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独り言: 猪瀬直樹氏のコラムの重箱の隅をつつく

 いつものように日経BPネットを眺めていたら、猪瀬直樹氏の『「活字離れ」をどうするか、東京都が考える』と題するコラムが目に留まりました。

 最後まで読んだとき、結論には全く異論がありませんでした。氏の文章は、どうも余計なものを一緒に書く傾向があるようでそのものずばりではありませんが、この部分が最もその主張に近いと思います。

 日本人は、英語ができないから国際交渉に弱いのではない。日本語ができないからだ。母国語で論理的思考ができない人間が、外国語でコミュニケーション力を発揮できるわけがない。

 国際交渉がどうのこうのというのは主題ではなくて、論理的な思考が重要である、そのためにはまず母国語をしっかり使えるようになれ、ということが言いたかったのだろうと思います。私も常々そのように思っていたのですが、ではこのコラム自体の評価はどうかというと……。
 私は途中、違和感を覚えてなりませんでした。
 出だし。最近、本を読まない人が多い。結論。日本語をちゃんと身に付けなければ論理的思考もできない。でも、そこに至るための展開はと言うと、何それ?という感じでした。所々引用してみます。

 日本人は説明をするということが下手だ。「××が好き」と述べる場合、「なぜですか」と問われると、日本人は「好きだから」と理由にならないことを平気で言う。根拠を挙げず、曖昧な説明しかできないから、何を言っているのか伝わらない。

 好きとか嫌いは直感だ。しかし、「なぜ」と聞かれた場合には、なぜ好きと思ったのだろうと考え、とりあえず言葉で説明しなければ他者との対話は成立しない。

 理由を説明しないといけない? そうでしょうか?
 私は、とある小説の登場人物を思い出しました。彼女は論理的なことが好きで、何についても理屈を考えます。
 あるとき、彼女は友人に言いました。大の月と小の月を憶えるのに「西向く侍」の語呂合わせで丸暗記するなんて駄目だ、と。そして、数式で導き出す方法を述べました。
 彼女は論理的でしょうか? 私はそうは思いません。彼女の見出した法則は、大の月小の月を求めることができます。でも、月の日数はそれによって決められたわけではありません。たまたまそうなっただけです。そういう意味では、「西向く侍」となんら変りありません。
 何かを好きだと思ったときそれを言葉で説明するのも、それと同じであるケースが多いと思います。というか、むしろその方が多いでしょう。好きな理由を言葉で説明したとしても、それが気持ちの発生の過程を解明したものでなければ、「だって好きなんだもん」以上の情報を含むものではありません。
 上記の引用部分の間に書かれている、食後の飲み物をコーヒーにするか紅茶にするかと聞かれたときの応答に至っては、更にそれ以前の問題です。これは、気持ちを表現するか否かの問題であり、論理的であるかどうかとは全く何の関係もありません。

 三森ゆりか氏の講演会では、ドイツの国語教育事情を話していただいた。ドイツでは、説明・描写の技術、報告の技術、議事録の記述技術、要約の技術、絵やテクストの分析と解釈・批判の技術、論文の技術、議論の技術、ディベートの技術、プレゼンの技術を教える。生徒は論理的に答えなければいけない。「なぜ?」という問いに対して、「なぜならば」という答えを10個くらいは考える。そうしてはじめて、論理的な文章ができてくる。あたりまえのこととして訓練されている。

 これはまあいいでしょう。でも、段々何かが怪しくなってきます。

 絵を見たとしても、「良い」とか「好き」という直感的なところにとどまらず、「どんな色が使われているか」「描かれた人物は何をしているのか」「何時頃なのか」というファクトをならべていく。

 文脈からすると、これも国語教育の一環なので、まあよしとします。ですが、

 学校の授業で絵の展覧会に行くと、ドイツでは先生が生徒に疑問を投げかけて、絵について議論をする。そうすることで、生徒も自分では見えていなかったものが見えてくる。生徒にいろんな議論をさせることが、先生の仕事になっている。日本では、絵の展覧会に行っても、生徒は黙って絵の前を通り過ぎるだけだ。

 こうなると、いつの間にか絵の見方の話になっています。更に引用すると、

 三森氏は、ミレーの「落ち穂拾い」を見て、論理的に感想文を書かせている日本の中学校の事例を紹介してくれた。日本人でも、意識的に訓練すれば、中学生でも充分に読解力を身につけることができる。

