある音を出していました。
 『ボスコニアン』という、まあある意味シンプルなシューティングゲームがあったのですが、そのBGMの素晴らしさに、もうよく憶えていませんが、音が別売かなんかになってたような……? とにかく、何か話題になったのを憶えています。

 そして、『アフターバーナーII』と同じくらい印象に残っているゲームが、『マーブルマッドネス』です。これは電波新聞社ではなくホームデータです。
 これは、縦スクロールのアクションゲームなんですが、シューティングではなく、トラックボールを使って玉を転がし、設定されたコースのゴールを目指すというものでした。
 なんというか、グラフィックや音楽が独特で、不思議な世界観が魅力的でした。
 ……難しかったですけど(笑)。

 さて、68000には、OS-9/68000というOSがありました。
 これが後に、OS-9/X68000として移植されたんですねぇ。

 OS-9というのは、元々は68000と同じくモトローラ製のCPU(8bit)である6809のためのOSでしたが、後に68000版が出ました。なんというか、8bitでよくこんだけやるな、という程きちんとしたOSでしたね。
 まず、ちゃんとプリエンプティブマルチタスクでした。階層ディレクトリもあったし。8080のCP/Mや、8086のMS-DOSなんかとは比べるのも失礼なくらい。
 中を見ると、メモリの使い方が独特で、モジュール化が徹底されていました。プログラムとデータははっきりとわけられていたので、コードを共有して複数のプログラムを動かせました。そのため、データは大原則としてレジスタ相対アクセス。OSも勿論モジュール化。
 また、カーネルがリエントラントで、極端な話、カーネルからシステムコールを発行できたような……?
 プログラミングをすると、シグナルがUNIXよりも柔軟で、ちゃんと作られていたような印象がありました。
 当時、FM-7なんかが店頭でデモってると、よくOS-9が動いていたんですよね。あれが羨しくて。だから、OS-9/X68000が出たときは嬉しかった。

 X68000には、満開製作所による『電脳倶楽部』という雑誌がありました。
 これ、なんと、フロッピーディスクだったんですよね。紙の雑誌じゃなく。
 ユーザにより投稿されたプログラムやグラフィックやその他、色々面白い企画があったりしました。

 プログラミングと言えば、X-BASICという構造化されたBASICがありましたね。これ、Cに変換できたんですよね。
 雑誌に載っていたレイトレーシングのプログラムを、これに移植して色々改造したりしたときのことを思い出しました。試しに、水平な平面と光源と、あと原点に球体を置いてみたら、何故か球体が立方体になってしまって。なんでかというと、浮動小数点でなければいけない変数が、整数になっていた、という(笑)。

 これで論文を書いたりもしましたねぇ。
 今では普通のWYSIWYGのワープロじゃなく、えーと名前忘れましたが、TeXみたいにテキストの中に色々埋め込むことで複雑な数式とか表現できるという。
 これで、数式とか化学反応式とか書けたんで、結構重宝しました。

 アニメ『STEINS;GATE』に、明らかにこれとしか思えないパソコンがでてきますが。
steinsgate2_x68k1.png
steinsgate2_x68k2.png
 オカリンという狂気のマッドサイエンティストやダルというスーパーハカーがメインキャラであるこの作品。いやなんというか、よくわかってらっしゃる、という感じです(笑)。
 ……一緒にTOWNSも出てきましたが(笑)。

独り言: 日経ビジネス特集「家電ニッポン 最後の戦い」より

 昨日のエントリにも一部引用しましたが、日経ビジネスの2011.9.26号の特集は「家電ニッポン 最後の戦い」というタイトルです。
 ここで私見を述べれば、家電と自動車は、もう日本から出て行ってくれないかな、と思っています。日本がここまで没落したのは、主に彼らのせいだと思っているからです。

 製造業の彼らが何をしたか。新興国に、真っ向から価格競争を挑んでしまった。圧倒的に不利なのは人件費。だから人件費を削った。新興国との競争なら、人に金を出さなくても別にそう勝負に影響はない。
 トヨタの奥田の経団連時代とか、一体どれだけ呪ったことか。そもそも、自社は効率化とか言って自慢しても、下請に押付けるだけだったんだし。
 現状でも、税金が高いだのインフラが高いだの言いながら日本にしがみついている。しかし、雇用ももたらさない、製品もつまらない日本メーカーがいてくれても嬉しくもなんともない。
 そもそも、日本の製品はもう結構長いこと、数値で示せるようなもの以外の魅力を持ちません。長持ちするとか、精度がいいとか、そんな感じ。
 だったら、部品とか素材とかだけ残して、あと人も残して、海外に出て行って欲しい。人件費も税金も安いところは一杯あるだろうから。

 そんな風に思っていた私が、日経ビジネスの特集の「最後」という単語に目を引かれました。
 編集がそんな単語を使うからには、ちっとは見るべきところがあったりするのかな?と。ダメだったら潰れてくれるという意味も含めて。

 で、タイトル通り家電メーカーから、数社を選んでその起死回生の取り組みを紹介しています。
 ここでは、その中から更に二社、ソニーとシャープを選んで感想を書いてみます。

 ソニーの没落は、今にして思えば、90年代の半ばに出井がトップに就いたことから始まっていたのではないでしょうか。ソニーに関する話題はいつしか、経営のやり方だの役員の構成だのといったようなことばかりになり、肝心の商品の目新しさが失われていったように思います。
 以前はソニー製品を好んでいた私も、いつからかもうわかりませんが、ここ7~8年くらいでしょうか、そもそも選択肢に入れなくなっていました。出井の毒がまわり切ってしまったのかも知れません。
 今のストリンガーも、そう変わった気がしません。看板だけは「ハードとソフトの融合」だったか、それっぽいことを言っていましたが、その実全然結果が出てこない。
 記事から引用してみます。

ソニーは創業以来「ウォークマン」をはじめ数々の革新的な商品を世に送り出してきた。だが、「過去10年を振り返ると、革新的な商品はソニーから生まれず、代わりに『iPod』などをヒットさせた米アップルの存在感が高まったのではないか」と尋ねた時のことだ。
 ストリンガー氏は質問を遮るように反論を始めた。「世界で初めて本格的な3D(3次元)テレビを作ったのは我々だし、『プレイステーション(PS)』も独創的なゲーム機だ。それなのに皆、ウォークマンのことしか言わない。一体どういうことだ。ウォークマンなんて、何十年も前に発売した商品じゃないか」。


 特集の冒頭なのですが、「あ、こりゃダメだ」と思いました。3Dテレビとか、「ハードとソフトの乖離」の代表みたいな商品じゃないですか。PSだって、作ったのは90年代です。まだSCEにまで毒が届いてなかった頃じゃないですか?
 ちょっとあとからも引用してみます。

 最近はどんな商品を出しても「ソニーらしさが失われた」との批判にさらされる。ストリンガー氏は、「頭に装着する『ヘッドマウントディスプレー』から、画像を簡単にネットで公開できるデジタルカメラまで、ソニーらしい製品はいくらでもある」と気色ばむ。

 ……いやだから、それで一体何ができるの?
 p26にあるインタビューなど、後述するシャープとそっくり、という感じです。

 ところが、ソニーを紹介するパートでは、後半になってがらっと様子が変わります。SCE社長などを歴任した平井一夫氏(現副社長)の登場からです。

 平井氏は「ソニーらしさを『UX』で表現していく」と力を込める。UXとは、最近ソニー社内で盛んに使われるようになった「ユーザー・エクスペリエンス(顧客体験)」を指す業界用語だ。


 まあ、社内のスローガンみたいなものなので一般に対する訴求力がどんなものかは不明ですが、言いたいことはわかります。
 そして、ソニーの持つ製品群、まだまだいるソニーファン、コンテンツ。全てを視野に入れて「つなげ」て、サービスを中核とする事業戦略の構想が紹介されています。

 紙幅の関係で詳しいことまではわかりませんが、もしかすると期待できるかも知れません。
 ま、ストリンガーがいなくなることが必須なんじゃないの?という気もしないでもないですが。

 シャープについてのパートのサブタイトルは、「太陽の恵みに一縷の望み」です。
 いや、このなんとも後ろ向きなサブタイトルが内容を端的に示している気が(笑)。

 書いてあることに、なんかこう、これはと感じるものがないですね。あっちがだめだからこっちとか、ヴィジョンとか戦略とか方向性とか、そういうのが見えない。
 「ガラパゴス」の大失敗のことが書いてありますが、「来年には後継機を投入して、出直す予定」とあるだけで、どこがいけなかったのか、何をどう改善するつもりなのか、その辺りが全く書いてありません。

 私が最初に「ガラパゴス」の発表から受けた印象は、結構いいものでした。端末のデキとか。
 しかし、ほどなくして見限りました。発売前に。
 ブログに書いたことは最後の一押しで、それまでにもう失望していたんですが、その理由を書いてみましょう。記事にないということは、シャープにもわかってないようですから。
 それは、上記のソニーの戦略の正反対をしていたからです。つまり、「如何にユーザに何かをさせないか」ばかりを考えて作られていたからです。ハードではなく、「経験」の面で。
 ま、これは個人の感想であり、正しい理由であることを確約するものではありませんが(笑)。

 以前にも書いたような気がしますが、iPadとかがどうして人気なのか。
 それは、目指すところがはっきりしているからです。わかりやすいんですよね。
 見た目は違っても、あれははっきり言ってパソコンです。しかし、例えばノートPCと比べてどれだけ違うことか。
 特に違うのは、文字入力の圧倒的な不便さです。しかしそれは、iPadでやろうと思っていることがはっきりしているから、それにとって重要でない部分をばっさり切った。そういうことでしょう。
 わかりにくい商品は売れない。基本ではないでしょうか。

 以前ここで、アニメや漫画を海外に売ろうというときのローカライズの話をしたことがあります。
 そのとき、変に内容をいじるべきでない、と強く主張しました。現に、ファンサブの成果物の方がオフィシャルなものよりも圧倒的に評判が良い。調査によれば、それはカネの問題ではないとのこと。
 また、これも以前紹介しましたが、AKB48のフランスのイベントでの大失敗を秋元が紹介していました。フランスだからと、歌をフランス語で歌ったら、折角日本語の歌を憶えて一緒に歌おうと思っていたファンから非難されたということでした。
 例えば、自動車を海外に売ろうとしたとします。そのとき、その地域では乗り物で移動する習慣がないから、「ウチの自動車は動きません!飾るだけです!」とかやったら? それはローカライズではありません。
 商品にしろ何にしろ、本質はなんなのか、それを認識しなければいけない。自動車なら、素材は何かとか、スピードはどうかとか、乗り心地はどうかとか、音はどうかとか、そもそも目的は何かとか、様々な側面、もしくはレイヤがあります。どこをしっかりと押えて堅持して、大胆に変えたり場合によってはカットすべきところはどこか。それがわかっているか。