 ……絵を見て読解力? 何ですかそれは?
 ぐぐってみましたが、これ(PDF)のことでしょうか。うーん、よくわかりませんが、もしそうだとすると、これ、道徳教育なんですけど。氏は、絵も論理的に見ろと言っているのでしょうか。
 ここでも、小説の登場人物を持ち出しましょう。氷室冴子著、『さようならアルルカン』(『さようならアルルカン』に収録)より。
 主人公の少女は、修学旅行で湖に来ていました。彼女が遊覧船からの風景に見惚れていると、友人たちがやって来て言います。黙ったままね、感動しないの、と。そして、どこがいいとか感動したとか色々言い始めます。少女は、途端に景色が色褪せていくのを感じます。
 そこへ、彼女の別の友人が登場し、こんなことを言います。べちゃべちゃとしゃべりまくってて、感動とやらをするひまがあるの?と。皆は鼻白んで去っていきます。
 後から来た友人と二人になった少女は、こう言います。あたし、きれいだと思うのよ、と。

 私が引用したのは、まさに美の味わい方の話です。それこそ話題がずれていると思われるかも知れません。
 ですが、何かに触れて、内から沸き上がってきたもの、それらは容易にゲシュタルト崩壊します。それなのに、先に引用した「好き」を説明することにしても、氏はそういったものを論理的に、分析的に扱うのがより高度であると思っている節があります。
 上の二つの引用部に私が言いたいのは、論理、分析の対象とすべきものは選ぶべきではないか、もしくはどのような見方をしたいかによって使い分けるべきではないか、ということです。氏はその峻別ができていない。それは、論理、分析の限界がわかっていないということでもありますが、加えて、論理、分析がどういうものかわかっていない、更に言えばそれらの長所もわからない筈だ、ということになります。

 論理的な思考は重要だ、論理を扱うときに言語は強力なツールである、だから言語(通常は母国語)を使う訓練をすべきだ。そのことについては、同意します。
 しかし、その結論に至るまでの過程に氏が書いた文章は、とても論理というものがわかっている人のものではないように思えます。例の挙げ方、引用する事例など。
 氏は、本当にこのような思考過程を辿ってあの結論に至ったのでしょうか? もしかすると、誰か他の人の意見をもらって来て、消化不良のままコラムに仕立てあげたのではないでしょうか?
 私はこのコラムを読んで、そんな失礼なことを考えてしまいました。

tag : 猪瀬直樹

独り言: 女って最低! いや女性って素敵!

 オンナってロクなもんじゃねー!
 テレビで福島瑞穂とか蓮舫とか見るとムカムカしてくる! あいつらがいなくなれば日本はなんぼかよくなるだろうに。
 アグネス・チャンとかいう偽善者も許せねぇ。それに、オレらの天敵だし。

 私は最近、毎日Kalafinaの曲を聴きまくってます。ボーカルも作詞作曲も女性ですね。岡崎律子さんの遺してくれた歌も素晴らしい。好んで聴く音楽のうち歌の入ったものは、殆んどが女声です。
 そう言えば私は、CARNELIANさんの絵には結構な大金をつぎ込んでますねぇ。
 お気に入りの小説と言えばわかつき先生とか。ブログとか拝見してると、仕事の仕方とかも、社会人として尊敬できる方です。
 女性って素晴らしいですよね!

 とまあ、勝手なことをほざいてみました。
 相手は人間なので、好き嫌いというものが発生するのは当然と言えるのですが、こうして見ると、私の評価の高い人と低い人、棲んでる世界が明らかに偏ってますね。政治の世界にいる女性には大体拒絶反応。対して、その感性で勝負されている人には魅了されること多し。
 ちなみに男を相手にするとこうは行きません。なんせ、なんだかんだ言って社会進出してるのは男の方が多いですから、どっちを見ても男は一杯。

 さて、前々回前回に続き、思い付くまま何も考えずに書いたはずのエントリがなんだか続き物みたいになってしまいました。欲求不満でもあるんでしょうか。
 でも実際、今の世の中の男女関係って、なんかおかしくなっちゃってますよね。
 男女の在り方、特に女性は大きく変っています。なのに、私なんかは昔の男のままみたいなところもあります。でも、だからと言って、20代くらいの若い人達も、新しい男女の在り方を見出した風でもありません。