 シャープの取り組みの紹介からは、結局その辺りが彼らに全く見えていないような印象を受けました。例えばテレビにしても、どうもこの国ではこういうのが売れるから……とか言っていて、上記のようにガラパゴスの失敗から何かを学んだ様子もなく。
 上記のサブタイトルの「太陽の恵み」は、こういうことです。

 片山氏は、「電気を使用する製品を扱う会社なら、電気を生み出す太陽電池もトータルで提供することは、創業者の早川徳次氏の夢だった。本人の回顧録を読んで気がついた」と言う。

 つまり、実績のある太陽電池を入れてトータルに、ということのようです。
 でもこれも、苦し紛れに暗中模索していたらたまたま伸ばした手が触れた、みたいな感じで、本質をわかっているのかどうか?
 例えば、太陽電池による電力の供給から家電までのトータルソリューションを考えているようですが、蓄電について一言も触れていません。ま、短い記事なんで紹介しきれなかっただけかも知れませんが。

 というわけで、特集から、ごくごく個人的な視点により、くっきりとした明と暗の二つのメーカーの取り組みを取り上げてみました。
 さて、日経ビジネスが呼ぶところの「最後の戦い」、これらの企業は勝つことができるのでしょうか?

P.S.
 シャープの人、30くらいの中型の液晶はダメだ、60以上の大型やタブレット端末向けの小さいのにする、と言ってます。
 でも、個人的には、17inch前後でフルハイビジョン表示できるのが欲しいんですけど。

[追記]
シャープ、TSUTAYA GALAPAGOSを完全子会社に
 だそうで。

せいじ: 対フジデモに対する印象操作

 フジテレビの偏向報道に対するデモが相次ぎましたが、基本的にメディアはスルー。
 しかし、さすがに逃げていても事態は悪化するばかりということがわかってきたのか、8/21のデモの後くらいからやり方が変わってきていますね。

 つまり、フジテレビに対するデモを、「反韓流」デモであるとし、ビジネスとして当然だろうとか、好き嫌いの問題だろうとか、レイシズムだとかいうことを「識者」(笑)に言わせる、というやり口が増えてきています。

 これも一種の偏向報道でしょうかね。いや、報道しているというよりも、「識者」(笑)が勝手に言っているという体裁を取っているので、印象操作?

 こういった操作や捏造はメディアの十八番だし、産経には去年私も関心を持っていた件で散々それをやられましたし。
 まあ、こういうのが断末魔の悪あがきになってくれればいいな、とか思います。

PCで: 精神論で情報セキュリティは確保できない

 先日、三菱重工業が大規模なサイバー攻撃を受けていたことが大きく報道されました。
 所謂標的型という奴で、不特定多数に(メールとかを)ばら蒔くのではなく、ターゲットを定めてその対象に特化した攻撃を仕掛ける手法です。

 それを報じた新聞記事(例によって読売)にこんなことが書いてあって、頭を抱えました。
「最近は手口が巧妙化していて、今までのようなユーザー教育では対応できなくなっている」

 ……はぁ。
 この期に及んで、「ユーザー教育」ですか。どんだけ暢気なんだか。危機感ゼロですね。

 先月、デフコンのハッキング大会で、日本チームが最下位になりました。何が敗因だったかというと、攻撃がまるで駄目だった、とのことでした。
 そりゃそうですよね。コンピュータに対する脅威に備えて作った法律があんなモノになってしまう国ですから(笑)。
 つまり、法で禁じておけば誰もやらないから、守りも不要である、と。
 残念ながら、コンピュータは日本だけが使ってるものじゃないんですけどね。

 犯罪に応用できる技術だから教えるのも躊躇われるとか言ってますけど。それじゃ、サリン作るかも知れないから学校で化学を教えるのは躊躇わないといけないんでは?
 サリンは作るのが大変だ、というのだったら、硫化水素は? そこら辺で簡単に入手できるものでできるから、それを使った自殺が後を絶たないですよね。それ、自殺にしか使われないという保証が一体どこにあるんでしょうね? あれを、満員の通勤電車で使えば、お手軽に大量虐殺できるんですけど。

 サイゾーに、ユビキタスエンターテインメント代表清水亮氏によるこういう指摘が載っていました。

「IT関連の技術を持っていたり興味がある学生には、それを共有する相手がいなくて学校では日陰者だったり、好きなことばっかりやって学校に行かなくなったりする子が少なくないんです。彼らは非常に優秀だけど、必ずしも学校的な優等生ではないため、新卒一括採用のレールからドロップアウトしやすい」

(2011年10月号, p76)

 要するに、この後にも清水氏が指摘していますが、プログラミングは一般に認められている趣味ではないんですね。
 ついでに言うと、IT土方なんて言葉もありますし。

 昔、電子立国だの技術立国だのいう言葉がありましたが、結局最後まで日本という国は技術を大切にしようとしなかった。
 技術で作られた「モノ」は大事にしますが、それを作る技には重きを置かない。そして、ITというのは技(ソフトウェアの比重はかなりのもの)が支配する世界です。それでITの世界で勝負できよう筈もない。
 日経ビジネスに、元サムスン電子常務の吉川良三氏のこういう指摘があります。

「日本メーカーが衰退した要因の1つは、経営者が技術者を大切にしないことです。業績が悪くなるとすぐ技術者をクビにする。韓国企業はそれが不思議でしょうがない。実際、韓国企業のトップに『モノ作りは人作りという言葉を日本から学んだのに、なぜ日本は不景気になると技術者をクビにするのか』とよく聞かれます。しかも切られるのは優秀な人材ばかりです。日本で働く場を失った技術者が、サムスンやLG電子に流れてきているのです」

(2011.9.26号, p50)


 ともあれ、この辺りの話題は脱線なので、話を元に戻します。

 冒頭で私が頭を抱えたのは、「ユーザー教育」は、技術でやることをやってからその後にやることだろう、と思うからです。
 ちょっと考えてみます。

1. 不審なメールは開かないようにと言うけど
 不審って、何が不審? その判断基準は? 今回問題になった三菱重工の場合は、内閣府の実在する人物のアドレスが送信元となっているメールがあったりしました。
 普通の人は、ヘッダとか一々見ないですよね。
 でも、メールには電子署名というのが付けられます。これは、技術的にはほぼ確実に、送信者を確認できます。メールリーダも、最近はユーザの手間をかけずにそれをチェックできるようになってきています。
 ん? 証明書とか取得するのにコストがかかる?
 ……やる気あんの?
 だったら、OpenPGPとか使えば、取り敢えず草の根的に電子署名とか暗号化とかできるんだけど?

2. やたら実行しない
 電子署名は、所詮送信者とその内容を確認するだけです。しかし、信頼できる人から来るメールは内容も信頼できるという保証があるわけではないですね。送信者のマシンがウイルスに感染していたり。
 大体、今のセキュリティの惨状は、マイクロソフトの所業も大きく影響していると私は思います。
 以前にも書きましたが、私が初めてWindows95に触れたとき、愕然としたものです。CD-ROMを入れたら、いきなりその中のインストーラが起動したからです。
 ……これ、ウイルスが入っていたらどうするんだろう?
 最初に思ったのがそれでした。
 マイクロソフトの感覚はそこら辺が徹底していて、とにかく、プログラムを実行させる。
 90年代の半ば頃、読んだだけでウイルスに感染するメールという都市伝説が発生してみんなで笑ったものですが、マイクロソフトがネットに乗り出してきて、笑い話ではなくなってしまいました。
 というわけで、例えばワードのファイルとか、ワードで読まないといけないなんて固定観念はとっぱらって、別の形式に変換して表示するとか、機能限定版のワードファイルブラウザとか用意するとか、色々方法はある筈です。
 そう言えば、昔、ワードのファイルを表示するだけのMS製ソフトってのがあったような気がしますが、あれどうなったんでしょうね。妙に巨大でライセンス制限とか厳しかったような気がするので、結局廃れたのでしょうか?
 実を言うとWindowsの世界ってあまり詳しくないので、そういうの既にあるかも知れませんが。少くとも、他所ではそういうのが使われています。

3. 隔離しよう
 1., 2.の対処をしても、それでもソフトの不具合は避けられるものではありません。
 ならばもう、メールリーダみたいに外からなんかやってくるタイプのものは、隔離して実行するようにすればいい。
 例えば、最近流行りの仮想化(仮想マシン)とか利用して、各種資源(CPU, メインメモリ, 二次記憶装置, ネット等のデバイス)の使用を制限してあげればいい。CPUは何%までしか使えないとか、メモリはこんだけとか、限られたファイルにしかアクセスできないとか、通信は特定のアドレスの特定の機能にしか繋げないとか。
 それが可能だったら、もういっそのこと、物理的に切り離してしまうのもいいですね。
 つまり、今話題のクラウドコンピューティングです。
 この「クラウド」ってのは、人によって自分勝手に使っている言葉なので、今や、オフィシャルな定義は忘れてしまった方がいいかも知れません。とにかく、ネットの向うに追いやってしまえばいい。

 せめてこのくらいやってから、「ユーザー教育」をすべきではないでしょうか。
 技術的には、既に「機能」は実現されているので、あとは組合わせです。ゼロから作るよりはずっとフィージビリティの高い話です。技術としては複雑なものでも、使い方まで複雑になるというわけでもないですし。
 「ユーザー教育」をするのなら、そういうサポートの上で行うべきすよね。いきなりダイアログが出て「いいですか?」とか聞かれても、普通の人にはわからない。ユーザに技術を要求するな、と言いたい。

 むしろ、「ユーザー教育」は、ユーザに技術を要求するのではなく、所謂ソーシャル・エンジニアリングに関するものや、情報リテラシなどと分類されるようなこと、そういうのに注力したい、と思います。

関連項目

アニメ: 2011夏アニメレビュー『異国迷路のクロワーゼ』 #11, #12レビュー

 アニメ『異国迷路のクロワーゼ』の終幕にあたり、先日取り敢えずアイキャッチだけのエントリをおこしました。
 今日は、#11, #12の感想を、簡単ですが書いてみます。

 まず、#11「祈り」。
 相変わらず重層的な作品ですが、以前カミーユが言った台詞がここでまた繰り返されます。湯音のことについて何も知らないクロードに、カミーユは「信じているのね」と言いました。そして、「あなたのそういうところ好きだけど、ちょっと残酷だわ」とも。