 まあ、男女の仲なんて昔から人類最大の謎でした。でも昔は、教科書……とまでは行かなくても、参考書がありました。例えば、両親や祖父母などの家族。例えば、昔の人の書いた本。それに対し今の時代は、全く参考になるもののない状況で模索していかなければなりません。
 加えて、今は、生きていくだけで精一杯という人も増えました。今よりも人々が貧しかった時代はあった筈なのに、今の人々の幸せの少さはかなり酷いのじゃないかという気がします。繁栄を知っているからでしょうか。希望のないところに絶望はないってね。

 人間の生きる目的のひとつであると言える生殖。その問題を前にしたとき途方に暮れてしまう人が、今、沢山いるのではないでしょうか。どうしたらいいかわからない。何か試そうにも、人々は活力を失って、もしかしたら奪われている。閉塞感、無力感、抑圧感。
 多分、先に変ったのは女性でしょう。でも、男性がそれに追い付く前に、こんな世の中になってしまった。女性も困惑してるかも。……いや、女性を変えたのと世の中を変えたのは同じものかも知れないですけどね。

 もう、世の中無茶苦茶になってしまっていて、逆に言うとどんな答えでも正解で。
 私の見付けた正解はと言うと、非実在青少年だったりしますけどね!

独り言: 「※」の意味について考えてみる

 「※」。省略しないで書くと、「※ただしイケメンに限る」。

 言わずと知れた、ニコ割を使って行われたアンケートで2009年のネット流行語大賞に選ばれた言葉で、最近でも使われているところを見掛けます。
 大変便利な言葉で、どんなに男にとって希望となる言葉でもこれを付け加えるだけで台無しにできるところが面白く、確かに流行語大賞に選ばれるだけあるなーという感じです。
 そんな言葉なので、既にあらゆる考察が行われたことでしょうが、私は一々そんなの調べたことがないので、ちょっと自分で考えてみました。
 ちょっと思ったことを挙げるだけで、下記のようになります。実に奥の深い言葉ですね。

「絶望」
 結局全てこれか、俺なんかお呼びじゃないんだな、という気持ち。今の世の中、希望なんて持てないよね、そしてそれは女性についても言えることなんだな、と確認する気持ちでもあります。

「自虐」
 自分に都合の悪いことをわざと指摘して、茶化して笑い飛ばす。ある意味、自己防衛です。

「自嘲」
 そう言えば、男はもう何千年も、いや人類が始まって以来、もしかすると性別というものができて以来、そんなことをしてきたよなぁ、我ながらアホだなぁ。

「侮蔑」
 上記の「自嘲」は、これのための前振り、もしくは言い訳ですね。そんな女達を男は侮蔑しているのです。

「葡萄」
 そして、イケメンでもなく金持ちでもなく背も高くなく、希望の持てない男達にとって、女はもう、狐がすっぱいと言った葡萄なのです。

 男達はもう、努力をしない。どうせ無駄だから。だからもういいや。「草食系男子」という言葉も誰かが流行らせようとしていましたが(これはいかにも女性的な言葉ですね)、それと「※」には共通するものがあると言えましょう。
 尤も、「※」を使った全ての人が上記のようなことを思っていたのかというと、それは違うと思います。でも、それが流行語になるに至った背景には、男達の間に「諦め」、場合によっては「拒絶」の空気があるのではないか、そんな気がするのです。

tag : ただしイケメンに限る

独り言: どうせもてない男だよ

 Amazon.co.jpを見てたら、こんな本に出会いました。読もうかなーどうしようかなーと思っているところです。
もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)
(1999/01)
小谷野 敦

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 そのカスタマーレビューにとある方が面白いことを書かれていたので、一部引用します。

壮大な「愚痴」に学べ, 2005/5/12
By ゾゾミ
(略)
おそらく、著者は「俺はもてない」と言っていたい、確信犯なのだ。敷居の高い、理想の「モテ」が実現困難なことなんか、著者はとうぜん自覚している。本音は「妥協するくらいなら、もてなくていいよ! 放っといてくれ!」だ。著者は、自覚して「もてない男」であることを「選んだ」のだ。

これは、我々オンナからすると、怖れるべき事態ではないだろうか。男は「理想が叶わぬくらいなら」と、「女にもてること」を拒みだした。これが「男の本音」であるならば我々オンナは、心してそれを拝聴し、至急に対策をたてねばならない。


 さて、私は前のエントリでこんなことを書きました。

結局のところ、愛さえあれば、みたいな?