 さて、今回は後半でピクニックに行くのですが、相変わらずとぼけたじいさんが、湯音に(ほんの一滴と言っていましたが)酒を飲ませたため、湯音が酔っぱらってしまいます。

「日本人は、外で宴を開くのが好きだと聞いたんだが」
「お花見、姉さまとよくしました。姉さま綺麗で、クロード様みたいでした」

 と、寝ていたように見えた湯音がいきなり話します。
 ……クロードは男なんですが、クロード様みたいに綺麗って……(笑)。しかし、それは多分、この目のことだったのでしょう。
ikokumeiro11_shione1.png
 確かに、湯音ならクロードのように綺麗と言うのも自然です。湯音は、淡い、海の色をした目と表現していました。
 日本ではこんな目の色は珍しく、周囲から不吉がられていました。姉の汐音は、自分を見る人の表情が曇るのを見るのが嫌だったのです。だから湯音は、自分だけ見ればいい、と言いました。……「祈り」ました。
 それから二人は演技を始めました。周囲に対し、汐音は目が見えないのだ、という振りをしたのです。
 体が弱かった湯音は、長じるに従って段々元気になってきたのですが、汐音は弱くなり、目も本当に見えなくなってきてしまいます。
ikokumeiro11_shione2.png
 湯音は、それが自分の「祈り」のせいだと感じていたのです。ずっと。

 だから、パリにやってきたら、「パリの神様」にご挨拶をしていました。土地神の考え方ですね。
ikokumeiro11_yune1.png
 どうでもいいですけど、最初は二礼じゃないんですかね(笑)?

 カミーユに、湯音を「信じているのね」と言われたクロードでしたが、それまで湯音のことについて聞かなかったのは、カミーユの言うように信じていたからなのか。じいさんの指摘です。

「そばにあるものを信じるのは、簡単なことなのさ」
「湯音が外の世界に触れることを、いつもどこかで恐れているだろう」

 湯音を海外に送り出した汐音のことに思いを馳せ、「信じる」とは、ということを考え直したクロードでした。
ikokumeiro11_yune2.png

 さて、#12「屋根の上の猫」では、上記のじいさんの台詞がキーになっています。
 更に、「猫」にも二重の意味があります。

 買い出しに行く途中でヤニックさんに出会い、彼の猫が行方不明であることを聞いていた湯音。
 クロードとの間にちょっとしたトラブルがあって、少し距離を置いた湯音は、そのヤニックさんのと思しき黒猫を見掛け、つかまえようと追掛ける内に、ギャルリの屋根の上へ。

 心配したクロードがなんとか湯音を見つけ、自分も屋根に上り、助けます。
 そのときの会話。クロードは、その猫はヤニックさんの猫じゃない、と言います。

「ヤニックさんが首に鈴をつけた途端な、嫌がって暴れて出て行ったんだ。それ以来、十年以上行方知れず」
「そんな……」
「皮肉な話だよな。いつでもそばにいると確認したくて、鈴をつけたのに」
「ごめんなさい。私、ギャルリの役に立てると思ったのに」
「お前、馴染みのない土地にいるだけで大変なんだろ? なんで自ら大変なことに首突込むんだ!」
「一人だけ、何もできないこと、一番、大変です」
「お前の仕事は、怪我せず俺の目の届くことにいることだ!」
「!……私、それしかできないですか……?」


 さて、この話の冒頭、買い出しのとき、クロードに声をかけてきた人が、湯音のことをこんな風に言っていました。

「クロード。最近、後ろにくっついている黒い子猫、今日はいないのかい?」
「え」

 つまり、今回のサブタイトル「屋根の上の猫」の猫は、湯音が追掛けた猫であり、また湯音自身でもあるのです。
 クロードは、そばにいてくれればそれでいい、と言いたかったのですが。

「知らないんだ、お前は……俺の手が、何も掴めなかったときの惨めさを、お前は。何も出来ないのは、おまえだけじゃない! 俺だってじいさんだって、そんなの同じだ!!」


 クロードの父は、クロードの目の前で、事故で亡くなっていたのでした。
 そして、クロードが、湯音の思っているよりも不完全であることも、前半で示されていました。
 上記のちょっとしたトラブルで、クロードはつい叫んでしまいました。

「ほんとにどっか行ってろよ!」

 まあ、その後、じいさんを通じて伝言しますが。

「とこか行ってこいとは言ったが、行っていいのはギャルリの中までだ」


 この後、クロードも自分にとっての湯音の「大きさ」を、小柄だった父の話に絡めて湯音に伝えることができました。
 また、クロードが湯音を探しまわっていたのを見掛けたギャルリの人達が、湯音に対して抱いていた気持ちも湯音は知ることができました。

 本当はそこの方がクライマックスなんでしょうけど、私としては、そこに至るまでの描写の方が興味深かったです。前述のように、二重の意味の猫、猫に対するヤニックさんの思いと湯音に対するクロードの思い、ギャルリの人達の思い。そして、湯音と同じように、クロードも「何も出来ない」こと。
 こういった様々な事柄が、それまでにも増して重層的に絡み合って描かれたこのシーンは、それまでの様々な出来事がこの一点に収束した瞬間だったと思うのです。

 実は、原作ではコミックス第二巻の最後に、グランマガザンでの大事件が発生しています。しかし、12話で終わるアニメ版では、最後にそのエピソードを持ってくるとちょっと派手すぎる気がします。それまでの流れと雰囲気に、ちょっとそぐわない。
 そう言う意味で、この猫のエピソードをラストに持ってきたシリーズ構成は、相変わらず見事だな、と私は思いました。

tag : アニメ

独り言: リアルとヴァーチャルの壁が崩れ始めている……?