 あの作品をお読みになった方ならおわかりかと思いますが、あそこに出てくる愛は、半端ではありません。人間としての尊厳をかけていると言っていいくらいのものです。「敷居の高い」なんて表現では済まされない、別世界の言葉です。

 今を生きる男の、一部のうちの更に一部は、あっちの世界に既に旅立ってしまったし、その予備軍もそういう人達よりちょっと多くいるんでしょうね。
 いつの時代にも、あぶれ者というものは存在します。旅立ちを済ませてしまった人達は、そういう部類に入るんでしょう。ところで今の時代、古い男の生き方はもう過去の遺物だし、そういうのを理想とする男はもう顧みられることはありません。加えて、情報の流通の高度化は、情報をどんどん純化させることがあります。極端に走ると言ってもいいでしょう。そして、そういうものが溢れんばかりに押し寄せてくるわけです。
 ただでさえ実在の危うい理想がより純化されたものに、架空の世界では容易に触れられるのです。もう、「放っといてくれ!」と叫んでしまう男は、実は相当数いるのではないでしょうか。キモヲタと蔑まれる人が沢山いるのは、まさにそのことを示しているのではないでしょうか。

 私が上に引用したレビューに関心を持ったのは、(恐らく本当の)女性が、「怖れるべき事態」という表現を用いている点です。
 これまで女性は、そんなこと考えなかった。キモい非モテなんて無視していれば良かったからです。でもそれが、相当数存在するということになったら? もしこれからそれが多数派になってしまったら? スイーツ(笑)なんて言葉を使う男が主流になってしまったら? ※ただしイケメンに……なんて表現は、もう新聞にも取り上げられる時代なのです。
 「貢ぐ君」とか「アッシー」なんて言葉が流行した時代がありました。もしかすると、その揺り返しが、とんでもなく歪んだ形でやってくるかも知れません。

ポルノ: 『同級生は、のーぱんちゅ』 限界に挑戦!

 もう、読む前からわかってましたが、守備範囲の限界に挑戦し続けた数時間でした。……疲れた……けど、やり遂げたぞ。勝ったのか負けたのか?
 さすがは、えすかれ!シリーズの星。恐るべし、遠野渚

 前作『ウチの妹がここまでMなわけがない』も読みましたが、今回のの方がいいですね。方向性はまあ近いんですけど、何が違うか。
 主人公の愛が違うのです。
 ウチ妹では、なんか主人公が妹のことをどう思っているのか、今一伝わってこなかったんですよね。極端な話、嫌々付き合ってるんじゃないの?みたいな気もして。
 対して今回のは、ちゃんと主人公和樹の気持ちがわかります。それに、最後には、気持ちを伝え合うシーンもありましたし。というか、最後なんですよねぇ。彼等らしいというか何というか。
 でも、こんな会話、純愛物語みたいですよね。

「わたしたち、これからどうなってしまうのでしょうか?」
「そんなこと俺にはわからないよ。だけど、今思ってたことだけど……この手は離さないようにしたい」
「それは、わたしだって同じです……」

 で、続いて出てくるのが「由良の門を」ですからね。それなんて純文学?
 結局のところ、愛さえあれば、みたいな? 自分の度量の広さに感心します(笑)。

 最後の方に出てくるんですけど……「子宮頚管粘液」。これ、美少女文庫の某人気作家さん(私の贔屓目じゃないですよね?)の得意技で、他の作家の皆さん避けてたんじゃないかと思うんですけど、それが使われるというのは、その某さんは大御所(訂正:調べてみたら、大御所って隠居した人じゃないですか。巨匠にしておきましょう)認定ということでいいですか?駄目ですか?
 まあ、実際のところはそっちの世界の事情なんてわからないんで、単なる妄想なんですけど。

 ところで、本作のヒロイン芳乃の髪型は、文中では「おかっぱ」と表現されているわけですが……イラスト見ると随分長いですよね。いいの?

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アニメ: 『会長はメイド様!』 ひと味違うメイド様!

 私はつい最近まで、白泉社の少女漫画雑誌『LaLa』を読んでました。その連載の中でも結構気に入っていたのが、『会長はメイド様!』。4月からアニメがスタートしてます。

 私はそれほど強烈なメイドさん信者じゃないのであまり気にならないのですが、メイド喫茶「メイド・ラテ」でバイトしてる主人公の鮎沢美咲、あんまりメイドさんらしくないですよね。
 でも実は、そこが気に入ってるんです。
 美咲、メイド・ラテではミサちゃん。彼女は生徒会長で、元男子校であるために男子が多く、女子が肩身の狭い思いをしている現状を打破するために粉骨砕身。恐れられるくらいの成果をあげてる熱血会長なのです。
 でも、家庭の事情のため、要するに家計が結構苦しくて、バイトをしてます。それがメイド・ラテのメイドさん!なわけです。

 クールで熱血な美咲は、バイト先でミサちゃんになってもそんな感じで、萌え~とかとはあんまり縁がなさそうにも見えます。でも、真面目なんですよね。メイド向きの性格ではないと思っていても、真剣にメイドさんに取り組んでます。ずれてますけど。だがそれがいい! というか、実はあの性格、結構向いてるんじゃないかと思ったりもするんですけど。
 非常に微妙なバランスの上に立っているこのシチュエーション。美咲の性格は、あんまり萌えに縁がなくとも、その真面目さでなんとかつなぎとめている。この、どっちつかずな感じが、タイトルに書いたように、ひと味違うわけです。

 でもまあ、彼女も結構色々無理してるわけで、なんか危うい状態なんですが、そこに登場するのが、碓氷拓海。
 美咲が秘密にしてた「ミサちゃん」が、拓海にバレてしまうわけです。物語はそこから始まります。

 彼はスペック的には完璧人間で、男女ともにファンが多い人です。美咲とは違った意味で人望がある。でも、飄々としてると言うか、なーんか物事に無関心に見えると言うか、変人と言うか。女の子に言い寄られても無視しちゃうような彼が、ミサちゃんに興味を持ちます。
 なんかわかるような気もします。拓海は恐らく、退屈していた。その彼には、美咲のミサちゃんは中々興味深いものに見えたことでしょう。
 熱血生徒会長である美咲のことは、当然彼も知ってたはず。でも、その彼女のミサちゃんという一面を見てきっと、ほう、と思ったんでしょうね。熱血キャラなだけでもない。根っからの萌えキャラでもない。そして、自分の性格とやってるバイトにギャップがあっても嫌々やってるわけじゃない。真剣に取り組んでいる。その微妙な辺りに目を付けた彼は慧眼と言えるかも?

 弱みを握られた(美咲の感覚ではそうでしょうね)彼女は、妙な興味を持って関わってくる彼を邪険にできません。だから、拓海が関心を持ってちょっかい出してくると、その分二人の関係は深くなってくるわけです。
 彼は彼で、やっぱなんかヘンな人ですから、その「関係」というのもちょっと普通じゃない。美咲やミサちゃんをからかって遊んでるみたいでもあるし、真剣に見つめているようでもあるし、萌え~みたいにも見える。いや最後のはちょっと違うかな? まあ、少女漫画的ではありますけど。

 そんなこんなで繰り広げられるドタバタみたいなラブコメみたいなお話、アニメでは多分あそこまでやるんだろうなぁ。OP(訂正:EDでした)のラストがそれを推測させます。
 うん、原作の雰囲気をよく表現してますし、中々よくまとまったいい作品になりそう。
 特にメイド属性のない人でも、ちょっと変った味付けのラブコメとして美味しく味わえるかも?