 ニュートリノの速度を測定したら光速を超えていた、とか?
 気が早いにも程がありますが、タイムマシンができるんじゃないか、とかいう声も。
 ……いや、この情報だけからはタイムマシンは無理だろ。今わかっていることからでは、精々Dメールくらいでは。勿論、相対性理論を根拠に否定されていたことが今後覆される可能性はありますが。

 アニメ『STEINS;GATE』が終了した直後というタイミングでこれですか(笑)。
 しかも、この測定のための実験が行われたのがSERNCERNだというのがまた。
 加えて、人工衛星『UARS』が落ちたという話も。

 思えば、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の第10話放送の直後にあれがやってきた、というのもありますし。

 なんかね。
 厨二病的な妄想をしてみるのもいいかも?

アニメ: 『魔法少女まどか☆マギカ』 BD#6感想 - コメンタリ編

 アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』、BD第6巻の感想その二、コメンタリと、あとサントラについてちょっと。
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 BDではずっと、特典として、声優さんたちをメインにしたコメンタリがついていました。
 第6巻では、第11話で魔法少女5人+白い悪魔(笑)ことキュゥべえの声優計6人、第12話でいつもの悠木・斎藤コンビに加えて、脚本虚淵玄、キャラ原案蒼樹うめ、そしてシリーズディレクターの宮本幸裕の三人がゲスト出演。なんとも豪華でした。

 まず、第11話です。みんなの話から、印象に残ったところを、それぞれちょこっとずつ挙げてみます。

○ 水橋かおり(マミさん)
 キャラの死というのは、リアルとちょっと違う。マミの死は意味があったので、嫌ではなかった。
 タツヤの役で呼ばれたと思った第11話で、いきなりワルプルギスをやるように言われた。
→これ、他の人から、「弟からラスボスまで」というコメントが(笑)。

○ 喜多村英梨(さやか)
 遺体を大事にしてくれたこと、杏子に感謝している。
→ところで、これ聞いて思ったんですけど、杏子の遺体って残ってないんですよね……。
 それから、これは皆さん言ってますが、まどか☆マギカで演じたと言うことは人生に大きく影響したと感じているそうです。

○ 野中藍(杏子)
 作中で、マミさんと話してみたかった。
→ちなみに、BD第5巻の特典のドラマCDでは、以前杏子が見滝原にいたことが描かれていて、杏子とマミさんがコンビを組んで魔女と戦っていたことが示されていました。

○ 加藤英美里(キュゥべえ)
 一周まわってみんなキュゥべえが大好き、という声があって、「こっち見んな」とか言われるのが嬉しかった(笑)。

○ 斎藤千和(ほむら)
 第11話で、ほむらが遂にまどかに告白するシーンが、全話通して最も印象深かった。

 ……と、こんな感じでした。
 まどか☆マギカのコメンタリで声優さんたちの話を聞いて思うのは、とにかく、演じているみんながこの作品が好きで好きでたまらない、という感じですね。役者人生にこんなことは滅多にないだろうとか、色々学んだとか。
 更には、どのキャラもみんな好き、というところから、演じている声優さんまで好きになった、という声も。
 実際、コメンタリ中でも、なんとなく声が潤んでいたり、映像を見ながら、感窮まって言葉にならず「あぁ……」としか言えなかったり。

 ところで、キュゥべえの演じ方については特に高い評価がありました。

「キュゥべえって人の言葉しゃべるし感情もちゃんと出すのに、全然感情籠ってないみたいに聞こえるあの、ギリギリのほんとキュゥべえだなっていうのが、すごい好き」

 と。
 私も似たようなことを思っていましたが、私なりに表現すると、感情がないことは必ずしも抑揚のない平板な喋りになるというわけではなかろう、ということです。
 過去、映画などで数多のAIなんかが演じられましたが、彼等感情のない存在は、何か抑揚すらも曖昧な喋りが多かったように思います。しかし、キュゥべえは違いました。
 キュゥべえの喋りは、確かに感情がないのですが、話の内容を的確に表現する知性的で正確な抑揚がありました。その点はむしろ、普通の人間よりも明確なくらいです。
 そうですよね。考えてみれば、言いたいことを正確に伝えるためには、それも重要なことです。合理的な帰着です。キュゥべえらしい。

 続いて、第12話のコメンタリです。
 どうでもいいですけど、『ひだまりスケッチ』のコメンタリでもそうでしたが、うめてんてーって、いつも登場するなりみんなから「可愛い♥」と言われますね(笑)。

 このコメンタリには、脚本の虚淵なんかいるもんですから、色々聞かれてました。
 第12話、脚本は結構薄いものだったようです。観念的な描写が多かったので。「何もない世界」とか、「宇宙の果て」とか。虚淵は「やっちゃいけないシナリオ」と言っていましたが、宮本さんは、「自由度が高かった」とフォローしてました。
 ちなみに、その中で、まどかが願い事を告げた後にあったなんかわからない世界でのお茶会のシーン。マミさんがまどかにノートを返すシーン、あれやりたかった、と虚淵が強調していました。

 まどかの願い事については、それぞれ結構高く評価していましたが、宮本さんのコメントが面白かった。地球の未来も宇宙の未来も救ってない、魔法少女だけ救った、という指摘です。「妙手」と表現していましたね。
 ちなみに私は以前、ここのブログのコメント欄に、もし『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の桐乃が魔法少女になったら、という話題にこう書きました。

契約の時の願い事で「あんた達も感情を持って自給自足しなさいよ!」とか言って、ざまぁwとか笑いそうな。

 これ、我ながら中々の「妙手」だと思いました(笑)。

 で、「願い事」が叶えられたまどかですが、「あの」まどかについて、悠木さんが言っていました。演じるとき、女神っぽくなりすぎずに、女の子でいたい、と。大人になっちゃいけない、やや幼めに、と意識していたそうです。
 ちなみにそのまどかですが、例の「ハイパーアルティメットまどか」というのが、台本にもト書きで書いてあったそうで(笑)。大受けでした。最終形態まどかとか色々呼ばれてたようでもありますが。
 しかしあの衣装、まどかが自分で考えたんでしょうか(笑)?