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ラノベ: 『どろぼうの名人』と不確定性原理

 謎掛けをするつもりはないので、タイトルの意味をさっさとお伝えしましょう。
 『どろぼうの名人』は、とてもとても繊細でデリケートな物語で、触れるどころか、見るだけで壊してしまいそうな、そんなお話です。だから、不確定性原理。

 それは主に、主人公の佐藤初雪の感性に依拠するのでしょう。彼女の感じ方、考え方が、彼女を、物語を、世界をそんな風に繊細なものにしているのです。それは、彼女の一人称で語られるから。
 でも、私は思うのです。こういう人には、勇気があります。まあ確かに初雪は、最後に結構大胆なことをしますが、私が言いたいのはそういうことではありません。誰もが「勇気」と思うようなことではなく、殆んどの人が、そして彼女自身も、え、それって勇気って言う?みたいに思うようなことです。

 それは、例えば、彼女の空想。
 愛の「秘密の部屋」。初雪は、その中を空想します。川井愛なら、どんな秘密を隠しているだろう。
 色々空想する彼女は、それが現実と違っていようがどうしようが、気にしません。そう、空想ってそういうものですよね。私は、実際には全然違ったら……と思い切り自由に空想できない人なんですけど。でも、これはどうでしょう。
 初雪は、人の様子から、色々とその人のことを推察します。ああ、この人は今、こう思っている、と。
 でも、世の中には、読み間違うのを恐れてそういった曖昧なものから結論を出せない人、結構いると思うんです。はっきり言葉にしてもらえないと、自信が持てない。でもそれは、判断の責任を、見ている相手に負わせてしまうと言うことです。
 自分で判断できる人は、その責任を自分で負うことのできる人である、ということです。
 空想の話と人の心を推し量る話は、私には一緒に見えます。そして、私は自信が持てないタイプの人間なので、初雪のように自分で自分の感じ方を決められる人には、勇気があるように感じられるのです。

 初雪は、色々物事を考えるタイプでもあります。でも、感性で動くタイプでもあります。
 このお話は初雪の一人称で語られるといいましたが、実は、文体が二種類あります。一つはである調。一人称は「私」。愛のことは川井愛と呼びます。もう一つはですます調。一人称は「わたし」。愛のことはお姉さまと呼びます。
 本当はもう一つありますが、それは時間軸もずれてたりするので、取り敢えず除けておきましょう。
 初めはよくわかりませんでしたが、どうやら、彼女の思索的な面は前者で表現されていて、感覚的な面は後者で表現されているのではないかと思われます。
 彼女の二面性を描き出す面白い手法だと思います。

 さて、終盤、ちょっと何かが起きます。
 まあ、「お姉ちゃん」の佐藤葉桜と「お姉さま」の川井愛の背景については、あまり語られないだろうとは思ってました。でも、ちょっぴり読み方を誤りました。初雪がお姉さまを探す話がもうちょっと語られるのではないかと思ってしまったのです。
 違うのです。それは描く必要がない。いや、描いたら、それまで一貫して世界を構成していた何かに、夾雑物が入ってしまう。
 だから、結末はあのように描かれるべきだったのです。読む方も、私のような期待をしてはいけなかったのです。
 この物語をお読みになる方は、色々なことが描かれないこと、それを気にとめておいた方がいいでしょう。そういうものなのです。それほど、徹頭徹尾繊細なお話なのです。綿菓子にスパイシーなカレーの味を求めてはいけないのです。
 そういう背景で起きていることとは別に、やはりちゃんと描かれないことがあります。それは、ちょっと女の子の内緒の……。

 最後に、川井愛の娘、川井文。可愛いです。多分美少女です。でも、可愛いと言ったのはそういう意味ではありません。心が少女になりつつある子供、そのほんの一瞬しか見ることのできないグリーンフラッシュのような姿は、とても愛らしい。そして、初雪に寄せる想いがなんかいじらしい。

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独り言: マスコミは我らの敵だ。何故なら……

 何故なら、我らの聖なる言葉である「メイド」を「メード」と誤記するからだ! これは冒涜である!

 いや、以前から気になってたんですよね。なんで新聞やなんかは「メード」と書くのか。
 で、ふと思い立ってぐぐってみたら、もう五年くらい前に謎を解いてた人がいました。というか、調べた人沢山いました。「記者ハンドブック」とやらにそう書いてあるんですね。なるほど。
 でも、情けない。要するにそれって、我々が「メイド」と呼ぶものを表記するというシーンでは、単なる業界用語じゃないですか。仲間内の約束を守るためなら、世の中の実態と乖離していてもかまわない、ということですよね。言論の機関が。言葉に最も敏感である筈の組織が。
 そこら辺に、彼等がマスゴミとか呼ばれるようなことをしてしまう原因があるのではないでしょうか。

tag : メイド マスコミ

アニメ: 『聖痕のクェイサー』渾身のディレクターズカット版

 通販で注文してあったアニメ『聖痕のクェイサー』ディレクターズカット版(15歳以上推奨(笑))のBDが届いたので、ちょっくら見てみました。
 一番思ったことを書くと一言で終ってしまうので、それは後にします。

 この作品の好きなところは、このブログで、若しくは別のところでも私がよく述べていること、異なる要素の融合が素晴らしいという点です。具体的に言うと、笑ってしまうくらいエロい設定と、大真面目にシリアスやっている登場人物とのギャップが面白い。
 クェイサー。特定元素を自在に操る特殊能力者。その能力は、女性から聖乳<ソーマ>と呼ばれる生体エネルギーを得ることで発揮されます。要するに、おっぱいちゅーちゅー吸って戦うわけです。大真面目に。
 もう、笑っていいんだかエロい気分になっていいんだかハードな闘いに戦慄していいんだか。

 そんな本作も、テレビでは色々差障りがあったようで、かなりカット/改変されて放送されました。で、その辺りをオリジナルのままに、さらに新作カットも加えて出来上がったのがディレクターズカット版。ネットでストリーミングもされていたようですが、私は今回のBDで初めて見ます。
 うーん、こりゃ確かに問題になりそうですねぇ、そのまま放送したら。
 でも、アニメ制作者達、多分原作者もでしょうが、彼等のおっぱいに対する愛が染みるように伝わってきます。
 やっぱり、制作者に愛されていることって、面白くなる必要条件なんでしょうかね。

 ただ。それだけおっぱいを愛している筈の彼等なのに!
 乳首が美しくないよ! 残念だ! なんか一昔前のエロアニメ見てるみたいだよ!

 ちなみに、3月までの放送分のOP『Errand』とED『Passionate squall』の二曲は、大のお気に入りです。

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tag : アニメ 聖痕のクェイサー

歌とか: 『光の旋律』はラブソングか

 以前、私には教養がないと言った人に、Kalafinaの『光の旋律』の歌詞(作詞・梶浦由記)を読んでもらう機会がありました。どうしてそんなことになったかについては、ややこしいのと言ってもあんまり意味がないのとで割愛します。
 で、その人は言いました。「これは恋愛の歌だね」、と。

 ……そうかぁ?

 まあ、確かにこの歌詞には、人を恋う、求めるみたいな想いを綴ったような個所がいくつもあります。でもそれは恋愛なのでしょうか。
 私が疑問形で言ったのは、「いやそれは恋愛よりももっと高尚な愛を詠ったものなんだよ」という意味ではありません。そうではなく、どうとでも取れるように書かれているのではないか、どう取ってもいいようになっているのではないか、と思うのです。
 更に言えば、その想いそのものは、テーマみたいに重要なものではないのではないでしょうか。
 『光の旋律』は、そこに表現されている物語を感じ取り、それを味わうものなのではないでしょうか。
 『光の旋律』の歌詞は、まあ数分で終る歌のものなので短いです。でも、そこにはなんか結構大掛かりな物語が詠われているような気がするのです。

 とかなんとか言ったものの。
 私は所詮、根っからの理系人間です。物語があるとか言ったって、じゃあどんな話なんだよと言われると、さあ?としか言えません。文芸とかまあ広く芸術みたいなものに関する知見なんてないんですよね。
 対して件の人は、芸術の世界でずっと生きてきた人です。まあ、芸術家そのものではありませんが、プロのそういう人達と深く接し、その世界にどっぷり漬った人です。だからその人には、私が曖昧だと思った題材が恋愛であると断ずるだけの根拠が見えたのかも知れません。若しくは私の言った「物語」がラブストーリーであると見たのかも知れません。

 やっぱり、餅は餅屋なのでしょうか。
 『光の旋律』は、ラブソングなのでしょうか。

光の旋律光の旋律
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tag : Kalafina 光の旋律

プロフィール

水響俊二

Author:水響俊二
水響 俊二 [MIZUKI Shunji]

暫定的に、18禁作品の感想などは裏サイトで書いています。
   

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