 で、まどかとほむらの二人きりの対話なんですが、ここでうめてんてーが言っていたこと。
 ほむらが言葉で伝えたこと。それをまどかが「見れた」こと、そのことがとてもいいと思ったそうです。そうですよね。私もそう感じました。

 こういう関係は、男女の恋愛では成立しないだろうな、という意見で一致していましたが、逆に言うと、どうして虚淵は「あの年頃の女子」のことがこんなにわかるのか、という声も沢山出てました。虚淵女性疑惑まで発生したそうな。
 それに対して彼の応えは、「女子を愛でるのも男の特権」だとか(笑)。

 改変された世界で、タツヤがまどかの絵を描いていたことについて、虚淵から重要な解説がありました。
 多くの人が、タツヤがまどかのことを憶えていたのだと解釈していたようですが、実はあれは憶えていたと言うよりも、見えているのだそうな。彼の喩えによると、猫が部屋の隅を見ているみたいな。
 だから、大人になったら見えなくなるだろう、という話でした。
 なるほど。なんか、それいいですね。憶えているという設定よりもしっくり来ます。納得。
 そう言えば、以前インタビューでも言ってました。「この世界から消えてしまったまどかの存在感を、無垢な……たとえばタツヤのような子供とか犬や猫は、感じているんじゃないでしょうか」と。

 で、あの終り方については、「全部が幸せ、みんなが平和にはならない、業は残る」というのがいい、という声。「人生って綺麗事じゃない」という意見ですね。
 それについての虚淵の話も、「本質的なところの解決を見なくても、お互いの譲歩案で仲良しになれることもある」ということが言いたかったそうです。
 そう言えば以前、インタビューで、「じつは『まどか☆マギカ』には「折衝」というテーマもあったんです」と言っていました。

 ちなみに、この話の続きについてですが、是非二期をやらせて欲しい、と宮本さんが言っていました。虚淵も色々考えているようですし。既に、プロット段階のものがうめてんてーのところに渡っているとか。
 まどかとほむらのらぶらぶが見たい、とか色々な声がありましたが、虚淵がそんな予想通りのモノを書くかどうか(笑)?

 最後に、特典のサントラCD。
 そう、待ちに待った、あのほむら対ワルプルギスの戦闘の時のBGMが収録されました! 通称、『ワルプルギスのテーマ』。
 ミーラ~ソファミ~レ~ミ~という奴が『Surgam identidem』、ミ↑ミレードーシーラーソ~ファ~ミ~レ~というのが『Nux Walpurgis』と書いてありますが、後者の『Nux』(木の実)はどうやら『Nox』(夜)の誤記ではないかとのこと。
 更に、通称『救済のテーマ』。まどかが魔法少女になり、全ての魔法少女を救うシーンの、ドレミレ~ソドファミレドレミレ~というのです。『Sagitta luminis』だそうで。
 これを対比させると、凄い。どうして同じ人物からこんな曲が出てくるのでしょう?
 素晴らしいですね。

関連項目

tag : アニメ 魔法少女まどか☆マギカ

アニメ: 『魔法少女まどか☆マギカ』 BD#6感想 - TVとの違い編

 アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』、BD第6巻の感想その一、テレビ版との比較です。
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 パッケージ化するにあたり、テレビ放送時から修正が入るのはいつものことですが、今回はちょっと微妙なのもあったので、比較してみます。
 他にも結構あったのですが、印象の強かったのだけ挙げます。印象で決めてるので、絵的には些細な違いだったりするのもありますし、その逆もあります。

 まず、第11話から。
 まどかがほむらの家を訪ね、話をするシーン。『ワルプルギスの夜』についてのほむらによる説明に、ちょっと追加がありました。

「今までの魔女と違って、こいつは結界に隠れて身を守る必要なんてない。ただ一度具現しただけでも、何千人という人が犠牲になるわ。相変わらず普通の人には見えないから、被害は地震とか竜巻とか、そういった大災害として誤解されるだけ

 この、下線部ですね。……地震ですか。
 ところで、まどか☆マギカの舞台のモデルは群馬県であるというのが定説ですが、実は熊本県かも(笑)?
madokamagica11_telop1.png

 同じシーンで、まどかが「ほむらちゃんの言ってることが本当だって思えない」と言ったときのアップ。
TVBD
madokamagica11_tv2.pngmadokamagica11_bd2.png

 テレビで見たとき、この構図はまどかに対して視点が斜めになっているわけで、涙の流れる方向がおかしいな、と思ったんですが、BDではまどかが首を傾けている構図になっています。
 これ、なんかちょっと不自然ですね。テレビと同じ構図で、涙だけ直せば良かったのに、と思いました。

 次は、ほむら対『ワルプルギスの夜』。ワルプルギスの全身がきちんと見えたカット。
TVBD
madokamagica11_tv3.pngmadokamagica11_bd3.png

 ワルプルギス、全体のシルエットとか顔が結構変わってますね。顔は、テレビ版の方が良かったなぁ。パソコンの壁紙にするくらい気に入ってたんですけど。ちょっと拡大。
TVBD
madokamagica11_tv3up.pngmadokamagica11_bd3up.png

 でも、BDの方がイヌカレーさんの設定に近いかも?
 ちなみに、ワルプルギスの嗤い声もちょっと変わってます。

 続いて、同じく『ワルプルギスの夜』。
TVBD
madokamagica11_tv4.pngmadokamagica11_bd4.png
madokamagica11_bd5.png

 ほむらがぶっぱなしたミサイル(というか、正確にはなんて言うんだろう?)ですが、テレビでは(背景の動きも含めて)なんだかよく分からなかったのが、BDだとわかりやすくなっています。
 BDではこの兵器、SHAFTのロゴが入っていましたね。SHAFTってそんなものも作ってたんですか(笑)。ついでに言うと、第10話に出てきた射太興業というヤクザ屋さんも系列でしょうか?

 それから、ほむらの台詞、というかモノローグ?
 ワルプルギスが、ほむらの攻撃なんてまるでものともせずに突き進む。その先には避難所があります。
 それを阻止しようと焦るほむらの言葉に、追加がありました。これも、下線部です。

「これ以上先に進まれたら、避難所を襲われる! どうにかして、ここで食い止めないと」

 絵を見ていれば避難所を気にしているのはわかるのですが、一応わかりやすく、ということなんでしょう。でも、「避難所が!」くらいでよかったかな、と私は思いました。

 さて。
 個人的には、結構問題な変更点である、第11話ラスト。
 まず、矛盾点の訂正。
TVBD
madokamagica11_tv7.pngmadokamagica11_bd7.png

 ほむらの盾の時間の砂(?)はもう落ちきってしまった筈なのに、テレビではまだ赤かった。それが直っています。
 次に、ほむらの背後。
TVBD
madokamagica11_tv8.pngmadokamagica11_bd8.png

 ほむらの顔がアップになったとき、背景に景色が見えるようになりましたが、これおかしいですね。
 だって、この配置ですよ?
madokamagica11_bd8b.png

 それから、まどかが「ごめんね」というときの顔が描き直されています。
TVBD
madokamagica11_tv9.pngmadokamagica11_bd9.png

 ……ちょっと、普段の顔と違いすぎませんかね? しかも、台詞はちょっとお茶目っぽい、以前の私の表現で言えば「いたずらを見付けられた子供のような表情」によく合ったもののままなので、絵を変えるのなら声も変えて欲しかったかも。
 実際には多分、顔を描き直したというよりも、ほむらに上半身をかがめてほむらに顔を寄せている、という風にしたかったのでしょうけど。

 更に、上記のほむらの顔に、テレビではスタッフのテロップが入ってたわけですが、BDではそれを避けるためか、エンディングがあって、『Magia』が流れます。
madokamagica11_bd10.png
 これは、わたし的には大きな減点です。
 あそこは、無音、というかごごごーっという背景音だけでぶつっと終わるのがいいし、よしんば音楽を使うとしても『Magia』は合わない。曲調的に、これから高揚していく、という感じではない。

 以前、エロゲの『痕』をやったときのことなんですが、あのゲーム、演出で時々、BGMがふっと切れて無音状態になるんですよね。そのとき感じたんです。無音の作る雰囲気、というのを。
 第11話ラストは、さあ遂にまどかが決断して、これから一体どうなるんだろう、という方向性の見えない瞬間です。ならば、音楽とか入れないで雰囲気も中庸であるべきだった、つまりテレビ版の方が良かった、と私は思うわけです。
 あの赤い字がかぶるのも、それはそれでいい味だし、BDなんだからノンテロップ版も見られる、という風にもできたはず。
 ここの改変はちょっと……ですね。

 で、第12話。
 こちらは第11話ほど強く感じた改変は多くないですね。
 まず、ちょっとした修正。
TVBD
madokamagica12_tv1.pngmadokamagica12_bd1.png

 静止画ではわかりませんが、テレビ版では背景も含めて完全に止っていました。このシーンの他のカットでは雲が激しく流れています。BDではここでも雲が動いています。

 まどかが、ほむらに語りかけるシーン。まどかが「遍在」する者になって、ほむらのこれまでを「見た」ことを告げるところ。
TVBD
madokamagica12_tv2.pngmadokamagica12_bd2.png

 回想っぽい絵になったのはいいんですが、明るすぎてつぶれてますね。ちょっと効果が強すぎ?
 また、このときの背景。
TVBD
madokamagica12_tv3.pngmadokamagica12_bd3.png

 色々派手になって、例の謎の文字が飛び交っています。この文字、これまでにも修正で追加されたりしていますね。
 ちなみに、二人の体を隠す何か(笑)も、BDでは何となく薄くなって、透けて見えています。
 虚淵は、コメンタリで、特権で無修整で見たとかのたまっていました(笑)。

 最後に、大きな違い。
TVBD
madokamagica12_tv4.png

 これ、見えないのが正しいのでしょうか。ウチの試聴環境がおかしいのかな?
[追記]
 これは、「制作上の意図」だそうです。……???

関連項目

tag : アニメ 魔法少女まどか☆マギカ

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水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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